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儲け:利益は現場でもわかりやすく。
「売上の拡大よりも、利益を重視すべきだ」。よく耳にする言葉であるが、ある意味において、同感である。最近の経済情勢を考えると、とみに実感されている経営者が多いと思う。
だが一方に、売上を上げるために「利益」を度外視して、むやみやたらに固定費を膨らませたり、ムリな設備投資をやってしまったりして、引くに引けない状態に陥っている企業は、いまでもけっこう多いのである。
いまだに、戦後から長く続いてきた「つくれば、売れる。売れれば、儲かる」という売上至上主義の幻想の虜になっているのだ。
さすがに「売上を上げると後から利益はついてくる」と単純に考えている経営者は少ないと思うが、現場に向かって「売上を上げよ!」とハッパをかけてしまうのは、なぜだろうか?
一つに、現場の成果指標として「売上」はわかりやすいが、「利益」はわかりにくいという問題がある。
一口に「利益」というが、その人が口にしている「利益」とはいったい何を指しているのか。具体的にどのようにして算定するのか。どうすればその利益を獲得することができるのか。等々を考えると、決して容易ではないことがわかる。
さらに、「利益を重視する」ということは、顧客の「利益」に反することにならないだろうかという問題に直面する。つまり、「売上」は顧客の支持によって得られるが、「利益」を出すには厳格な社内管理が必要となるからだ。
その時、管理の視点を間違えてしまうと、顧客の「利益」との対立が生まれ、いずれは顧客の支持を失う結果に陥ってしまうことになろう。
たとえば、値決め(あるいは客単価)をどのレベルに設定するかは、利益に最も大きな影響を与える。
売値を10%上げるだけで、儲けを倍にすることも可能だ。
しかし、客単価を上げると、顧客の不満を引き起こすことになりかねないのだ。また、コストを削減すると「利益」は出るが、顧客の感じている価値を減少することにつながらないだろうか。また、「利益」貢献したいと考えても、現場において「利益」計算に慣れていないという事情がある。
売上指標は明確であっても、「利益」指標は不明確で徹底されていないのが企業の現状なのだ。
このように考えると「利益重視の経営方針」を貫くには顧客満足との相反あるいは「利益」指標の不明瞭さなどという複雑な問題について、しっかりと対処する必要がある。
顧客満足と利益重視の二項共存はどうすれば可能か、現場でもわかりやすい「利益」の方程式をどのように構築するか、大きな経営のテーマである。
儲け:価値観のレベルが軸足の質を決める。
もぐら叩きに終始し、疲労困憊している企業にひと言。自社の「軸足」チェックを怠っていないだろうか。
「過去の延長線上に、いまや未来はない!」パラダイムシフトが浸透している時代だ。この見解に異をとなえる経営者は、さすがに少なくなった。
だが、しかしである。いまだ多くの経営者が未来の成長シナリオを描けないまま、過去のツケに振り回されている。いままでの業界を支配していた秩序や世の中の常識が崩れていく中で、個の自立性や主体性が求められるようになって久しい。しかし、主体的な個の台頭は十分とはいえず、あらゆる業界の停滞感の一因となっているようだ。
業界丸ごと儲かる仕組みの中で横並び意識に慣らされてしまい、業界のパラダイムに自らの「軸足」は支配され、主体性の発現とは無縁な環境があったようだ。自己の「軸足」がどこにあるのか、それをチェックする必要性すら、長いこと気づかずにやってきた。
自らの「軸足」とは、立脚点のことだ。自己の存在性の「拠りどころ」であり、「自らの人生の価値基準」となるものだと言ってもよい。
環境への迎合にばかり気を取られ、没個性化し、自己チェックができないようでは崩れ去る秩序と共に自壊するしか方法はないではないか。いまからでも遅くない。現象を引き起こしている本質的な事に目を向けるべきだと思う。
もっとも本質的な質問は、①「仕事とは何か。なぜ、この仕事は必要とされているのか」であろう。次に、②「なぜ、この仕事に関わっているのか。その必然性はどこにあるのか」であろう。さらに、③「この仕事において、自己の存在を支えてくれている実体は何か」を問う。
「軸足」を定めるということは、自分の価値を自分で決めることである。それは、自分が未来に向かってもっとも成長していける場所の選択ともいえよう。さらにいうと、覚悟の決め方ともいえる。
「軸足」が定まると、環境の変化に惑わされなくなる。なぜかというと、主体性が確立され、ブレがなくなるからだ。価値ある環境との出逢いを模索し、その関係性を深めていくことが可能になる。
だから、いつも生産的だ。生産的であるがゆえに、良好な関係性が持続し、そこに良循環が生まれる。
「軸足」は、価値の選択であり、それは価値観によって定まる。つまり、その人の価値観のレベルが、その人の「軸足」の良否、質のレベルを決めるといえよう。