スコッチウイスキーの薫香をたどって
(画像=Dima/stock.adobe.com)

(本記事は、中村 隆文氏の著書『スコッチウイスキーの薫香をたどって』=晃洋書房、2021年9月30日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

「田舎の酒」→「紳士の酒」

イギリス政府は広告に対する課税を1853年に廃止し,1860年には蒸留酒をボトルに詰めて売ることを許可した(それまでは大きな樽もしくは甕での取引しか認めていなかった)。樽や甕でしか販売されない時期には,ほとんどの市民はパブへ行って飲むくらいしかできなかったが,ボトル販売が解禁され,市民は各自でそれを購入し家庭で好きなときに飲むことができるようになった。このボトル販売はビジネスチャンスでもあるのだが,同時に,エール(ビール),ラム,ジンといった他業界との熾烈な競争の幕開けでもあった。こうした自由市場と競争のなかスコッチ業界が生き残るためには,イメージ戦略を駆使し一般市民へと訴えかけることで,その関心をスコッチに惹きつけなければならない。歴史的に,大量生産・大量消費型社会の到来は,広告業界を活性化もしてきた(今は,反大量生産・反大量消費のもと「エコ企業」といったイメージ戦略としても広告の役割は大きいのだが)。そしてスコッチ業界はその波にのった。

デュワーズ社は1883年に,バグパイプ演奏者がキルトを着用しているブレンデッドウイスキーの広告をだし,スコットランドらしさを強調した(デュワーズ社は1898年には世界で最初の映画上映内広告をだしている)。他にも,マッカランの広告には,釣りの名所スペイサイドらしくフィッシングしている絵が描かれており,工業化が進んだイングランドとは異なる「牧歌的なスコットランド」のイメージが打ち出されている。実際,鉄道網の発達によって19世紀半ばからはスコットランドを訪れるイングランド人が増えており,スコットランドは田舎ではあっても,かつてのような近代以前の不毛な痩せた土地というイメージではなく,都市化したイングランドが失ってしまった「古き良き時代の原風景」というイメージが打ち出された。そうした象徴の一つがスコッチであり,スコッチもまたそのイメージの一翼を担うと同時に,自らが作り出そうとしたそのイメージを利用することでマーケットでの競争を生き残ろうとした。

昨今では,スコッチは「紳士の酒」「違いが分かる人の酒」といったクールなイメージも浸透しつつある(007のジェームズ・ボンドなどもスコッチを飲んでいる)。

スコッチウイスキーの薫香をたどって
(画像=『スコッチウイスキーの薫香をたどって』より)

禍転じて……?

もう一つは,スコッチの品質保証とイメージアップを,イギリス政府の禁酒主義的風潮が─結果的にではあるが─後押ししてくれたこともある。前述の1915年に設けられ‘the Immature Spirits (Restriction) Act’は,スコッチの熟成期間を2年以上と定めたがそれは本来市場に出回るスコッチの量を規制するためのものであった。しかし,それは逆に,それを守って作られた合法のスコッチは「きちんと熟成された素晴らしいお酒」というイメージを与えることにもなった。「スコッチってのは安物の酒で,しかもかつては密造・密輸していたんだよな……」という当初の印象が,業界の法規制遵守によって良いイメージへと転換されたわけである。

さらに極めつけは,洗練された樽熟成の手法である。シェリーやワイン,ラム酒などさまざまな業界へとアンテナを張りめぐらせ,そこから仕入れてきた樽の組み合わせでつくられる芳醇なスコッチウイスキーは,伝統を守りながらも,目の前の障壁に立ち向かうべく新たなことにトライしつつ時代を切り開くスコットランド人のスピリッツの象徴ともいえる。

クセがあるのがスコッチ?

スコッチが生き残ったさらに別の理由としては,他のライバルウイスキー(アイリッシュやバーボン)との差別化,すなわち,その「クセの強さ」を売りにしたという点もある。それが,泥炭である「ピートpeat」の積極的な活用である。スコットランドは冷涼な気候でありバクテリアが植物を分解するスピードよりも植物が枯れて堆積するスピードが速く,それが濃縮した泥炭(ピート)が地層をなす土地柄である。これは一種の化石燃料であり,石炭採掘以前の時代には伝統的にそれで火を起こすことで暖をとったり料理をしたりしていたし,また,戦争で石炭が不足している際にもそれが用いられていた。ウイスキー作りには,でんぷん質を糖化させるための酵素をもつモルト(麦芽)が不可欠であるが,そのモルトは大麦を発芽させてちょうどよいところで生育をストップさせねばならない。発芽しなければ酵素は活性化しないのだが,発芽させすぎると麦芽そのもののでんぷん質が芽の伸長に使用されるので糖化するためのエネルギーが残されなくなってしまい,まともなウイスキーができなくなってしまう(ビール造りも同様である)。ゆえに,大麦に水を与えて芽を出させ,その途中で火を使って乾燥させるのだが,まさにこの目的からピートが使用されてきたのである(ただし,近代に入ると石炭やガスの使用も増加してゆく)。

ピートはその土地の植物や大気,水分を含んでいるので,それによって乾燥させられた麦芽は独特なニオイを帯び,そこからつくられたウイスキーもまた独特の風味を帯びる。もちろん,すべてのスコッチがピートを使用しているわけではない。マッカランやグレンモレンジのようなスムースなウイスキーのようにノンピートのものも珍しくない(しかしかつてはマッカランであってもピートが使用されていたと言われている)。他方,「スコッチといえばピート臭だろう」と考える人も多く,それを体現したかのようなものとして「ラフロイグ」や「アードベッグ」などもある。ピートに頼らずとも効率的に麦芽を乾燥させることができる現代においてすら,スコットランドウイスキーの伝統であるピート臭を何らかの形で残し続けていこうとする風潮はいまなお残っている。スコッチが,アイリッシュウイスキーやアメリカンウイスキー(バーボン)とは違った「クセのあるお酒」というのはここに由来するわけで,「スコッチ」というものは多種多様な事情と苦労の積み重ねによって生じてきた歴史の産物といえるだろう。

スコッチウイスキーの薫香をたどって
中村 隆文
神奈川大学国際日本学部日本文化学科教授。1974年(昭和49年)、長崎県に生まれる。千葉大学文学部卒業。千葉大学大学院社会文化科学研究科日本研究専攻博士課程修了。博士(文学)。鹿児島工業高等専門学校講師・准教授、釧路公立大学准教授などを経て現職。専門、英米哲学思想、リベラリズム、法哲学。著書『不合理性の哲学』『カラスと亀と死刑囚』『自信過剰な私たち』『「正しさ」の理由』『リベラリズムの系譜学』『世界がわかる比較思想史入門』『スコッチウイスキーの薫香をたどって』など。

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