自分で決める、自分で選ぶ―これからのキャリアデザイン―
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(本記事は、岡田 康子氏の著書『自分で決める、自分で選ぶ―これからのキャリアデザイン―』=東峰書房、2016年1月13日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

あなたのスキルは将来も通用しますか?

●今のうちに自分をバージョンアップする

エンプロイアビリティを身に付けることの必要性について、人のライフサイクルを使って考えてみましょう。

図は、縦軸が年齢、横軸が社会とのかかわりを示しています。上に行くほど年齢が上がり、右に行くほど「社会への還元」が求められるようになります。

さて、注目していただきたいのは「四〇歳」です。

人生を大きく二つに分けると、現代は四〇歳あたりが「人生半ばの過渡期」と言っていいでしょう。人生五〇年と言われた時代がありますが、その頃なら、二五歳あたりがそうだったかもしれません。

四〇歳前後といえば、就職して二〇年ぐらいです。定年退職まで働くとした場合、会社員としてもちょうどマラソンの折り返し地点です(今ではもう少し先の方が長くなりつつあります)。

さて、あなたはこれまで、この社会から有形無形のさまざまなものを受け取ってきました。

例えば、家庭や学校、地域社会、企業などから「教育」を受けて、生きていくための知識とスキルを身に付けてきました。

その知識とスキルを自分の資源として、今の年齢までやってきたわけです。

では、その知識とスキルは、今後も通用するものでしょうか?

変化の激しい不確実な時代をあと数十年生きていくために、必要十分なものと言えるでしょうか?なかなか難しいことでしょう。

慣れたツール、慣れた知識、慣れたやり方、慣れた価値観などをいつまでも手放すことができないでいると、変化に対応できなくなって大変な苦労をすることになります。

自分で決める、自分で選ぶ―これからのキャリアデザイン―
(画像=『自分で決める、自分で選ぶ―これからのキャリアデザイン―』より)

ある日、外資系企業に買収されて社内公用語が英語になった、とか、リストラを行ったので今までの仕事は無くなって営業に出るようになった――など、いきなり環境が変わることもそう珍しい話ではありません。あなたは、そのときにすぐに対応できる幅広いスキルを持っているでしょうか。

二〇年前に就職した人々にとって、自分たちが就職した頃とは、社会を生きていくための知識やスキルが激変していることが理解できます。

人はいくつになっても学び続けなければいけないのですが、特に、三〇代から四〇歳前後までの人たちは、人生の過渡期を迎える前にキャリアを見直し、そのために必要なスキルをもう一度きちんと身に付けておく必要がありそうですね。

そのうえで、あなたは四〇歳以降も何を持って社会に還元できるのでしょうか。一度はじっくり考えてみてはいかがでしょう。

・あなたが将来のために身に付けたいと考えている(すでに勉強を始めている)スキルは何ですか?
・これからも必要とされるあなたのスキルは?

●三三歳で独立した私があなたにお伝えしたいこと

三〇年後あなたはいくつになっていますか?そのときどんなことをしているのでしょうか。

私は約三〇年前に独立しました。正直に言えば何も考えずに独立してしまったという方が正しいでしょう。ですから「キャリアプランを持ちなさい」とは言えない立場でもあります。まして独立した身ですから、企業の中で働く人たちに「こうすればうまくいく」などとはとても言えない立場です。

さらに、ますます将来が読めない時代になってきています。そんな時代に明確なキャリアプランを持ったとしてもそれが通用するかは別問題です。ですから今ここでお伝えできるのは「今目の前のことを面白がり、精一杯おやりなさい。仕事でも私生活でも、それらすべてが活きてくる」ということです。

ここで私の三〇年間を振り返ってみますので、皆様もこれからの三〇年を想像してください。

私は学生時代はサークル活動に熱中していました。ですから明確なキァリアプランを持っていたわけではありません。正直なところ、世の中のこと会社のことを知らないこの時期に明確なキャリアプランを持つことはできないのではないかと思います。

私自身がキャリアを意識し出したのは三〇代の初めです。そして三三歳で独立しました。それまでは企業に対して社員教育のプログラムを提供する会社に勤めていました。なぜ独立にいたったかというと、当時私は営業で人事部門の方にお会いする機会がありました。その時お客様が人材育成についてのさまざまな課題をお話しくださったのですが、その課題に対して自社が提供しているプログラムだけでは対応できないということに気づき、何とか目の前の人の役に立ちたいと思うようになったのです。

たまたま仕事の関係で知り合った著名な先生方を企業にご紹介するようになり、そのような機会が増えるにしたがって、先生方の営業をする会社をつくって独立してみようかと思い至ったのです。

その頃は女性が独立することはおろか仕事を続けることすら、あまり歓迎されない時代でした。

また周囲から見ても危なっかしかったのかもしれません、大変心配されたことを覚えています。心配した当時のお客様であった企業の人事担当者五人の方々が、呼びかけ人となって独立祝賀パーティを開いてくれたほどです。このとき五〇名以上の方が駆けつけてくださいましたが、そのときまで何気なく言っていた「ありがとう」という言葉は「有難い」ときに言う言葉なんだなあ――と、しみじみと感じたものです。

それまで偉そうなことを言い、文句を言っていた私ですが、会社や社会、家族に守られてその中で勝手なことをやっていた自分がいたことに気づきました。ひとり社会に飛び出してみるととても小さな自分、人に支えられなければ生きてはいけない自分という存在を実感したのです。そこから、自分自身の足で小さな一歩を踏み出したのでした。

●経理と総務をしていた私がなぜ起業するに至ったか

私が勤めていた会社についてもう少し詳しくご説明すると、そこでは企業人を対象に心理学をベースとした教育プログラムを提供していました。自己理解を深めるための方法に「交流分析」というものがあり、その考え方を使ってモチベーションの向上や自己変革のためのワークショップなどを提供していたのです。

私は経理と総務の仕事をしていましたが、心理学などを学んでみるとこれが実に面白く、自分や他者への興味がどんどん湧いてきました。そのため、土日には毎週のように「心理ワークショップ」といわれる体験的な自己発見プログラムに積極的に参加するようになっていました。

ちょうどその頃に営業への配置転換があり、顧客の新規開拓を担当することになりました。

このとき、「会社四季報」の一頁目の会社から順次アポイントを取って訪問していくという経験をしました。これといった営業教育は受けていなかったので、ただ自分ができることと、会社ができることを伝え、お客様の関心事を聞いてくるという日々が続きました。ふりかえってみると、これが独立後にとても役立っています。

三〇年以上も前のことですから、企業の人事部に女性の営業担当者が訪問することなどほとんどない時代です。最初は苦労しましたが、珍しさもあってか、徐々に仕事をいただけるようになりました。コミュニケーション理論や心理学を勉強していたことで、自分自身の態度や心理を分析しながら営業活動ができたのが幸いしました。

そして、女性であるためか、カウンセリングを学んでいたためかはわかりませんが、営業を二年ほど続けると、お客様が困り事を話してくださることが多くなりました。そんな関係ができてくると、自社の持っているプログラムだけではお客様のニーズに対応できないことが多くなります。

たまたま私の勤めていた会社は交流分析では結構有名な会社だったために、公開の講座には、他の専門分野でコンサルタントや講師として活躍している先生方も参加されていました。そこで、その先生方の持っているプログラムをお客様に提供するというサービスを始めることを会社に提案し、それをさせてもらいました。

そうした営業活動をしているうちに、現在あるサービスを売るのではなく、お客様が欲しているものを企画し、講師を見つけてくることにやりがいを感じるようになっていったのです。

しかし、そのような勝手な動きは必ずしも経営者の意向と一致するとは限りません。私の場合もそうでした。自分のやりたいようにやりたいと思ったとき、もう独立するしかないと思いました。

もう一つ。独立のきっかけとなったことがあります。

自社で提供していた研修を受けると、参加者は新しい自分を発見し、新たなことに挑戦しようという意欲を持って帰られますが、その気持ちも毎日の仕事や組織風土に押し戻されてせいぜい一ヶ月程度しか持たないことです。「それでいいのだろうか」という疑問がありました。

個人がやる気を持ったとしても、組織そのものが新しいチャレンジをしていなければ、やがて個人のチャレンジ精神は消えてしまうのではないだろうか?ならば、組織が新しいことに挑戦し続けていかなければならないのではないだろうか?

そんな思いを持ちながら独立して間もなくのこと。起業家精神について研究しているコンサルタントと出会い、「社内起業研究会」という新事業や社内ベンチャーに関する研究会を立ち上げることになったのです。

この方は後に大学の教授になり、起業論やベンチャー論で指導する傍ら、大学のインキュベーションセンターを立ち上げ、ベンチャー創出の活動を行ってこられました。私は今でも、この先生と共に新事業のコンサルティングを行っています。

さて独立したとはいえ、私にはこれといった仕事もなく、結果的に収入もありませんでした。

人材派遣会社に登録し、アルバイトをしたり、海外から来た心理セラピストのコーディネートをしたりしながら何とか食いつないできました。

その頃は「私を必要としてくれる人がいたら、可能な限りそれに応えていこう」と決めていました。そのとき出会ったのが、株式会社クオレ・シー・キューブを共に創った女性でした。「働く女性の支援をしたい」というのが彼女の熱い思いで、それをビジネスにしようと相談にやってきたのです。

それから何度か議論を重ね、「働く女性を支援するビジネスを立ち上げ、人材を育成する」ことをやっていこうということになり、ベビーシッター養成講座や預ける育児というテーマでのシンポジウムの企画、働く女性のための子育て相談、また、介護相談や調査など社会で活躍する女性へのサービス事業の立ち上げ支援などの活動を行ってきました。

しかし、二七年前のことですから、女性活躍支援の活動がビジネスにはならない時代でした。女性社員が働きやすいように支援するよりも、ばりばり仕事一本でやっていく男性が大事。男性しか人材とはみなされなかった時代です。女性の悩みを聞きながら、私はそんな社会や人々の働き方に疑問を抱いていました。

そして「苦しいのは女性だけでなく、もしかしたら男性も苦しいのではないか」「ハラスメントを受けているのではないか」と思うようになり、その実態を調べてみました。そのときに「パワーハラスメント」という言葉が生まれたのです。それ以降パワーハラスメントという言葉が普及し、社会的にも徐々に問題意識も高まってきました。パワーハラスメント対策では先駆的な動きをしておりましたので、お客様からもさまざまな課題をいただき、必死でそれに応えることで、今の会社が存在することができたのでしょう。

●今できることの延長上に「やりたいこと」はある

さて、ここまで個人的な体験を話してきましたが、「今できること、そして、その延長上で何を得たいのかを考えることで道は開ける」ということを改めて感じます。

よく「やりたいことが見つからない」と悩んでいる人がいますが、やりたいことは遠く離れたとんでもないところにあるのではなく、身近なことの延長上にあるのだと思います(今の仕事とかけ離れて明確にやりたいことを持っている人もいますが、それはそれまでの人生で心に強く響く体験があったり、強く誰かに影響されたのではないでしょうか。心に近いものという意味では身近なことなのかもしれません)。

だからといって漫然と生きていたのでは何も見つかりません。やりたい仕事というのは、とりあえず今の仕事に真剣に向き合い、面白がり、没頭しているときに、ひょいっと顔を出すものなのではないでしょうか。

それは充実感と共にあるかもしれないし、賞賛の喜びの中かもしれないし、できないことの悔しさと共にあるかもしれません。いずれにしても自分自身の感情に目を向ければ何かが湧き上がってくるはずです。

・あなたの好きなもの、好きなことは何ですか?いくつでも挙げてください。(趣味、スポーツ、絵画、言葉などなんでも)
・それはどうして好きなのでしょうか。(清々しいから、安定しているから、バラエティに富んでいるからなど)
・それはあなたが仕事をしていて楽しいと思うことと何か関連性はありますか?

自分で決める、自分で選ぶ―これからのキャリアデザイン―
岡田 康子
1954年生まれ。中央大学文学部卒業後、社会福祉法人や民間企業での勤務を経て、1988年企業の新事業コンサルティングを行う株式会社総合コンサルティングオアシスを設立。1990年東京中小企業投資育成株式会社から投資を受けて働く女性を支援する株式会社クオレ・シー・キューブを設立するなど自ら事業推進の経験を持つ。また1988年から社内起業研究会を主催し新事業やベンチャーの研究を行う。2001年にパワーハラスメントという言葉を生み出し、その後一貫してハラスメント防止対策に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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