(本記事は、ジョン・フィッチ氏(著)、マックス・フレンゼル氏(著)、ローリングホフ 育未氏(翻訳)の『TIME OFF 働き方に“生産性”と“創造性”を取り戻す戦略的休息術』=クロスメディア・パブリッシング、2023年3月31日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
バカげたアイデアも抱きしめよう
僕たちから遊びを奪ったら、どうなるだろう?
きっと最悪だ。遊ぶことは、バランスの取れた食事や適切な睡眠と同じくらい大事なものだからだ。
ステュワート・L・ブラウン博士は、人間のライフサイクルでの遊びの役割、そして人間と動物の進化にとって遊びがおよぼす影響に興味を持ち、多くの時間を研究に費やしてきた。
ブラウン博士は「ナショナル・インスティテュート・フォー・プレイ(遊びのための国立施設)」という非営利団体を立ち上げ、遊びについての知られざる知識や実践、効果などを広く紹介している。
ブラウン博士によると、大人は遊ぶ時間が少ないと「積極的な人生の取り組みが欠落し、楽観的でなくなり、どん詰まりだと感じやすくなり、その状況を抜け出すための冒険心あふれた想像や好奇心も湧きづらい。そしてその場しのぎの解決法で逃避してしまう」そうだ。
遊ばないことの大きな弊害は「人生の犠牲者だと感じるようになり、克服しようと思えなくなる」ことだという。周りを見て気がつくのは、遊びの欠落によるこの症状は大人の世界ではけっして珍しくないことだ。
未熟なことの印として遊びを捉える人もいるし、遊び心にあふれた行動をバカげているとか、生産的に過ごせるはずの時間を無駄にしているとか考える人もいる。
映画『夢のチョコレート工場』で、ウィリー・ウォンカが卵の選別機「エッグディケーター」がいかに素晴らしいか披露したところ、ソルトさんがそれを批判する場面がある。
「こんなのバカげている」というソルトさんに対し、ウィリー・ウォンカはこう返す。
「賢い人ほど、ときどきバカげたことを楽しむものさ」
このセリフには、誰かにとってはバカげた遊びでも生産的なことだってある、縛りがなくイマジネーションにあふれた考えは突破口に導いてくれるといった、多くの知恵が詰まっている。
脳科学専門精神科医であるエドワード・M・ハロウェルが言うには、多くの著名なクリエイターたちは遊んでいるときにたくさんの発見をしたらしい。
「コロンブスは遊んでいる途中で地球は丸いのだと気づき、ニュートンは心を遊ばせていたときにリンゴの木を見て重力の法則を思いついた。ワトソンとクリックはDNA分子の形にはどういうのがあるかなあと遊んでいたときに、二重らせんにたどり着いた。シェイクスピアは弱強五歩格のリズムを生涯、楽しんだ。モーツァルトは起きている時間はほとんど遊んでいた」
イノベーションが起こるとき、僕たちは理想と現実を探検している。
子供たちが柔軟性、包括力、想像力を遊び場で育てるということはすでに話した。まさにユートピアにいるかのような心がまえだ。
そんな子供たちを見ていると、より良い、違う未来を作らなければならない、と思える。
世界全自動温度調節機について校庭でジョンに話してくれた子供たちはバカげてなんかいない。素晴らしいのだ。
厳密さや分析するスキルはまだないかもしれないが、そういうアイデアを持てるだけでも、ほとんどの大人より偉い。
バカげたアイデアも、不可能なことでも、取り組み方さえ間違えなければ、ひらめきへのスタート地点になるのだから。
思考実験とは、物理法則を破ったり、現実の世界を劇的に単純化したりする仮想シナリオのことだ。
たとえばアインシュタインが、光線の上に自分が座っているところを想像したように、思考実験は科学に多くの飛躍をもたらした。
これは、科学には遊び心が欠かせない例のひとつである。優れた科学者こそ、バカげたアイデアを賞賛し、大切にしているのだ。
先ほど紹介した発達心理学者のアリソン・ゴプニックはこう述べる。
「子供たちが小さな科学者、というわけではありません。科学者が大きな子供なのです。実際、科学者というのは大人になって遊んでいても怒られない数少ない存在です。世界について考えるために探検し、遊ぶための時間が確保されるのですから」
科学者と実際に話したら(とくに著名な科学者と話せばわかると思うのだが)、ある種の洗練された遊びにたくさんの時間を費やしているとわかるはずだ。
どんな仕事をしていようと、大きな子供になることはできる。子供の遊び心から学ぼう。
環境や社会経済の問題に直面する現代社会では、とくに遊びが不可欠だ。
現状のさまざまなギャップを狭めるために、そしてより良い世界を築くために、遊ぶ場所と時間を確保しよう。
旅行ライターのロルフ・ポッツは著書『旅に出ろ!―ヴァガボンディング・ガイド』(ヴィレッジブックス 2007年)で次のように述べる。
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