日本看護協会、およびジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループ(以下、J&J)は、第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」の授賞式を2月7日に開催し、受賞者6名を発表した。今回の第19回目においても、創設当初のフィロソフィーのもと、「健全な社会は、誰かの努力によってつくられる」をテーマに、「教育部門」、「医師部門」、「医療・看護・介護従事者部門」、「パイオニア・チャレンジ部門」の4部門から各1名、「ボランティア部門」から2名が選ばれ、計5部門・6名が受賞した。
「ヘルシー・ソサエティ賞」は、2004年に日本看護協会とJ&Jによって創設された。同賞は「より明るい今日とより良い明日に向けて、健全な社会と地域社会、そして国民のクオリティ・オブ・ライフの向上」に貢献し、助けを必要とする人に救いの手が差し伸べられる思いやりと人々に奉仕するという日本の良き伝統を受け継いでいける社会づくりを目指して、献身的な努力と地道ながらも尊い活動を続けてきた個人を顕彰している。
受賞した人たちは、医療、看護、教育、ボランティア、介護、研究といったさまざまな分野で、自らの努力とリーダーシップによって、周りの組織や地域、そして市民を巻き込みながら、より健やかな社会に向けて大きく貢献してきた人々となる。受賞者の人々の挑戦はこれからも続くが、同受賞を機に、こうした尊い活動の数々が社会により広く認知されることで、国民の健康や地域社会の福祉、人々のクオリティ・オブ・ライフの向上につながっていくことを心から願っているのだという。
第19回授賞式の開催を前にJ&J 社長 メディカルカンパニープレジデントの玉井孝直氏は、「2004年に日本看護協会と共にヘルシー・ソサエティ賞として、延べ100名の受賞者を顕彰してきた。ヘルシー・ソサエティ賞では、受賞者の素晴らしい功績をたたえると共に、より明るい今日と良い明日に向けて健全な社会づくりに寄与できればと思っている」と主催を代表して挨拶を行った。
次に、日本看護協会会長の高橋弘枝氏が挨拶を行った。「各分野で活躍されている人々が受賞された。日本看護協会では、令和6年能登半島地震においても災害ナースを派遣。被災者に寄り添った支援活動を行っていく」と、先の令和6年能登半島地震で被災した人々に対して哀悼の意を述べると共に、日本看護協会として継続的な支援を行っていくと約束する。「より健やかな社会を築いていくために、ヘルシー・ソサエティ賞の受賞者を通じて、医療、看護、教育、ボランティア、介護、研究といったさまざまな分野の人々が、明日からさらに頑張っていこうという勇気や希望を持ってもらえればと思っている」とヘルシー・ソサエティ賞を顕彰する意義について述べていた。
そして、第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」授賞式が行われた。「ヘルシー・ソサエティ賞」は、日本看護協会と、日本で50年以上にわたり事業を展開してきたグローバルヘルスケア企業であるJ&Jが共催。同賞は、日本医師会、日本病院会、全日本病院協会、および外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省による後援を受けている。
教育部門は、国立研究開発法人国立国際医療研究センター 国立看護大学校 大学校長の萱間真美氏が受賞した。プレゼンターを務めた第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」審査委員で、武蔵野大学国際総合研究所 名誉顧問、元参議院議員、元外務大臣、元環境大臣の川口順子氏は、「萱間氏は、精神看護学での教育活動に加えて、災害支援および精神科訪問看護制度充実のための人材育成に貢献した。東日本大震災では、聖路加国際大学大学院精神看護学研究室の教育・大学院生にPFA(サイコロジカルファーストエイド)を基盤とした事前教育を行い、精神科病床機能を失っていた福島県相馬地区において、ボランティア受け入れとその調整に当たる支援者をサポートする人材派遣を行うなど、同地の精神科地域医療に貢献。新型コロナウイルス感染症の流行下では、日本看護協会が開始した看護師へのメンタルヘルス事業において聖路加国際大学大学院精神看護学研究室の教員や大学院生によるメール相談室を立ち上げた傍ら、日本精神保健看護学会社会貢献委員会とともにPFAに基づくリモート支援のためのガイドラインを開発し、看護系学会、看護系大学、精神保健福祉士協会、および厚生労働省研究班で活用された。精神障がい者の地域包括ケア推進にも尽力。訪問介護ステーションが行う精神科訪問看護の充実と発展に向けた人材育成に注力する傍ら、『精神看護基本療養費』の制度整備のために必要なデータ研究を東京大学および聖路加国際大学とともに実施し、同制度化に大きく貢献した」と受賞理由を述べていた。
教育部門を受賞した萱間氏は、「こうした賞を受賞できて光栄に思う。昨今の災害や感染症、健康被害などに備えて待つことの重要性を東日本大震災の時に学んだ。令和6年能登半島地震においても日本看護協会をはじめ、DMATやJMATなどのチームが機能的かつ的確な活動を行っている。私は常々現場を駆け回ってきたが、今後は人材面などにおけるシステムのサポートなどに尽力していきたいと思っている」と受賞の喜びを語っていた。
ボランティア部門(国内)は、特定非営利活動法人 筋無力症患者会 理事長の恒川礼子氏が受賞した。プレゼンターを務めた第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」審査委員で、男女共同参画と災害・復興ネットワーク 代表、元千葉県知事、元参議院議員の堂本暁子氏は、「恒川氏は、重症筋無力症の子どもの就園・学校生活に焦点を当てた類まれなコミュニケーションツールを開発し、子どもとその保護者、学校、そして地域の相互理解を支援している。恒川氏は、41歳の時に指定難病の一つである『重症筋無力症』と診断された。筋無力症とは全身の筋力低下や易疲労性、眼瞼下垂、複視などの症状を示す自己免疫疾患であるが、その症状の強度や頻度は人によってさまざまであり、なかなかその辛さが理解されにくい疾患の一つである。恒川氏は、発症当時には全国筋無力症友の会に籍を置き、病気に関する情報収集や患者同士の交流などの活動を経て、2015年に自身が理事長を務める『筋無力症患者会』を設立し活動を開始した。幼稚園教諭および保育士の資格を持つ同氏は、幼児教育に携わってきたことから、この疾患に限らず病気の子どもへの支援活動を行ってきた。病気の子どもを持つ保護者は、さまざまな制限を抱えながらも子どもの健やかな成長を願い、日々模索しながら家庭生活を送っているのが現状である。特に園生活、学校生活は、子どもが保護者から離れた社会生活の一歩であるが、保護者の心配や不安は非常に大きく、学校関係者に対して子どもへの支援や配慮を求めたいものの、どのように伝え、どのように依頼したら良いかがわからないことが保護者の共通課題となっていた。そこで重症筋無力症の子どもが通う園や学校関係者にこの病気を知ってもらい、学校生活の中で個々人に応じた具体的な支援や配慮をしてもらえるよう、『病気の子どもの学校生活』、『病気の子どものための就園ハンドブック』という冊子を作成した。このハンドブックは大きな関心を呼び、今では多くの幼稚園や学校で利用されている。学校生活の中で、子どもが心身ともに大きく成長していくことを願う保護者にとって、自分の声の代弁者となるこのハンドブックは、かけがえなのない存在であり、コミュニケーションツールとなっている。現在も保護者と学校関係者、ひいては地域の相互理解を深めるため、第三弾のハンドブック制作の企画が進んでいる」と受賞理由を述べていた。
ボランティア部門(国内)を受賞した恒川氏は、「2001年に重症筋無力症を罹患。すでに41歳となっていたが、主治医の見立てでは子どものころから発症していたのではないかといわれた。重症筋無力症は子どもの時に診断されるケースが多く、このことを知らされた母親や子どもたちの多くは悩み、不安を抱えながら生活をしている。子どもたちは病気によって様々な制限が設けられることで、様々な気持ちの変化が押し寄せる。こうした気持ちを大人たちが理解してあげることが大切であり、どうしたらよいか困っている子どもたちに助言できる世の中になるよう切に願っている」と受賞した想いを語っていた。
パイオニア・チャレンジ部門は、千葉大学予防医学センター 社会予防医学研究部門 教授/国立長寿医療研究センター研究所 老年学・社会科学研究センター 老年学評価研究部 部長 近藤克則氏が受賞した。プレゼンターを務めた参議院議員の猪口邦子氏は、「近藤氏は延べ100万人規模の高齢者の社会疫学調査を日本で実現し、健康格差社会という社会課題と解決に向けた数々の研究・提言を行い、次代の地域保健・公衆衛生に寄与している。20年以上にわたり日本老年学的評価研究を主宰する近藤氏は、地域保健・公衆衛生において重要な視点である『健康格差社会』『ソーシャル・キャピタル』などの新しい概念を日本に紹介し、多くの実証研究を重ねてきた。全国数十の自治体の協力を得て疫学調査を3年毎に行い、延べ100万人以上という世界有数の高齢者の社会疫学調査となっている。同調査からは日本においても『所得や学歴、地域間に健康格差が存在する』こと、ライフコース疫学では『小児期や就労期の社会経済的要因が高齢期の健康にまで影響を及ぼす』ことを解明し、地域介入研究や被災地研究により、ソーシャル・キャピタルの豊かさなど、社会環境要因が健康格差の緩和要因となり得ること等を明らかにした。その過程では、疫学に留まらず、社会福祉学や社会学、健康科学など、学際的な研究チームを組織し、多くの若手・中堅研究者を育成してきた。JAGESの800編本を超える研究成果は、書籍『Katsunori Kondo, editor: Social Determinants of Health in Non-communicable Diseases. Springer, 2020』をはじめ、自治体の介護保険事業計画や中央省庁の政策文書に引用され、国際的にも『知識のトランスレーション』の好事例として評価され、その取り組みはWHOから出版(2018年)されている。近年では国立研究開発法人科学技術振興機構産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム(OPERA)の一環で、多くの企業との産学共創研究にも取り組み、領域の架橋的な研究組織をリードし、多くの成果を上げている」と受賞理由を話していた。
パイオニア・チャレンジ部門を受賞した近藤氏は、「各地方自治体が3年に1度調査しているデータを、各自治体で集計した後は消去するということを行っていた。消去せず、各自治体で集めたデータを統合することができれば、社会的なエビデンスが構築できると考え、延べ100万人の高齢者データを収集した。このデータを基に地域社会とセットにして人間を研究することの意義を日々感じながら行ってきた。世界が高齢化していく中、日本は高齢化のパイオニアとして様々な情報を発信していく必要があると感じている。世界に誇る日本の社会保障制度を今後どのように進化させていくかという点も見届けていく必要があると思っている」と、今後も高齢者の社会疫学調査を行っていくと力強く宣言した。
医師部門は、独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター 上席研究員の堀部敬三氏が受賞した。プレゼンターを務めた第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」審査委員で、昭和女子大学 総長の坂東眞理子氏は、「堀部氏の長年にわたる白血病治療研究は、日本の小児がんの標準治療確立をけん引するとともに、世界レベルの白血病・リンパ腫の診断・治療に関する科学的エビデンス創出や小児がんと成人がんが混在するAYA世代(Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の略。『AYA世代がん』という文脈で使われる。一般的に15歳~39歳の間に発生するがんを指す)がんの医療と支援の確立に貢献した。堀部氏は、名古屋大学医学部を卒業後、米メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターにリサーチフェローとして留学し、骨髄移植の基礎研究に携わった。帰国後、名古屋大学医学部小児科、名古屋第一赤十字病院小児科において、小児血液分野の診療・研究に従事し、2001年から2019年まで独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター小児科医長ならびに臨床研究センター長を務めた。この間一貫して小児がん、特に白血病リンパ腫の診療と臨床研究に携わり、小児がんの標準治療確立を目指した臨床試験の実施と多施設共同研究体制の構築に取り組んだ。1996年に小児白血病研究会の設立を、2003年には日本小児白血病リンパ腫研究グループの設立を主導し、全国規模での白血病治療研究をけん引した。また、当時は一般的ではなかった、説明に基づく文書同意導入や、科学的にデザインされた研究計画書作成、病理中央診断体制の構築とともに、多施設共同臨床研究の適切なデータ管理に不可欠な独立したデータセンターを名古屋医療センター内に構築し、欧米に匹敵する多施設共同臨床試験体制を整備し、50を超える臨床試験の実施によって、国内外の白血病・リンパ腫の診断・治療に関する科学的エビデンス創出に大きく貢献した。近年は、AYA世代急性リンパ性白血病の治療成績向上に向けて成人白血病治療共同研究機構との共同研究を進めるとともに、日本小児がん研究グループの体制整備に取り組み、『一般社団法人AYAがんの医療と支援のあり方研究会』を設立し、AYA世代がんの普及啓発を行っている。堀部氏は、精力的な研究活動の一方で、患者やその家族のサポートに尽力し、行政や社会への積極的な働きかけも行っている」と受賞の理由を説明した。
医師部門を受賞した堀部氏は、「周りの支えがあったからこそ受賞できたと思っている。長年、白血病リンパ腫の研究を行ってきた。不治の病といわれてきた白血病ではあるが、近年は治る病気として知られるようになった。それでもすべての人が助かる病気ではなく、残念ながら命を落とす人もいる。一方、治療が終了したとはいえ、定期的な検査が必要で、検査内容について不安だという患者も少なくない。特に小児白血病患者の不安を取り除くために、丁寧な説明などを行ってきた。また小児がん患者の支援も行っている。がんに罹患した子どもたちがイキイキと暮らせる社会の実現を目指し、これからも研究に励んでいきたい」と話していた。
医療・看護・介護従事者部門は、リンデン 代表取締役(在宅医療・介護ゆらりん)の林田菜緒美氏が受賞した。プレゼンターの第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」審査委員で、日本社会事業大学専門職大学院 客員教授、元厚生労働事務次官の蒲原基道氏は、「林田氏は、人工呼吸器を使用している患者でも断らない看護小規模多機能型居宅介護(看多機)を作り上げ、今では0歳から100歳までが自然に互助し合える新しい訪問看護を生み出すなど、これからの共生社会の創出に挑んでいる。30代で看護師資格を取得した林田氏は、病院勤務を経た後、2011年に訪問看護ステーション、2013年には神奈川県川崎市の第1号となった看護小規模型居宅介護(看多機)の事業所『ナーシングホームゆらりん』、2016年には重症心身障がい児を対象とした児童発達支援・放課後等デイサービス『KIDSゆらりん』を開設するなど、“地域で療養する医療ニーズの高い全世代の利用者”を支えてきた。特に看多機では、介護者の自宅で過ごしたいという希望に寄り添うことと『呼吸器でも断らない』をモットーに、重傷者も泊りや通いを利用できるよう体制を整えた『ゆらりん家』やドライバー・看護師・介護職の3名体制による送迎サービスなど、在宅療養の限界点を高め、人生の最期まで、その人が望む暮らしを実現するためのケアに取り組んできた。林田氏の地域全体でのケアは広がり続け、認知症高齢者・軽度者の自立支援に向けて『ゆらりん家』と児童発達支援・放課後等デイサービスの『KIDSゆらりん』を統合したサテライトを小学校に隣接させ、0歳から100歳までが同じフロアで過ごすことができる環境を作った。2019年には川崎市からの受託事業によって、『ゆらりん家』を日曜日に地域開放し、健康体操や『ゆらりん弁当』づくりを行っている。さらに、2023年には『子どもだけじゃない食堂』を開設し、毎回90人の幼児から高齢者で賑わいを見せている。林田氏は、住民の困りごとに寄り添い、“地域にないものは作るしかない”の精神で、地域開放を通じて培った互助の考えによって、ボランティアにも支えられながら、支援する側・支援される側を超えた“つながり”によって、これからの共生社会を創出している」と受賞理由を述べていた。
医療・看護・介護従事者部門を受賞した林田氏は、「訪問看護からスタートして数十年が経ち、今では包括的な支援を行うようにしている。高齢者の支援だけでなく地域の障害者への支援も行うようになった。現在、様々な地域から一歩踏み込んだ介護を行いたいという相談が後を経たない。ヘルシー・ソサエティ賞を受賞したことで、一歩踏み込んだ介護を目指す人々の励みや希望につながるのではないかと思っている」と、様々な地域で看護や介護に従事したいという人々が増えることに期待を寄せていた。
ボランティア部門(国際)は、特定非営利活動法人 フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー JAPAN 創設者・理事の井津建郎氏が受賞した。プレゼンターを務めた第19回「ヘルシー・ソサエティ賞」審査委員で、元最高裁判事、元外務事務次官の竹内行夫氏は、「井津氏は、カンボジアとラオスに非営利小児病院を設立し、現地の小児医療を支え、また医療人材の育成に大きく貢献した。世界的な宝飾ブランドをはじめ、多くのブランド・企業のコマーシャルフォトを手掛けながら、『聖地』や『祈り』などの名作でも知られる著名な写真家である。井津氏は、約30年前に写真家として世界各地をめぐる中で、カンボジアの少女がたった2ドルの治療費が払えなかったことから必要な医療を受けられず、同氏の目の前で亡くなってしまったことをきっかけに、無料で医療が受けられる非営利の小児病院を作ることを決意。そして決意するや否や同氏は写真家としての作品によって得た資金で基金を設置し、1995年には『フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー(国境なき友人)』をニューヨークに設立した。翌年に日本事務所を開設し、以降多くの支援をもとに1999年にカンボジアに『アンコール小児病院』を開設。同病院は医療を提供するだけでなく、現地運営もできるよう現地の人材育成にも努め、現在では現地化も図った。以来、約500名のカンボジア人スタッフが、述べ200万人以上の子どもたちの健康を守りながら、さらにカンボジア全土の医療教育と小児医療の向上にも大きく貢献した。さらに2015年には同小児病院をラオスにも設立し、約20万人の子どもたちの治療と医療人材の育成に尽力している」と受賞理由について語っていた。
ボランティア部門(国際)を受賞した井津氏は、「30年前にカンボジアで、たった2ドルを払えず、治療も受けることができなかった少女が目の前で亡くなる姿をみて愕然とした。これを機に、すべての患者をわが子と思って接することを信念に小児病院をつくることを決意した。今では現地の人々が貧しい人々のために働いている。こうした医師や看護師、ボランティア、スタッフたちの素晴らしい対応があるからこそ、小児病院が機能していると感じている」と、小児病院を支える人々に感謝の気持ちを述べていた。
最後に再びJ&Jの玉井氏が登壇。「人が生きるために努力を重ねている受賞者たちに敬意を表する。ヘルシー・ソサエティ賞は今年で20年という節目を迎えた。ここで当社は主催者としての任を終えることにした。2004年からスタートしたヘルシー・ソサエティ賞は様々な領域で大きな成果を挙げてきたと自負している。世の中に功績を広く知らしめることで、複雑な病の予防や改善につながった。主催者として一線を退くものの今後も、ヘルシー・ソサエティ賞に関わるすべての人々とともに歩んでいければと思っている」と閉会の辞を述べていた。
ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループ=https://www.jnj.co.jp/
日本看護協会=https://www.nurse.or.jp/