(本記事は、クレイグ・アダムス氏(著)、池田真弥子(翻訳)の『賢い人の秘密 天才アリストテレスが史上最も偉大な王に教えた「6つの知恵」』=文響社、2022年12月8日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
記憶力は才能ではなくパターンである
テクノロジーのおかげで、膨大な情報を持ち歩けるようになり、現代ではショッピングリストや結婚式のスピーチ原稿といったものを暗記する必要はなくなった。そんな世界で、メモのひとつも見ずに1時間のスピーチをこなす人や、3年前のパーティーでたった一度会っただけなのに、相手の名前を覚えているような人に出会うと、わたしたちは大いに感心してしまう。
たくさんの日付やデータ、数字を造作もなく頭から引っ張り出すような芸当など、自分にはとうてい無理だと思うだろう。しかし、説得の技術がそうであったように、記憶も技術であり、わたしたちが考えているような魔法ではない。
プラトンの著書に、ヒッピアス*12というソフィストについて書かれたものがある。ヒッピアスは、人の名前を50人分、一度聞いただけでよどみなく 諳 んじてみせよう、と自慢していた。これに対し、ソクラテスは、「なるほど。あなたの記憶術を忘れていた」と返した。ソクラテスが暗に伝えたかったのは、ヒッピアスが鼻にかけている能力など誰にでも習得可能ということだ。
古代ギリシャにおいて、記憶術は、シモニデス*13の発明と考えられていた。伝説によれば、ある祝宴に出席していたシモニデスは、ほんの一時だけ中座した。そのとき地震が起き、宴席にいた人々は建物に押しつぶされてしまったという。遺体の損傷は激しく、身元の判別ができないほどだった。そこで、たった1人の生存者として、シモニデスには死者を合葬という不名誉から救い出すという重責がのしかかった。誰が宴席にいたか、さらには屋根が崩落した瞬間、どこに座っていたか、正確に思い出すことさえできれば……。
シモニデスが見せた天才的ひらめきは、パターンを使えば記憶を想起できる、と思いついたことだった。
もし、その日の 宴 がカクテルパーティーやディスコであったなら、シモニデスも頭を抱えていただろう。列席者たちは 混沌 とした会場内を動き回るからだ。けれども、その日の宴席はバンケットだった。バンケットでは、皆が決まった席につく。席順を思い出すことで列席者の名前も思い出しやすくなることに、シモニデスは気づいたのだ。
シモニデスは、このとき得た洞察を練り上げ、「記憶の宮殿」を発案した。まず、馴染みのある具体的な場所を頭の中にイメージする。その場所に、覚えたいものをパターン化して配置することで、思い出しやすくするというのだ。
記憶術の例は他にもある。例えば虹の色。虹の色を指す、赤(red)、 橙 (orange)、黄(yellow)、緑(green)、青(blue)、藍(indigo)、紫(violet)は、互いに関連性のない7つの単語だ。しかし、この7つの単語がひとつのまとまりとして頭に入ってくるよう、文や成句を作るのだ。各色の頭文字をとって、アメリカでは架空の人物Roy G.Biv、イギリスでは“Richard Of York Gave Battle In Vain(ヨーク公リチャードは攻撃を仕掛けたが無駄だった)”という文あるいはストーリーとして親しまれている。
何かを覚えるために、歌を作ることもある。歌のリズムと韻のパターンは、頭に残りやすいからだ。子どもの頃、アルファベットの順番や人体の骨格を覚えるために歌ったことはないだろうか。
今日に至るまで、記憶術は大きな進歩を遂げてきた。人の思考の仕組みを生かしたあらゆる記憶のテクニックが開発された。現代には記憶の宮殿や頭文字以外に、もっと進歩した技法だってある。おかげで、トランプのカードをすべて暗記する、歴代アメリカ大統領やワールドカップ優勝国の長いリストを覚える、終わりのない驚異的な桁数の円周率を諳んじる、といったことも可能になった。
大切なのは、記憶も説得も、それぞれが決まった仕組みの中で機能しているということだ。そこに個人差はない。脳の機能は基本的に人類共通だからだ。どちらのスキルもパターンの構造を理解すれば習得できる。
そのことに気づいたギリシャ人は、生まれつき備わっていた能力を受け入れるだけでなく、知性には自ら手を加え、錬成することができると悟ったのだ。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます