高齢化が進む日本の中で、企業における後継ぎ社長の役割が重要視されている。本企画では、これからの日本経済を支えていく後継社長に、どのように変革を起こし、成長を遂げていくのかを伺い、未来の経済発展へのヒントを探っていく。

東海時計商事株式会社
(画像=東海時計商事株式会社)
石黒 嗣英(いしぐろ つぐひで)――代表取締役
平成14年3月 南山大学経済学部卒業平成14年4月 第三銀行に入社し、金融、営業についてノウハウを学ぶ。 平成18年 東海時計商事株式会社に入社し、断トツトップの営業成績で会社を支える。平成27年 東海時計商事株式会社代表取締役社長に就任(営業も兼任) 。【座右の銘】何もしないことが、最大の失敗/思考は現実化する 。【趣味】 野球/ゴルフ/ショッピング/接待/経営。
1957 年創業の東海時計商事株式会社は、全国でも数少ない独立系の時計・宝飾総合卸会社です。時計は国産からス イス製まで 100 ブランド以上取り扱いがあり、直営店事業も展開しています。ジュエリーはブランド宝飾品から高品質の ダイヤモンドのみを使用したオリジナルジュエリーブランドも販売し、独自の営業・販売スタイルで事業拡大に取組んでおります。現在は、若手経営者・ミドル層のビジネスパーソンに向けた外商ビジネスを実施し、世間の時計離れを食い止め、時計業界や日本経済の活性化に貢献するべく成長し続けています。また、今年2024年5月14日からエステサロン運営もスタートし、総合的にお客様の美しさをサポートしています。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷
  2. 代替わりの経緯・背景
  3. ぶつかった壁と乗り越え方
  4. 今後の経営・事業の展望
  5. 全国の経営者へ

創業からこれまでの事業変遷

ーー東海時計商事の事業の変遷について教えていただけますか?

東海時計商事株式会社 代表取締役社長・石黒 嗣英氏(以下、社名・氏名略) 私たち東海時計商事のルーツは、明治39年に創業された尾張時計という会社にさかのぼります。愛知県は江戸時代から時計の一大生産地で、当時は県内の時計工場が3社あり、その中に「尾張時計」があり、海外進出もいち早く実施したことから、日本製時計といえば尾張時計と呼ばれていたほど海外でも知られていたそうです。

戦時中には、ゼンマイの技術を生かして戦闘機を作るようになり、戦後はトヨタ自動車に技術を提供し、車の部品を作ることになりました。

そうした時代の変遷から、尾張時計はトヨタ自動車の協力工場として、自動車産業・航空機産業へ事業方針を切替え、「尾張製機㈱」へ社名を改めました。それをきっかけに、昭和32年、当時尾張時計の営業部長を務めていた私の祖父が、時計部門分離独立させ起ち上げたのが、現在の東海時計商事です。

創業当初は、掛け時計や置時計を扱っていました。高度経済成長が進み始めたところで、今後を見据えてオリエントやリズム時計、スイス等の舶来時計ブランドの取扱うようになり、会社を成長させてきました。更に、私が生まれた頃にはジュエリーの取扱いもはじめ、時代の変化に対応した新しい取組みに挑戦し続けていました。

また、そんな取扱いの自由さもあり、私の父の代では、今では誰もが知るカシオのG-SHOCKを日本でいち早く取扱いをスタートしました。カシオさんから取扱いの話を頂いた時は、修理業が時計販売店の要になっているにも関わらず、壊れない時計を扱うなんてと、社員や関係業者から猛反対に合いましたが、当時アメリカ留学をしていた私の姉から、アメリカでのG-SHOCKブームの話を聞き、周囲の反対を押し切って取扱いを決意しました。その判断は大成功となり、日本でもG- SHOCKが大流行。弊社がG-SHOCK売上げ日本一の代理店となりました。

2000年からは、卸だけではなく小売り事業も始めました。インターネット販売も、業界内ではまだ全くメジャーでは無かった時から着目し、2009年から時計のEC販売を開始しました。現在は、売上の3割を占める事業に成長しています。

また、コロナ禍の売上げ減少がきっかけで、コスト削減に徹底的にこだわるようになり、当時5店舗あったリアル店舗を2店舗まで減らし、削減できた経費を最大限にお客さまに還元しようと、「100回ローン金利手数料無料」というサービスを提供し、時計・ジュエリーの大衆化を目指し取組んでいます。これが好評頂き、現在では全国に展開しています。

以上が、私たち東海時計商事の118年の歴史です。

代替わりの経緯・背景

ーー東海時計商事の三代目として事業を継がれた際のエピソードをもう少し詳しくお伺いできればと思います。

石黒 元々、社会勉強のために東海時計ではないところへ就職しようと思い、銀行員として働いていました。父親から戻ってこないかと連絡を受けた当時は、赤字続きの会社だったため、事業承継するには相当な覚悟がいりましたが、やはり三代目としてやらなければと思い、入社しました。

業績に関しては、インターネットを活用したり、いろんな進化をさせて、売上が利益を逆転するようになりました。現在でこそ盤石な経営基盤へと成長しましたが、事業継承時に大変だったのは、当時社長であった父と、役員だった叔父、父の弟との間にあった確執と向き合わなければならなかったことです。

ーーそれは大変でしたね。どのように解決されたのでしょうか?

石黒 父と叔父は、経営方針や給与等で意見の食い違いが多く、叔父はこれまでの経験を正当に評価されていないと不満を抱いていたため、当時は口を利かないほど不仲でした。

ですので、私が社長を引き継ぐタイミングで、父も叔父も取締役から退任してもらう、という賭けにでることにしました。両者の功績を称えながら、地道に話し合いを重ね、退職金も惜しみなく支払い敬意を示して向き合い続けたことで、退任にも納得してもらい解決することができました。

私は会社のために、社員を揺るがさないように、全員がウィンウィンになるように努めました。実際に解決するまでには、社長になってから6年ほどかかりました。

ぶつかった壁と乗り越え方

ーー東海時計商事での改革についてお聞かせいただけますか?

石黒 私たち東海時計商事では、やる気のある社員たちとともに売り上げを伸ばすために、さまざまな改革を行ってきました。

その中でもまず、コロナ禍が大きな転換点でしたね。世間の外出自粛の流れが実店舗での売上げに大きく影響してしまい、売上げは3ヵ月連続で4割も減少しました。しかし、インターネット事業も行っていたおかげで、ECサイトの売上げについてはコロナをきっかけに急成長しました。

ーー具体的にはどのような取り組みを行いましたか?

石黒 まず、インターネット部門での販売に力を入れ、お盆時期には大きな売上を上げることができました。また、それによって業務内容に変化が生じ、それを煩わしく思う社員と会社のために一生懸命に危機を乗り越えようと働いてくれている社員との意識格差が浮き彫りになったため、会社に必死に貢献してくれようとしている社員をもっと大切にしようと、社員数を53名から32名まで減らし、少数精鋭化を図りました。そして、残ってくれた社員には必ず還元することを誓い、業務量削減のため物流の外注化など内部統制を実施し、社員へは平均給与を100万円上げることを約束しました。

ーーその結果、どのような変化がありましたか?

石黒 ショッピングセンターの直営店を1店舗に減らし、インターネット部門の店舗を倍増させました。そして、コロナ禍の経営危機をきっかけだったのですが、 実店舗の閉鎖等により生み出すことのできた経費を最大限にお客様に還元するために始めた、ホテルスイートルーム等ラグジュアリー空間で⾮⽇常をお客様に体感して頂きながら時計・ジュエリーの鑑賞できるイベントの実施によって、多くのお客様に足を運んで頂けるようになりました。弊社が掲げた「100回ローン金利無料サービス」もそのイベントによって認知され、ご好評頂き、売上げを大幅に伸ばすことができました。

ーー現在の売上や平均給与はどの程度になっていますか?

石黒 今年の3月期で、売上は28名で23.3億円になり、社員の平均年収についても、元々420万円だったのがコロナ禍には390万円まで下がりましたが、社員との約束どおり引上げに成功し現在は530万円まで引き上げています。

ーー今後の展望について教えてください。

石黒 これからも、社員一人ひとりが家族や会社のために一生懸命働ける環境を整え、さらなる成長を目指していきたいと考えています。

今後の経営・事業の展望

ーー今後の展望についてお伺いしたいと思います。

石黒 まず第一に、ジュエリーの大衆化を図りたいですね。一口に富裕層向けビジネスといっても、世の中の95%は一般大衆の方ですので、彼らにもっとアプローチしていきたいと考えています。

また、一般の方にも、一度しかない人生で、良い時計を一つくらい身につけて幸せになってほしいと思っています。そして、それが若い人たちにとって成功者への第一歩となり、夢を持って頑張ってもらえると嬉しいです。大衆化に関しては、現在スイートルームイベントでの売上げは年間2億5,000万円を超えてきたので、より多くの方に知って頂き、2030年までにイベント売上を10億円達成を目指しています。

ーーインターネットを活用した展開も考えているとのことですが、具体的にはどのようなことを検討していますか?

石黒 インターネットの方では、時計だけに限らず、M&Aの話や雑貨などの分野にも取り組んでいきたいと考えています。例えば、楽天などのプラットフォームを活用して、2000年から始めたノウハウを活かしながら、いろいろな商品を手がけていきたいです。また、時計の修理のサイトも作成する予定です。

ーー今後の展望として、世界への展開も考えているとのことですが、その際に重要視していることは何ですか?

石黒 まず、社員の物心両面の幸福の実現が重要だと考えています。物価が上がっている現状を考慮して、給料をしっかりと支払い、大企業基準や世界基準に持っていけるような会社を作りたいと思っています。企業は人なりなので、人に愛とお金を注いでいくことが大切だと考えています。

ーー今後の成長戦略として、M&Aなどを通じて拡大していくことも考えているとのことですが、具体的にはどのような形を想定していますか?

石黒 経営していく上では、夢は大きく持ちたいですね。父親がおじいさんから引き継いだ会社を、次の世代へ向けて百年企業に育てたいと考えています。そのために、50億円企業を目指していくことが一つの目標です。

全国の経営者へ

ーー読者の皆様に向けて、石黒代表のご経験を踏まえたアドバイスをお願いできますでしょうか。

石黒 私は現在、若手経営者から相談を受ける機会が多いですが、銀行時代の経験が役に立っています。事業継承においては、お金の問題が絡むこともありますが、何より大切なのは先代を立てることです。特に、社員の前では先代を尊重し、敬意を払わずして無理やり追い出すようなことは絶対に避けるべきです。

私が社長になれたのは、先代のおかげであり、そのありがたさを常に意識しています。親を追い出すのではなく、親を立てながら、成果を出すことで社員や会社を任せられると安心してもらったうえで、受け継いでいくことが大切です。 私の場合は、営業として圧倒的な売上げを生み、インターネット部門の導入などが成功したことが、大きな成果と信頼に繋がりました。先代と先代についてきた社員を認めさせるためにも、圧倒的な成果を残すことが先決です。

ーーそれでは経営者自らが取り組むべきことは何でしょうか?

石黒 まず、営業活動に積極的に取り組んでほしいです。特に50人以下の会社では、社長が一番働くのが当たり前だと思います。社長は誰もが納得するような、圧倒的な結果を残さなければなりません。特に後継者は、親の息子という風に先入観で実力を伴っていない印象で見られがちなので、誰よりも頑張ることが求められます。

ーー石黒代表、貴重なアドバイスありがとうございました。後継者や若手経営者の皆様にとって、大変参考になると思います。今後のご活躍にも期待しています。

氏名
石黒 嗣英(いしぐろ つぐひで)
社名
東海時計商事株式会社
役職
代表取締役

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