本連載では目標管理と人事評価について、牛久保潔氏にストーリー形式で数回にわたり解説してもらいます。ワインバーを舞台に、新任最年少課長に抜擢された主人公の涼本未良と共に目標管理と人事評価について分かりやすく学べます。
登場人物
あらすじ
突然最年少女性課長に抜擢された未良は、栗村マスターによるバーでの勉強会で目標管理と人事評価の基礎を学び始めた。
緊張のなか新組織がスタートしたが、早くも暗雲立ち込める雰囲気に。
そして今日もまたバーでの勉強会が始まるのだった。
今までのお話を読む
第1回「そもそも人事評価とは? 新任最年少課長が挑む目標管理の基本」
第2回「目標管理評価制度の基本と運用ポイントとは? 新組織スタートで揺れる営業二課」
合意
「今日は、目標と目標達成計画の関係や合意についてお話しますね!」
「はい、お願いします」
「目標達成計画、……漢字……六連続! 何かこう……圧迫感がありますね?」
美宇が指折り数えながら言った。
「ちょっと、美宇! 今まで教えてもらってた目標管理評価制度はもっと長かったでしょ?!」
「……え~と、あれは、私、『目標管理+評価制度』って覚えちゃったから……」
美宇が困ったような笑顔で舌を出した。
「内容を考えたら、いい覚え方かもしれませんね」
栗村は微笑むと、「この目標達成計画っていうのは一言で言うと、上司からアサインされた目標を達成するための具体的な行動計画のことです。正直、名前はどうでもいいんですけど、ここではベタに、〝目標達成計画〟としておきましょう」と続けた。
「はい……」
「わかりました!」
「上司から、目標をアサインされた部下は、その目標を達成するための目標達成計画を作ります。つまり、与えられた目標をどういう方法で達成するかは、まずは業務を行う部下本人が考えるということです」
「部下が目標達成計画を……」
未良が眉間にしわを寄せた。
「そうです。目標管理を評価に利用するためには、目標は上司がアサインするというお話をしましたが、やりがいや達成感を感じてもらうためにも、目標達成計画は部下自身に考えて欲しいんです。そして出来上がったものに対して、上司からもアドバイスや意見を与えて、最終的に、『これで行こう』と〝合意〟するんです」
「合意……ですか?」
「そうです、合意です」
栗村は頷くと、「『この目標をこういう方法で、こういう順序で、こういうスケジュールで達成する』という合意をするんです。……ちょっとこれを見てください」と、モニターを指差した。
「例えば、この図のように、部長がアサインした目標に対して課長が目標達成計画を作り、部長との間で合意したとしますね。そうしたら次に、課長がアサインした目標に対して担当者が目標達成計画を作り、課長との間で合意するということです。こうして高い役職から順々に合意の連鎖が下りていくと、経営目標と個人の目標が目標達成計画の合意によってつながり、組織全体のベクトルも揃うことになります」
「なるほど、たしかにそうですね」
「だからこそ、目標達成計画について合意し、上司としてコミットすることを重視して欲しいんです」
「コミット……ですか?」
「そう、上司も部下の目標達成計画の内容について、『これならいける』とお墨付きを与え、実際に作業するのは部下であっても、上司もきちんと環境整備等の協力や支援をする約束をするということです」
栗村はそう言うとゆっくり見回した。
「目標のアサインや目標達成計画の段階でこうしたことをきちんとやっておくと、評価の段階では楽になるし、不平不満も生まれ難くなります」
「最初に苦労しておけば後で楽になって、最初に楽すると後で苦労するっていうことですか?」
「そういうことです。もっと言うと、最初に楽して曖昧なまま進むと、評価の時に、上司と部下がテーブルの向こうとこちらで敵対するような雰囲気になることも多いのに対して、最初に苦労して合意できていれば、評価の時、テーブルの同じ側に座って、一緒に成果を確認するという雰囲気になり易いということです」
「そうなれたらどんなにいいだろう……」
未良が小さく首を振りながら言った。
「目標達成計画の作成や管理は、単に評価を行うための準備ではなくて、目標を共有し進捗を管理し、上司と部下のコミュニケーション、モチベーションアップを図る有効なツールでもあることを忘れずにいたいですね」
「そうか、評価のための準備と考えていては何だか義務感とか圧迫感ばかり感じちゃいますけど、それじゃもったいないですね」
未良が言った。
「そう、その通りです。最近は組織と個人の目標管理に特化したOKRなどが広がっていることを見ても、やはり目標と個人のやりがいとか達成感を重視したいという企業が増えているということでしょうね」
栗村が微笑んだ。
「あの~、ボクの場合、急に新しいサービスとか商品が出たりするので、最初に具体的な計画を作ることはなかなか難しんですけど……」
丹羽が手を挙げた。
「小さな変更なら仕組みの中で吸収する方法もあるけど、目標やビジネス環境に大きな変更がある場合には、やはり目標のアサインと目標達成計画の作成、合意は改めてするべきだろうね」
「やっぱりそうですよね……」
「そこは忙しくても面倒くさがらないでね……」
「私も始めに言われたことを頑張ってたのに、途中から、『あっちを優先して』とか、『先にこっちを手伝って』って言われて、結局、もともと言われていた目標を達成できなくて、低~く評価されちゃったことがあります」
美宇が両手で頬杖をつき、頬を膨らました。
「私も似たようなことありました!」
由貴も美宇を真似して、両手で頬杖をつき、頬を膨らました。
栗村は微笑むと、「……それと、アサインする相手のレベルによっても目標は変わります。未良さんがアサインする相手は担当者レベルの人が多いかもしれませんが、将来、高い役職の人にアサインする機会があれば、業務範囲が広い分、目標の抽象度も高くなる傾向があるでしょうね」と話した。
「『目標の抽象度が高くなる』……?」
「そう、……例えば担当者レベルの目標が、『〇〇月までにホームページを改修する』とか、『〇〇月までに〇〇人規模の顧客アンケートを実施する』、『〇〇についての競合他社の売上状況を把握する』など、具体的になっている一方で、その上司の目標が、『新商品の参入機会を探る』などとなっていることはあり得るでしょうね」
「……」
未良、由貴が頷くと、美宇も慌てて頷いた。
「目標の基本は、数値化や具体化、あるいは半年後、一年後に目指す具体的な状態ということになるんですが、役職が高い人に限らず、数値化、具体化が難しい場合は、目標と目標達成計画をセットで考えてもいいでしょう」
「目標と目標達成計画をセットで……」
「さっき、上司が目標をアサインしたら、部下が目標達成計画を作って、最終的には上司と部下で合意するって言いましたよね?」
「はい……」
「つまり、合意するまでには、上司と部下の間で具体的な進め方について話し合うことになりますから、目標に抽象的な部分が多少残っていても、その後、部下が作った目標達成計画をすり合わせたり、合意したりする過程がしっかりしていれば、誤解や衝突を生む余地はそれほど大きくないということです」
「ああ、仮に目標に曖昧さが残っていても、目標達成計画がしっかりしていればカバーできるし、その反対も有り得ると……?」
未良が嬉しそうに栗村を見た。
「そう、その通りです。でもそうしたことを意識しないまま、上司が抽象的な目標を放っておくと、目標達成計画も抽象的なものが出来上がっちゃうので、そこは注意してくださいね」
「わかってきた気はしてるのに、頭がパンパンになってきちゃった~」
美宇が肩をすくめておどけた。
「じゃあ、今日はそろそろ切り上げて、次回、目標達成計画の作り方について見ていきましょう」
「お願いしまーす」
「はーい」
翌日夕方、ワインバー。
「今日は目標達成計画の作り方ですよ」
「お願いしまーす!」
「まずはこの図を見てください」
「これは、目標達成計画の簡単なイメージ図です。特に赤字になっているところが、目標達成計画の中心で、与えられた目標に対して、何をどのように進めるのか、どういうスケジュールで実施するのかなどを、大項目、中項目、小項目にブレークダウンしながら書き込んでいくところです」
「あっ、出た! またまたブレークダウン!」
美宇が微笑んだ。
「確かに経営目標から個人目標にしていく時も、ブレークダウンするって言ってましたね! ……一般的には、アサインされた目標1つについて大項目を2~4個程度、大項目1つについて中項目を2~4個程度、中項目1つについて小項目を2~4個程度、スケジュールは小項目ごとに記入するというのが一般的なブレークダウンの形だと思います」
「目標が抽象的でも、目標達成計画を作って合意する過程がしっかりしていれば、評価の際、誤解や衝突が起こり難くなるというのは、こういうことをきっちりやりましょうということなんですね?」
「そうです、そうです! 未良さん、よく前回のお話を覚えていましたね」
栗村が目を細めた。
「この目標達成計画は、年に1回作るんですか?」
「そこは、会社の方針やビジネスにもよるし、正式な評価以外に、中間的な面談やONE ON ONEなどをどの程度入れるかにもよるでしょうね」
「そうですか……」
「どういう方法でやるにしても大切なのは、上司がアサインした目標に対して、まずは部下が目標達成計画を立案することです。もしも、『後でどうせ上司に直されるし……』という思いでやっつけ仕事で作ったら、自分なりの主張もやりがいも達成感も生まれず、結局、ただの作業リスト、ノルマ表になってしまいます」
「大きな違いですね……」
「私もそう思います」
栗村が頷いた。
「年に一回、目標達成計画を作る場合、いつ頃までに合意をする必要がありますか?」
「やはり、新しい評価期間がスタートする時点では、目標のアサインはもちろん、メンバー全員の目標達成計画が完成し、上司と合意できていることがあるべき姿ですね。そうすれば新評価期間の開始とともに、みんなで、『ヨ~イドン!』ってスタートできますからね。……でもそのためには新しい経営目標のブレーレクダウンや個人目標のアサインが、少なくても1カ月程度は前に終わっている必要がありますから、経営全体として取り組まないと難しいでしょう。それから、どこまでシステム化できているかも大切です。この2つが揃って、新評価期間のスタートとともにみんなで動き出せたら素晴らしいですね」
「そう思います……」
「ただ、無理して目標達成計画を作った直後に、大きな異動や組織改編があっては混乱するだけなので、それらを早く終わらせた上で、できるだけ評価期間の開始時期に遅れないようにスタートするということが現実的でしょうね」
「たしかに苦労して目標達成計画を作った直後に異動があったらつらいなぁ」
丹羽が言った。
「……多くの企業において評価期間を半年に設定して、それに合わせて目標のアサインや目標達成計画の作成も年2回実施してるけど、もともと経営計画は年1回のことが多いだろうから、効率化するという意味では、それに合わせて、『目標のアサインや目標達成計画の作成は年1回』、下期の目標達成計画は、『年間目標マイナス上期実績プラス微修正』、『評価は上期と下期の年2回』なんていうのもありだと思うよ」
「ああ、そうか! ありがとうございます!」
丹羽が納得した表情で言った。
「右側に黒字になっている、難易度、ウェイト、にぎり、合意日にはどんなことを書くんですか?」
「はい、これらは通常大項目ごとに、設定することが多いです。まず、難易度についてですが、計画した業務がその人の役職やグレードに比較してどの程度、高いか低いかというものです」
「部下が、『この作業は自分には難しいな、簡単だな』って判断するってことですか?」
「まあ、そうですね。……次にウェイトというのは、その項目がその人が抱える業務の中でどの程度のウェイトを占めているかということです。……にぎりというのは、その目標達成計画を上司と部下が合意する上での約束事や条件を意味しています。最後に、合意日というのは文字通り合意した日のことです。……これら黒字部分の詳しいことについては、後日、実例の中で触れていきましょう」
「はい、わかりました!」 「よろしくお願いします!」
ミラカ蝶脳ナギ
「営業二課のミッションを理解してるのか!」
田島が聞いた。
「……新商品、新サービスのローンチです」
「それがわかってるなら、早く予算でも分野でも種類でも制限でも、何でもいいから考える材料を持ってきてもらわないと……。こんな状態が続いて、結局何もできませんでしたねっていう評価になるのは勘弁してくれよ。再雇用者はただでさえ、意味なく給料をガクンと落とされてるんだからな!」
「涼本さんに言っても可哀そうよ。目標なんて、今までだってなかなか出てこなかったじゃない……。そんなことわかってるでしょ」
宝田が田島を制するように言った。
「どういう目標になるかは、もう少し待ってください。経営陣に確認していますので……」
「だから早くから言ってるんだ。どんどん上層部を動かして情報を引っ張り出さないと! 少なくても俺はそうやってきたんだ。……この会社は下からどんどん突っつかないと動かない。……再雇用組も評価対象になる以上、出来が悪ければ減給だろ? 頼むぞ、課長!」
「申し訳ありません。……田島さん、宝田さん以外のみなさんは、まだ今までのお仕事を少し抱えていると聞いていますので、まずはそれを続けてください。田島さんと宝田さんはアサインがはっきりするまで、他の方のサポートに回っていただけませんか」
未良は頭を下げた。
「俺はとっくに引継ぎ終わってるぞ」
四年先輩の土井はそう言うと、「田島さんもさあ、元部長なんだから、もっと行動で涼本さんに教えてあげればいいじゃない。どうして涼本さんが課長になったかはみんな知ってるんだから、無理言わない方がいいって……」と言い放った。
「土井くん、涼本さんはね、課長のポジションを打診された時、二つ返事で受けたんだ。だったらやるべきことやるのは当然だろ!」
田島が声を荒げた。
「今、時間に余裕のある人は、技術部とか開発部とかに話を聞きに行って、ビジネスシーズを見つけませんか?」
宝田が遮るように言った。
「ありがとうございます。とてもいいアイデアだと思います。宝田さん、申し訳ありませんが、その件、音頭をとってもらえませんか」
「わかりました。調整してみましょう。3日後のミーティングの時に、結果をご報告します」
「よろしくお願いします」
未良が深々と頭を下げた。
「情報を集めるだけじゃ、どんだけ時間があっても足りないぞ。整理、分析して持ってこさせないと……」
田島がスマホに視線を落としたまま言った。
「……わかりました。宝田さん、みなさん、できる範囲で整理、分析もお願いします」
未良が見回して言うと、「できる範囲か……」と田島が半ば吐き捨てるように言った。
未良はミーティングを終えた後、暫く立ち上がれなかった。
「未良、どうしたの?」
続く時間、会議室を予約していた同期の丹羽と舘野が入ってきた。
「あ、丹羽くん、舘野さん、……そっか、次この部屋、押さえてるんだね。ごめん……」
「大丈夫か? 顔色悪いぞ……」
丹羽が心配そうに聞いた。
「……大丈夫!」
「だって、課長だもんね。それだけ手当も貰ってるし……」
「おい、舘野……」
「何? だって事実でしょ?」
「……ごめん、その通りだね」
未良は小さく呟くと、パソコンを抱えて部屋を出ていった。
未良の実家は、古くから小さなクリーニング店を営んでいる。
「ただいま~」
「未良、お帰り! 久しぶりね」
母親が、お客から預かったワイシャツのボタンをはずしながら、嬉しそうに言った。
「うん、近くに用があったから、寄ってみたの」
「今日、ご飯食べて泊まって行ける?」
「せっかくだから、そうしようかな……」
未良が笑顔で頷いた。
「良かった~。お父さん、今配達に行ってて、もうすぐ帰ってくるから……」
「配達なんて始めたの?」
「そうなの。最近クリーニング使う人が減っちゃったから、三輪自転車を買って配達もするようになったの」
「お父さんもお母さんも身体強くないのに大丈夫?」
「大丈夫よ、気力は充実してるし、なんだか足腰強くなってきたみたい……」
母は、自分の太ももをパンパンと叩いて笑うと、「こっちは何とかやってるから大丈夫。それより未良はどうなの? ちょっと疲れて見えるけど……」と心配顔になった。
「そんなことないよ。……この間ね、会社で課長になったの!」
「出世したの?! すごいじゃない。おめでとう!」
「……ありがとう」
未良が照れ笑いを浮かべた。
「じゃあ、お父さんに連絡して、未良課長の好きな鰻でも買ってきてもらおうか」
母は満面の笑みで言うと、〝ミラカ蝶脳ナギ〟と父にメッセージを送った。
「よくあのメッセージでわかったね!」
未良が鰻を頬張りながら目を細めて言うと、
父は、「母さんの字はちっちゃいから、いつもスーパーの店員さんにそのまま見せてる…でも今回は店員さんも母さんのメッセージには首を傾げていたけどね。…『未良課長の鰻か』」と笑った。
食後、父は嬉しそうな寝顔で大いびきをかきだした。
暫くして母が古いアルバムを出してきた。
そこには、父と母と未良と、小さい頃に事故で亡くなった大好きな弟、翔の笑顔がたくさん詰まっていた。
そう言えば、何年か前、未良が落ち込んで突然実家に帰った時も、子どもの頃の思い出をとりとめもなく話してくれ、冷え固まった心が温かく満たされたせいか、未良はその夜、眠りながら嬉しそうに泣いていたらしい。
きっと母は、そのことを覚えていたに違いない。