(本記事は、クレイグ・アダムス氏(著)、池田真弥子(翻訳)の『賢い人の秘密 天才アリストテレスが史上最も偉大な王に教えた「6つの知恵」』=文響社、2022年12月8日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
「後部座席」の思考
人の心が事例から法則へ、いとも 容易 く飛躍する様子から、事例とは説得力ある論証の一形態だということがわかる。
しかし、わたしたちは、すべての事例を満遍なく考慮することが苦手だ。めったなことでは反証を探したりしないし、全事例の何パーセントくらいを検証して結論に至ったか考えることもない。
アリストテレスは当時から、帰納的飛躍が起こりやすいこと、それがいかにも本当らしく見えることに気づき、頭を悩ませていた。『トピカ』では次のように書いている。演繹に比べると、帰納は「より説得力がある」し、「感覚的に理解しやすく」「広く大勢の人に当てはまる」。
なお、アリストテレスによれば、帰納は「大衆に対して最も有効だ」。帰納によって群衆を説得するとは、どういうことだろうか?
人は皆、天性の資質ゆえに、例の七面鳥と同じように思考する。関連し合う事例が目の前にあれば、結論を急いでしまうのだ。計算エンジンが起動し、関連性がありそうだと熱心にほのめかす。データの有効性を延々と語る一方で、データを読む技術や、解釈の限界を顧みることはほとんどない。
パターンを見つけることにおいて、人は驚くべき能力を備えているが、そこには危険も潜む。そもそも不確かな機能であることに加え、どこか受け身なのだ。
パターン発見には十分意識的とは言いがたいところがある。自分で理論を「考える」わけではなく、パターンが向こうから目に飛び込んでくるという感覚があるのだ。類似性をパターンとして「体験する」。「考える」というより「気づく」ということだ。
パターンはほとんど勝手に発生する。これが、「後部座席の思考」だ。人の心は、押しつけがましく、ときには頼まれてもいないのに、パターンを見つけ、一般化してしまう。その手順や結果について、立ち止まって検証することはない。
パターン発見機能の自動性と、帰納の不確実性が組み合わさると、強力で使いこなすのが難しい上に、謎めいた思考法が完成する。
わたしたちは、この世界を理解しようという偉業に挑戦している。手元にはしるししかない。キノコに毒があること、誰かが憎しみの心を持っていること、アスリートの体内で才能が花開いていることを、直接見てとる手立てはない。
世界がもっとシンプルにできていればよいのだが、そうはいかない。わたしたちは表皮の色でキノコについて判断するばかりでなく、同じやり方で人間同士も判断する。なぜなら肌の色は一番目につきやすい。つまり、簡単に気がつくしるしであるため、何らかの類似性があれば、人は自信たっぷりに間違いを信じてしまうかもしれない。
パターン発見機能は、結論に向かって自動的に飛躍する。しかし、そのことを知ってさえいれば、最初に浮かんだ解釈に、疑問を持つことができるのだ。
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