スコッチウイスキーの薫香をたどって
(画像=anaumenko/stock.adobe.com)

(本記事は、中村 隆文氏の著書『スコッチウイスキーの薫香をたどって』=晃洋書房、2021年9月30日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

お酒は食物から

「スコッチ」と一言でいっても,それはバラエティーに富んだものであり,それを生み出す風土的な要因が大きく関わっている。そもそも,人々が日常的に嗜む地元のお酒(地酒)というものはその土地の主食や主産品の原材料からつくられる。小麦からは白ビールやウォッカ,大麦やライ麦からはビール・ウイスキー・ジン,じゃがいもからはアクアビットやジン(それにウォッカも),さとうきびからはラム酒,米からは日本酒や紹興酒や米焼酎1),高粱(もろこし)からは白酒,さつま芋からは芋焼酎など,人々はその土地で普段食べるものやその栽培を主要な産業とするものからお酒を造ってきた。

もちろん,主食となるこれら穀物やイモ類─あるいは養分をもった根や地下茎─以外からでもお酒はつくられる。たとえば,リンゴからはシードル(サイダー),プラムからはスリヴォヴィッツ,リンゴやプラムや杏や洋梨といった各種フルーツから作られるパーリンカなどさまざまである2)。それに,文化的交流のもとグローバルに普及したお酒もあるわけで,その代表格といえばやはり「ワイン」であろう。それらはローマ帝国以前からヨーロッパに存在しており嗜好品でもあるのだが3),それだけではなく,まさに「生命を繋ぐ水」として人々の命綱であった。汚れていない飲料水が手に入りにくい時代(さらには冷蔵庫などがなく,水の保管もままならない状況)では,アルコールを含むドリンクは飲料水代わりとして重要なものであったのだ(アルコール分を含むワインに,生水を入れて薄めて飲むやり方も実際になされていた4))。

歴史的には,ヨーロッパのキリスト教化のもと,ワインは「イエスの血」として聖餐(最後の晩餐にちなんだキリスト教の儀式)の際に広く用いられるようになる。ヨーロッパ文化とワインとは切っても切れないのだ。しかし,ワインというものはイングランドやスコットランドで手広く生産されるお酒ではなかった。というのも,そもそもブリテン島は冷涼な気候であり,また,南欧とは異なり,晴れた日が長く続くことはそうそうないからである。とりわけスコットランドのハイランドと呼ばれる地方は,岩場や岩山だらけで,農業には明らかに不向きである。農業技術がそこまで発達していない時代,ワインの原材料たるブドウの収穫量は望むべくもなく,ワインはフランスから輸入されるクラレット(ボルドー産ワインのこと)が人気ではあったものの,それは王侯貴族と教会関係者,あるいは或る程度裕福な人たち向けのものであった5)

モルトとグレーン

普通のスコットランド人たち(農民,職人)は,冷涼で荒れた土地でも育ちやすい大麦もしくはオーツ麦(oats)を主食としていた。それをおかゆで食べる習慣は今でも残っているのだが(いわゆる「ポリッジ」),一般市民が飲むお酒はそうした主食を主原料としたものに頼るしかない。そこで,大麦から作られる(ときにオーツ麦もそこに混ぜられたであろう)エールビール,さらには,それを蒸留することでできあがるウイスキーを日頃から飲んでいた6)。これが,スコットランドにおいて,大麦と水を主原料とするスコッチウイスキーが作られるようになった地理的要因といえる。

しかし,現代になり,寒い地域でもそれなりにワイン造りが可能となったにも関わらず,今なおスコッチ生産者が大麦の酒にこだわり続けている理由とはなんであろうか?

それはこれから述べてゆくが,注意すべきは,スコッチ造りの歴史は単に同じことの繰り返しなどではない,ということである。目まぐるしく変わる社会情勢のなか,生き残るためには適応・変化するという生存戦略がそこにはあった。しかし,それと同時に「自分たちらしさを失ってはならない」というアイデンティティも保持されてきたわけで,このともすれば二律背反的なバランスのもとで確立されたスコッチ独特のスピリッツ(精神)がある。

ウイスキーの原材料はビールと同様に麦類であり,初期においてはエールビールを─それにハーブなどを混ぜたものを─蒸留していたと思われる。しかし,コロンブスが15世紀に新大陸(南北アメリカ)からトウモロコシをヨーロッパに持ち帰って以降,それをウイスキーの材料として加えることで独特の風味(特に華やかな香りと甘さ)を出すことに成功した。さらには,農業技術の発展によって,小麦やじゃがいもなどの収穫量も増え,そこに機械技術・蒸留技術の進展も相まって,滑らかでスムースなウイスキーを作れるようになった。こうやって登場したのが「グレーンウイスキー」である。さらに,蒸気機関などの開発によって運搬効率もあがり,材料となりうる他の穀物を大量に運べるようになると,むしろグレーンの方が主流となった。これは,近代の経済・産業がスコッチに与えた影響の一端でもある。

ブレンデッドウイスキー論争

そうしたなか,モルトウイスキーを主流とする蒸留業者たちはスコッチのブランド力を確立するために「モルトウイスキーこそがスコッチだ!」という広告を1903年に打ち出した。もちろん,トウモロコシ生産(および輸入)業者,グレーンウイスキー生産者,そしてブレンデッドウイスキー関係者たちは反論し,1904年から1905年にかけて論争が繰り広げられた。そうした議論のさなか,1905年の10月,ロンドンのイズリントン行政区は2つのワイン・スピリッツ小売商を起訴した。それは「ウイスキーとして求められる性質,実体,品質を備えていないにも関わらずそれをウイスキーとして販売した」という理由によるものであるが(Sale of Food & Drug Act 1875に反するということで),その原料の割合は,10%のモルトと90%のグレーンだったという。その後,どこまでモルトの割合を定めるべきかという基準をめぐって王立委員会(Royal Commission)が立ち上げられ議論が交わされたが,1909年には「スコッチウイスキーという語は,ブレンドされたもののうちのモルトの割合がどんなに少ないものであろうが,モルトとグレーン,そしてブレンデッドウイスキーすべてを含むものとする」という報告書が出された。つまり,ブレンドの割合は不問とされ,さらにはグレーンウイスキーそれ自体も堂々とスコッチの仲間入りを果たしたというわけである。これはいわばウイスキーリベラル派の勝利といってよいだろう。

しかし,保守的なイメージというものも大事である。もしスコッチに関するイメージが「なんでもかんでも混ぜ合わせて作ったお酒なんだってさ……」というものであれば,そんなありきたりなものが末永く求められるだろうか。おそらくそこに甘んじている限りでは,安価なビールや,簡単につくれるジンに押される形で市場から駆逐されていたことであろう。人は,古臭い伝統には嫌気がさすし,そこから解放されようとするが,その一方で,あらゆる伝統を否定することにはどこか躊躇し,神聖なもの,伝統的なルーツというものを求める存在である。新しい風潮を受け入れながらも,混ぜ物なしの「ピュア」で「伝統的」なお酒を求めるというそのムーブメントのもと,スコットランドの独自性を打ち出すような「スコッチ」が次々と登場し,その後もモルトウイスキーはスコッチ市場を席捲することとなる。

あたかもそれは,自由を愛してあらゆる介入に抵抗しながらも,一方で質実剛健な伝統を守ろうとするスコットランドの国民性が,さまざまな多様性を生み出してきた歴史のようでもある。


1)最近は,米からのウォッカが日本でつくられている。これは,もともとウォッカの原材料が多岐にわたるものであること,そして,18世紀末に白樺の活性炭を用いて濾過されたものが「ウォッカ」として普及するようになったことがその背景としてある。ちなみに,ウォッカの語源は「水voda」であり,ウイスキーの語源「生命の水Aqua Vitae」と類似している。ウォッカもそうであるが,スカンジナビア半島のアクアビットもまた同様の語源である。なお,ポーランドの伝統的なウォッカはライ麦モルトを使用している。

2)ジャガイモが定着する以前,ロシアにおけるウォッカやスカンジナビア半島のアクアビットには,さまざまな果実や穀物が使用されていた。

3)ワインの起源はジョージア(グルジアGeorgia)であり,醸造文化は8000年以上の歴史があるといわれている。なお,ブランデー(brandy)の語源はオランダ語の「焼いたワインbrandewijn(ブランデヴァィン)」であるが,これは主に白ブドウのワインを蒸留して樽に入れ,熟成して製造するものであり,7~8世紀から行われ始めヨーロッパの王侯貴族に愛された。現在ではフランスのコニャックやアルマニャックなどが有名。

4)ビールやシードルも同様に飲料水替わりとなっていた。

5)また,ポルトガルとの結びつきが強いイングランドの貴族は,フランスと対立している時期はポルトガル産のワインを飲んでいた[Birmingham 1993:邦訳 86]。逆に,ポルトガル人はイングランドの(あるいはオランダの)ジンを飲んでいた。

6)ただしオーツ麦はタンパク質が多い一方で糖化されるところのデンプンが少ないので,混合比率が大きくなるほど甘味が少なく,また,アルコール発酵されるところの糖が少なくなるためにアルコール度数も低くなる(それに大麦由来のモルトの量が少なければ酵素不足のためにうまく糖化が進まないこともある)。

スコッチウイスキーの薫香をたどって
中村 隆文
神奈川大学国際日本学部日本文化学科教授。1974年(昭和49年)、長崎県に生まれる。千葉大学文学部卒業。千葉大学大学院社会文化科学研究科日本研究専攻博士課程修了。博士(文学)。鹿児島工業高等専門学校講師・准教授、釧路公立大学准教授などを経て現職。専門、英米哲学思想、リベラリズム、法哲学。著書『不合理性の哲学』『カラスと亀と死刑囚』『自信過剰な私たち』『「正しさ」の理由』『リベラリズムの系譜学』『世界がわかる比較思想史入門』『スコッチウイスキーの薫香をたどって』など。

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