「最速165キロ」、「大谷ルール」はこうして生まれた 栗山監督と大谷の一風変わった師弟関係とは
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(本記事は、中溝 康隆氏の著書『プロ野球から学ぶ リーダーの生存戦略』=クロスメディア・パブリッシング、2023年3月31日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

稀代の天才へ向けた常識に囚われないマネジメント術

指揮官の著書『「最高のチーム」の作り方』(ベストセラーズ)は、大谷が史上初の投手と指名打者でのベストナインを同時受賞した16年シーズンを振り返ったもので、二人三脚でNPBを駆け抜けた栗山監督が語る大谷エピソードは、もはや歴史の証言のようですらある。

例えば、16年7月3日ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)で大谷を「1番・投手」で起用した試合前、栗山監督は本人を呼んでこう話したという。

「オレも翔平も、負けたら相当批判されるからな」

すると何も答えず「わかってますから」という様子で部屋を出て行った背番号11は、プレイポール直後、先頭打者初球ホームランを放ってみせるのだ。しかも、スタンドインを確信すると、走るスピードを極端に落としゆっくりとホームまで帰ってきた。

1回裏のマウンドに向け、少しでも体力の消耗を避けるためだ。球場やテレビの前のファンが「まるで漫画!」と興奮している中、その世界の中心にいる男は一人だけ冷静だったのである。

ちなみに大谷を1番起用した理由を栗山監督は、「打順が何番にせよ、ネクストバッターズサークルで待たせるくらいなら、先に打たせて、投手の準備をさせる方が逆に楽だろう」と振り返っているが、どれだけ球界OBから批難されても心折れなかった、常識に縛られない思考があの伝説の試合をアシストしていたのである。

優勝マジック1で迎えた16年9月28日の西武戦(現:ベルーナドーム)、大谷は1安打15K完封勝利でチームをリーグ優勝に導き、人々はあの投球を「神がかっていた」と評したが、栗山監督に言わせれば「これが大谷翔平」だった。

プロの世界でも、大谷が大谷らしいピッチングをすれば誰も打てやしない。指揮官はそれだけ規格外の才能だと認め、信じ、時に突き放し、育て上げたのである。コーチからは「翔平への愛を出し過ぎです」なんて指摘されたが、同時に「監督がやりたいことは、翔平が一番わかっていた」と周囲が理解する関係性だった。

ソフトバンクと戦ったクライマックスシリーズ第5戦、勝てば日本シリーズ進出という状況において、3番DHでスタメン出場していた大谷は、試合中盤にベンチ裏のトイレから出てきた際に栗山監督と目が合う。

そこで大谷は声には出さないが、DHからマウンドへ「いつでもいけますよ〜」的な空気を出してきたという。そしてボス栗山も「面倒くさいやつだなぁ〜」的な雰囲気で対抗する。いやいや付き合いたての高校生カップルじゃないんだからと突っ込みたくなる阿吽の呼吸で、背番号11は3点差の9回表にマウンドに上がり、NPB最速を更新する165キロを投げてみせるのだ。

部下が上司を育てることもある

プロ入り直後は、多くの大御所の野球評論家から「無謀」「プロ野球を甘く見るな」なんて批判された二刀流プラン。あの当時の喧噪を振り返ると、新日本プロレスの〝100年に1人の逸材〞棚橋弘至にインタビューをした際に聞いた言葉を思い出す。「プロレス界の過去の偉大な選手の言葉にはもちろん耳を傾けなきゃいけない。けど、時間が止まっちゃってる部分がどうしてもあるな、と。野球も同じで、今、現役のプロ野球選手が言う言葉こそ、一番説得力があると思います」

通算2000安打や200勝した名プレーヤーたちはたしかに偉大だ。けど、今日も明日も現在進行形でグラウンドで戦う、選手や監督のプレーや言葉にこそ圧倒的なリアリティがある。栗山監督と大谷翔平の日本ハムでの6年間は、球界の慣習や常識と戦い、それを一つひとつ潰して新しい価値観を創造する道のりでもあった。それでも、栗山は自著『育てる力』(宝島社)の中で書く。「大谷を育てたのではない。むしろ、私が育てられたのだ」と。

上司は部下を育て、同時に部下に育てられる。

我々は組織の中で煌めく人材と出会った時にどうするべきか?

時に会社のルールを変えてでも、その才能をモノにする覚悟と断固たる意志を持てるかが勝負を分ける。栗山監督は未来ある若者を守るために、外出完全許可制の「大谷ルール」を実施した。

過保護だという声もあったが、本人よりも、連れ出そうとする大人たちを制限する狙いがあった。付き合いで夜の街に連れ回されてその才能が潰されないよう、万全を期したのである。大谷もそれを理解して、メジャー移籍する直前まで先輩にも平然と「食事には行きますが、飲みには行きません」と答えたという。

あいつは自分が向かうべき場所とやるべきことを知っているーーー。

2023年、日本代表監督としてWBCを戦った栗山のチームの中心にいたのは、世界最高の野球選手となった大谷翔平だった。

生存POINT
先人たちは偉大だ。だが、時に「慣習」や「常識」を疑え。
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中溝 康隆
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。ライター兼デザイナー。
2010年より開設したブログ『プロ野球死亡遊戯』が人気を博し、プロ野球ファンのみならず、現役選手の間でも話題になる。『週刊ベースボールONLINE』『Number Web』などのコラム連載の執筆も手掛ける。
主な著書に『プロ野球死亡遊戯』(文春文庫)、『現役引退──プロ野球名選手「最後の1年」』(新潮新書)、『プロ野球 助っ人ベストヒット50 地上波テレビの野球中継で観ていた「愛しの外国人選手たち」』(ベースボール・マガジン社)、『キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー』(白夜書房)などがある。

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