高齢化が進む日本の中で、企業における後継ぎ社長の役割が重要視されている。本企画では、これからの日本経済を支えていく後継社長に、どのように変革を起こし、成長を遂げていくのかを伺い、未来の経済発展へのヒントを探っていく。
創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み
—— 創業から今までの事業の変遷について教えていただけますか?
株式会社永賢組 代表取締役・永草 孝憲氏(以下、社名・氏名略) 株式会社永賢組は愛知県春日井市で創業され、創業者は私の祖父で、私は三代目です。12年前、30歳の時に父から会社を引き継ぎました。もともと総合格闘家として活動していたため家業を継ぐつもりはなかったのですが、20歳の時に祖父が亡くなり、社員たちの姿を見て事業承継を決意し、24歳で会社に入りました。
—— 家業を継ぐというのは大変な決断だったと思いますが、その後の経営は順調でしたか?
永草 一時期、業績が厳しい状況にありましたが、社員一同で最も苦しい時期を乗り越えることができました。父が亡くなった後も、彼の築いた信頼と繋がりから多くの仕事をいただき、売上を維持することができました。そのおかげで、次の一歩を踏み出す基盤が整いました。
—— それは厳しい状況でしたね。そこからどのようにして立て直したのですか?
永草 私が経営を引き継いだ後、新たな事業計画を策定し、少しずつ改善を図りました。現在では、売上70億円、経常利益4.3億円を達成し、グループ全体では売上80億円、経常利益6.7億円へと成長しています。
—— 具体的にどのような事業展開をされているのですか?
永草 現在、永賢組は建築事業部、土木事業部、開発事業部を中心に、10個の部門を持っています。建築事業部は公共建築やマンション建設を主力にしており、売上の大半を占めています。土木事業部は創業当初からの基盤で、公共工事や自社開発工事を行っています。
—— 新規事業部というのはどのような取り組みをされているのですか?
永草 新規事業部では社内から企業家を育成し、新しいビジネスを立ち上げています。現在、3つのプロジェクトが進行中で、成功すれば独立部門として成長させるか、分社化して社長を任せることを検討しています。
—— グループ会社の役割について教えてください。
永草 グループ会社にはDESIGN LINKS、環境理化、山建重機、Daisyがあります。DESIGN LINKSは幼稚園の設計を得意とする設計事務所、環境理化は地盤改良と水質検査、山建重機は重機レンタル、Daisyは家事代行サービスを提供しています。今後は後継者がいない企業を引き継ぎ、最終的には1000億円規模の企業グループを目指しています。
永賢組グループとしての取り組み
—— 永賢組グループとして、何か特別に取り組んでいることはありますか?
永草 グループ全体で「well-being」をコンセプトに掲げ、社員やお客様、パートナー業者、地域社会の幸福を目指して活動しています。これからは社会課題を解決するインフラの構築を目指し、1,000億円規模の事業へと成長させたいと考えています。
また、建設業の働き方や給料体系の見直しにも取り組んでいます。特に公共工事における談合を打ち破ることを目指し、適正な入札を続けた結果、春日井市から表彰されることもありました。成果を上げた社員には、1年で給料が倍になるケースもあり、ボーナスで2,000万〜3,000万円を支払うこともあります。優秀な人材には積極的に報酬を増やし、社員が自分の目標を追求できる環境を整えています。
—— 具体的にはどのような取り組みを?
永草 グループ会社を一つずつ成長させるため、建設のDX(デジタルトランスフォーメーション)推進にも注力しています。積算や見積もりの自動化、現場の工程管理・予算のデジタル化を進め、協力会社が効率的に働けるようにしています。
さらに、建設業界の高齢化や人口減少に対応するため、AIを活用して一人の監督が複数の現場を管理できるシステムを開発中です。顔認証による現場の人数や体調管理も取り入れるなど、効率化と安全性向上を目指しています。
承継の経緯と当時の心意気
—— 代替わりの際のエピソードについてお聞きしたいのですが、何か特に印象に残っていることがあれば教えていただけますか?
永草 父が亡くなると知らされたのは半年前のことでした。亡くなる二ヶ月前、父はまだ覚悟ができていなかったように思います。病院の先生から「もう長くない」と告げられ、親孝行するようにと言われました。
父とは毎日会社について話し合い、亡くなる二日前に「100億にしたかった」と言われました。声が出ない状態でも、父はその思いを伝えようとしていたんです。私は当時29歳で、急にナンバー2になりましたが、父との約束を果たすために、100億という目標を心に決めました。
—— 100億というのは大きな目標ですね。社員の方々の反応はどうでしたか?
永草 最初は社員から「何のことですか?」という反応でしたし、反発もありました。「なぜそんなことをやらなければならないのか」という声もありましたが、私は父との約束を果たすため、最初の五年間は誰も賛同してくれなくても頑張りました。周囲からは「無理だ」と言われ、家族も不安に思っていたようですが、支えてくれました。
同業者からは「潰れる」と言われましたが、売上が下がらなかったのは、父が亡くなる前にお客様に「息子が引き継ぐから頼む」と電話をしてくれていたおかげです。社員も誰一人辞めることなく、支えてくれました。
—— お父様の存在が大きかったのですね。事業計画発表会も行ったと聞きましたが。
永草 はい、父が亡くなる一ヶ月前に初めての事業計画発表会を開きました。父は病院から薬を打たずに来て、社員のために手紙を書いてくれました。それが社員たちの励みとなり、誰も辞めずに二、三年の厳しい時期を乗り越えることができました。これが私にとって大きな助けとなりました。
ぶつかった壁やその乗り越え方
—— これまでにぶつかった一番大きな壁と、その乗り越え方について教えてください。
永草 会社の売上を100億円にしようと目指したときが一番大きな壁でした。目標を掲げても、何のためにそれを目指すのか理解してもらえず、誰も賛同してくれませんでした。中学生にプロ野球選手になろうと言っても、なかなか実感が湧かないのと同じです。
—— 具体的にはどのように進められたのですか?
永草 最初は反対が多かったですが、諦めずに言い続けることが大切でした。先代の夢である売上100億円を達成するために、信念を持ち続けるしかありませんでした。古くからの社員には理解されましたが、新しい社員には響かず、そのため自己実現を目指すプラットフォームとして会社を作りたいと伝え、成果主義を導入しました。
—— 成果主義を取り入れることで、どのような変化がありましたか?
永草 成果が出れば給料を上げる方針を打ち出し、建設業界の無駄を排除しました。例えば、朝本社に集まる必要はなく直行直帰を採用し、給料も時価評価にしました。他社からスカウトされそうな社員には、すぐに給料を上げるというように、柔軟な制度を取り入れました。他の建設業界にはないやり方で、徐々に変化をもたらしました。
今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
—— 事業展望についてお伺いしたいのですが、どのようにお考えですか?
永草 数字的な目標としては1000億円を掲げていますが、それはあくまで一つの目安です。建設業界の課題として、後継者不足が深刻化しています。多くの地域の土木・建設会社は売上高10億円以下の規模であり、そういった会社を引き継ぎ、地域の建設業界を活性化させたいと考えています。
——具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか?
永草 私は30歳で父を亡くし、若い年齢で経営を引き継いだ経験があります。その経験を活かし、後継者のいない会社を引き継いで、経営者候補を30代のうちに送り込み、地域の建設業界を若返らせたいと考えています。また、AIやDXを活用し、未来型の建設会社を目指しています。
—— 具体的にどのような方法で広げていくのでしょうか?
永草 M&Aを通じて地域の建設会社を統合し、各社の文化や風土を尊重しながらリブランディングを進めていきます。創業者や社長の思いを引き継ぎ、発展させることを目指しています。地域の建設業界を活性化しながら、新しい技術を取り入れて未来の建設業界を築いていきたいと考えています。
メディアユーザーへ一言
—— 読者の皆様へメッセージをお願いいたします。
永草 私自身、もともと経営の知識や経験は全くありませんでした。しかし、決めたことを諦めずに続けることで、誰でも経営はできるものだと実感しています。特に学歴が必要というわけではなく、重要なのは覚悟を持って取り組むことだと思います。
また、社会への還元も重要だと考えています。事業拡大によって得た利益を積極的に社会に還元することで、事業拡大と社会貢献の両軸の向上を目指します。
- 氏名
- 永草 孝憲(ながくさ たかのり)
- 社名
- 株式会社永賢組
- 役職
- 代表取締役社長