スコッチウイスキーの薫香をたどって
(画像=kazu/stock.adobe.com)

(本記事は、中村 隆文氏の著書『スコッチウイスキーの薫香をたどって』=晃洋書房、2021年9月30日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

「ロック」は珍しい?

私の経験則であるが,日本のパブやバーにおいて,「スコッチをロックで!」という注文はかなり多く耳にする。実際,私も夏の暑い時期や,やや暖房が効きすぎているバーではそうした注文をする。日本はとくに蒸し暑いところも多いのが一つの理由であろうが,氷をふんだんに使うコールドカクテルやオンザロック(ス)の発祥であるアメリカの影響を受けているということもその背景にはある。ただし,この「ロック」は,イギリスではそこまで一般的ではなく,そうしたオーダーが通じる場所もあればそうでないところもある。アメリカからの観光客がわりと多いグラスゴーやエディンバラでは通じるところもあるが,ルイス島やオークニーの片田舎のパブではあまり通じないし,ハイランドでも場所によってはまちまちである(インヴァネスで「ロック,プリーズ」と言ったときにはきょとんとされた)。一般的には「ウィズアイスwith ice」と言った方が無難である(ときどき,「キューブcube」で通じるときもあるが)。しかし,それでもちょこんと小さな氷を一個入れられるのが普通である。もちろんそれには理由がある。

基本的に,ブリテン島北部に位置するスコットランドは平均気温がわりと低い。夏も涼しいので,そもそもロックアイス(岩のように大きな氷の塊)はそこまで必要とされない。よく「アイルランドではギネスは常温で飲む」と言われるが(とはいえ,最近は若者向けのギネスエキストラコールドというキンキンに冷えたものもあるが),これはスコットランドにおけるスコッチについても同様である。ブリテン島やアイルランド島は,アメリカの砂漠地帯のように熱くもなければ,日本の夏のように蒸しているわけでもないので,夏でも常温でビールやウイスキーを楽しめるし,むしろ,無理に冷やして飲むよりもそちらの方が風味を感じることができて美味しい。

そういうこともあって,スコッチを頼んで“With ice, please”と言っても,ロックグラスに入れてもらえる氷は小さな氷のかけらが一つ程度である。ルイス島のとあるパブでロックを頼んで,氷がちょこんとしか入ってなかったので私が「もっと入れてくれない?」と言ったところ,バーテンダーが「いや,それって薄くなるし,香りがしなくなってしまうぞ。いいのか?」と返されたことがある。オーバンのパブで9月上旬のいい天気だったので氷をたくさん入れてもらって─つまり日本版「ロック」で─地元スコッチ「オーバン14年」を飲んでいたとき,隣の客と仲良くなって「何を飲んでるんだ?氷を入れてるけど,それはカクテルか?」と言われて「いや,スコッチだよ。日本ではわりとふつうだよ」と答えたら,「No!そりゃスコッチの飲み方ではない!」と言われたこともあった。

水割りもいける?

一般的なスコッチのテイスティングのお作法とは下記の通りである。まずはストレートで,① そのままの色をグラスから眺め,② 鼻先で香りを楽しみ,③ 舌先で軽く触れ,舌の奥にゆっくり少しづつ流し込み,④ その後の芳香を鼻腔で楽しむのが基本である。そして,ストレートをしばらく楽しんだら,ウイスキーに水を加えるのだが,これはせいぜい1対1程度までである(これを「トワイスアップ」という)。あまり水を入れすぎると味わいが消えてしまうからだ。しかし,「水割り」といって侮ることなかれである。驚くべきは,水を少量加えるだけでウイスキーが「甘く」なることである。もちろん,実際に糖分が増すわけではないのだが,強いアルコール刺激でそれまで隠されていた麦の甘みと樽の芳香が,加水によって和らげられた途端に花が開くように表に飛び出してくるという感じだろうか。ピート臭が強いアイラモルトの「ラフロイグ」や「アードベッグ」でさえもそうすると甘く感じるので,まだ試していない人はどうか試してほしい。

スコッチウイスキーの薫香をたどって
(画像=『スコッチウイスキーの薫香をたどって』より)

ハイボールもいい感じ

では,スコットランド人がパブでスコッチを飲むときはストレートもしくは水割りしかないのかといえば,そうとは限らない。スコットランドでもハイボールやコークハイも当然ある1)。ただ,スコットランドの若者だからといってスコッチを飲むとは限らないわけで,わりと多くの若者たちがアメリカ人のようにジャックダニエルズをハイボールにしていたり,なかにはそれをコークハイにしている人もいた。それでも,数人がスコッチでハイボールを注文していたので,私が「それは何?」と聞いてみると,「カティサーク」や「フェイマスグラウス」や「デュワーズ」といったブレンデッドであった。個性的なスコッチのシングルモルトよりも,スムースなブレンデッドや,あるいは華やかなバーボンが一般的にはハイボールとして飲まれる傾向にあるようだ。

デュワーズ(Dewar’s)のホームページでは,ハイボールの起源は1891年のニューヨークで,創業者トミー・デュワーズがサロンでスコッチを注文したときにグラスが低かったので「もっと背が高いグラスを」ということで“high ball”と言ったことに由来する,と紹介されている(本書執筆時点では)。しかし,サントリーのホームページでは,スコットランドのゴルフ場で当時珍しかったウイスキーソーダ割りを試しているところで高々と打ち上げられたゴルフボールが飛び込んできたのが由来である,とも説明されている。この二つはそれぞれ異なるものの,ハイボールについてのスコッチ由来説ともいえるものである。他には,アメリカのセントルイスの機関車の信号係がバーボンのソーダ割りが好物であり,出発の合図としてボールを高いところに打ち上げる信号機を操作する際,その合図のたびにバーボンソーダを飲んでいた,というバーボン由来説もある(ウイスキーソーダを意味する「ハイボール」という語が文献上登場したのは1898年のNew York Journalであるが,それ以前のアメリカには,機関車の運転手が出発の合図としてボールを高い位置に吊り上げる信号機がすでに存在していた)。いずれの説も確たる証拠が残っているわけではない。ただ,コールドカクテルをはじめとするアイストドリンク(iced drink)そのものがアメリカで盛んであったことを踏まえると,このバーボン由来説はわりと説得力があるようにも思われる(とはいえ,それはあくまで仮説にすぎないので,スコッチ由来説を捨てなければならないほどの根拠もないのだが)。


1) ただし, 私が見る限り 若者の多くは冷たいビールやサイダー (シードル)を好んでいたようで、何人かの若い女性客はアイリッシュサイダーを飲んでいた。

スコッチウイスキーの薫香をたどって
中村 隆文
神奈川大学国際日本学部日本文化学科教授。1974年(昭和49年)、長崎県に生まれる。千葉大学文学部卒業。千葉大学大学院社会文化科学研究科日本研究専攻博士課程修了。博士(文学)。鹿児島工業高等専門学校講師・准教授、釧路公立大学准教授などを経て現職。専門、英米哲学思想、リベラリズム、法哲学。著書『不合理性の哲学』『カラスと亀と死刑囚』『自信過剰な私たち』『「正しさ」の理由』『リベラリズムの系譜学』『世界がわかる比較思想史入門』『スコッチウイスキーの薫香をたどって』など。

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