目次
- 1960年に祖父が樫山プレス工業を設立し「下請より独自ブランドのメーカーとして生きる」想いを繋ぐ。公平な視線で地域と会社の発展に貢献。教えは今も事業の基本
- 2代目社長は米国で販路開拓。マレーシア、インドネシアなど海外事業を拡大したが、業績不振で会社売却も検討。交渉決裂で自力再建し2010年に3代目の樫山剛士社長就任
- 補修部品特化の強みと独自ブランドの信頼性を生かして、業績右肩上がり。来期は売上高78億円見込む。新規分野への進出も積極化
- 環境センサーを導入し、温湿度のデータをパソコンで記録。頭打ちだった不良発生率を定量的に把握して最適な条件を探る
- 設置場所を選ばない小型の環境センサー。予備成形品の保管は温度25℃、湿度45%を維持し、9月連休後の不良発生率は従来比半減を実現
- より柔軟なデータ確認機能の追加に期待。試験稼働を経て2024年から国内全工場にセンサー導入
- 「MK KASHIYAMA」が大企業と肩を並べ世界の新ブランドトップ100に選定。長年の信頼とわかりやすいロゴを高く評価された
浅間山のふもとに本社や工場が点在するエムケーカシヤマ株式会社は、自動車部品の中でも重要なブレーキ補修部品を主に製造する。日本および海外の主要な自動車メーカーを中心に製品レンジを拡大。アジアのほか中東など80ヶ国以上に累計1億セット以上販売しており、品質には定評がある。
安心・安全なブレーキ製造を追求するため、国内工場の不良部品率0.05%をさらに0%に近づけようと常に改善を行っている。温度や湿度に着目し、不良発生の要因を探るためセンサーを設置。本格活用に向け定量検査に本腰を入れて最適な原料の保管条件の検討を行った。(TOP写真:レースカー用ブレーキ製品に特化したブランド「WinmaX」のデモカーと製造工場「STAGE.3」)
1960年に祖父が樫山プレス工業を設立し「下請より独自ブランドのメーカーとして生きる」想いを繋ぐ。公平な視線で地域と会社の発展に貢献。教えは今も事業の基本
樫山剛士代表取締役社長の祖父、信(まこと)氏は終戦の翌年に「樫山商店」を立ち上げて東京で調達した自動車部品の販売を開始。高度経済成長期の1960年に「樫山プレス工業株式会社(現エムケーカシヤマ)」を設立して製造業に進出した。自動車部品などを製造していたが、1965年からはブレーキシュー(ドラムブレーキのドラムを内側から押し当て摩擦を与える部品)やブレーキパッド(ディスクブレーキのローターを両側から挟んで摩擦を与える部品)など次第にブレーキ部品の製造に本腰を入れるようになった。
信氏は設立当初から「下請ではなく独自ブランドのメーカーとして生きる」という信念を持ち、1966年にはマコト・カシヤマの頭文字を取った「MKブランド」で自社製品の販売を開始した。樫山社長は「祖父は公平な視線で従業員、会社を第一に考えて地域と会社の発展に貢献してきた。祖父の言葉は今もいろいろなところで生きている。長野県と独自ブランドにこだわった事業経営は当社の基本だ」と経営理念を説明する。
2代目社長は米国で販路開拓。マレーシア、インドネシアなど海外事業を拡大したが、業績不振で会社売却も検討。交渉決裂で自力再建し2010年に3代目の樫山剛士社長就任
樫山社長の父、高士氏が2代目代表取締役社長に就任したのは1979年。「父は単身米国に飛んで電話帳で『ブレーキ』と名の付く会社に片っ端から電話してアポイントを取って自社製品を売り込んだ。マレーシアやインドネシアでの生産も父の時代に始まり、海外事業は父の時代に急拡大した」(樫山社長)。1984年にはレースカー用ブレーキ製品の製造にも参入した。
祖父、父親と経営者の家庭で育った樫山社長は小学生時代から経営に興味を持つようになり、会社を引き継ぐ覚悟が次第に養われた。海外企業との付き合いが多かった父親の姿を見て英語は必須だと考え1年半の英国留学を経て、2001年にエムケーカシヤマに入社した。
しかし、入社してみると会社は大変な状態だった。円高による海外売り上げの減少や国内大手顧客からの受注減、ブレーキ摩擦材の変更などにより売上はピーク時から50%以上減少し、高士社長は会社の売却を考えていた。
入社早々、自社の事業売却交渉をする事になり、売却先は決まったものの契約締結の1週間前に突如破談に。自力再建の道を探る事になった。経営陣は人員削減など事業再編に奮闘。一方で製品開発や海外企業との提携も進め経営再建にめどが立った2010年、高士氏は代表取締役会長となり、34歳の剛士氏が3代目の代表取締役社長、4歳違う弟の洋之氏が取締役副社長に就任した。
補修部品特化の強みと独自ブランドの信頼性を生かして、業績右肩上がり。来期は売上高78億円見込む。新規分野への進出も積極化
日本経済はリーマン・ショック後の低迷からやや持ち直した時期だが、不況によって需要が左右されにくい補修部品に特化した事業構造の強さに加え、MKブランドの同じ製品を半世紀以上提供し続けてきた信頼性が追い風となり、業績は2002年を底に右肩上がりで成長。2023年売上高は78億円を見込む(前期比約10億円増)。
樫山社長は「祖父と父が作り上げてきた会社を、弟の副社長と一緒に時代に合わせて発展させていくことが自分の役目だと考えている」と話す。創業時から販売するブレーキパッドやブレーキシューで培った摩擦材関連技術をさらに産業機械向けなど新規分野の製品開発にも意欲を燃やす。不良品発生率の低減など製造技術をさらに研ぎ澄ますことは重要な基盤となる。
環境センサーを導入し、温湿度のデータをパソコンで記録。頭打ちだった不良発生率を定量的に把握して最適な条件を探る
ブレーキパッド製造工場「STAGE.2」(佐久市長土呂)に2023年7月に導入したのが温度や湿度を正確に計測してパソコンにデータを記録できる環境センサーだ。
ブレーキパッド本体は樹脂成形のため、温度と湿度によって成形の精度が微妙に変化し、それが不良品発生につながりやすい。温湿度の計測は製造ラインの正常稼動に不可欠な要素だが、これまでは工場内の各所に温湿度計を置いておき、それを観察しながら作業していた。
製造部の相馬章部長は「製造過程には200度前後の高温箇所が3工程あって、ブレーキパッドの不良率は10年前に1.5%レベルだった。不良率低減のためにいろいろなアイデアを出しあって試行錯誤しながら0.05%まで下げて来た。しかし、それ以下にはなかなか改善できず頭打ちだった。そこで温湿度と不良率の相関を定量的に把握しようということになった」と導入経緯を説明する。
設置場所を選ばない小型の環境センサー。予備成形品の保管は温度25℃、湿度45%を維持し、9月連休後の不良発生率は従来比半減を実現
4センチ四方程度と小型の環境センサーは、製造ライン近くの3ヶ所に設置。電池交換は不要で、管理棟内のパソコンに温湿度の計測データを送信、パソコンにデータを記録して不良品発生との関係を細密に分析することが可能になる。
「予備成形品は水分を吸い込みやすく、梅雨の時期や休日後の週明けに不良品が多く出ていた。予備成形品の保管庫に除湿機を設置して温度は25℃、湿度は45%に設定している」(相馬部長)。9月16~18日の3連休後の不良品率は「まだ正確な分析はしていないが、半分以下に減った」(同)
導入した環境センサーにより温湿度を微細に把握し管理できるため、今後、更なる不良発生率の低減と従業員が働きやすい最適な作業環境を創り出していく方針だ。
より柔軟なデータ確認機能の追加に期待。試験稼働を経て2024年から国内全工場にセンサー導入
MKJ製造/STAGE.2の細谷竜也係長は「電源が不要で小さいためデータを取りたい場所にどこにでも置ける点は、非常に使いやすい」と自律動作・自動送信機能を備えた環境センサーを評価する。ただ、現状ではパソコンを立ち上げておかないとデータを受信できないため、スマートフォンで確認したり、土日に状況を確認することができない。より柔軟なデータ確認が行えるよう今後の機能拡張に期待している。
STAGE.2での試験稼働を経て、2024年からはブレーキシュー製造御工場「STAGE.1」(佐久市長土呂)と産業・建設機械用、レース・サーキット用ブレーキ製品製造工場「STAGE.3」(佐久市小田井)への導入も予定している。
「MK KASHIYAMA」が大企業と肩を並べ世界の新ブランドトップ100に選定。長年の信頼とわかりやすいロゴを高く評価された
世界的な調査会社が2023年7月に発表した「トップ100ニューブランド2023」に、株式会社アイシン、富士フィルムビジネスイノベーション株式会社、パナソニックホールディングス株式会社とともに「MK KASHIYAMA」が選出された。日本企業は4社だけで世界的な大企業3社と並び地方の未上場企業が選出されたわけで、「どの国・言語の人にも分かりやすいロゴにリニューアルし、60カ国以上での商標登録などグローバルでのブランド認知の取り組みが評価された」と樫山社長も喜ぶ。創業以来こだわってきたエムケーカシヤマの「ブランド力」が自他ともに認められたといえそうだ。
企業概要
会社名 | エムケーカシヤマ株式会社 |
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住所 | 長野県佐久市小田井1119 |
HP | https://www.mk-kashiyama.com/ |
電話 | 0267-85-1234 |
設立 | 1960年12月 |
従業員数 | 188人 |
事業内容 | ブレーキシューアッセンブリー、ディスクブレーキパッド、ディスクローターの製造、販売/省力機械設計、製造/各種産業用ブレーキの製造 |