(本記事は、キム・ボムジュン氏(著)、朝田 ゆう氏(翻訳)氏の著書『「また会いたい」と思われる人は話し方が違う』=扶桑社、2023年3月29日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
物理的な距離と同じだけ心理的な距離も必要だ
人間にはパーソナルスペースをもちたいという本能がある。誰かと話をするときも同じだ。会話するときにはある程度の距離感を保とうとするものだ。そして、話し相手が誰かによって、その距離感は少しずつ違う。
話の内容によっても距離感は変わってくるが、親密な相手との会話や秘密の話をする場合は、その距離が縮まることがある。また、相手が最も楽に思える距離感で話すことこそがよいコミュニケーションの条件だ、という研究結果もある。たしかにそのとおりだ。あまり親しくない人にあまりに近くで話されるほど、落ち着かないことはない。一、二度会っただけなのに古い知り合いのように至近距離で話されるととても負担に感じる。物理的な距離は重要である。先ほど言ったように、誰でも本能的にパーソナルスペースをもちたいと思っているからだ。
そして、物理的な距離よりさらに重要なのは、「心理的な距離」である。これも正しい距離感を見つけなくてはならない。簡単に言うと、口を挟んではいけないときは口を挟まないということだ。特にプライバシーに関する無神経な言葉は、相手を怒らせやすい。他人のプライバシーについて話すときは、慎重かつ厳格に一定の距離感を保とう。
私が月に二回出席している読書会がある。その集まりで、会社勤めをしているというもの静かで親切な人と出会った。機会があって彼と酒を飲むことになったのだが、彼が体験した話を聞いてあきれてしまった。
「本を読んで人生について考える時間は、私にとってとても大事な瞬間です。一か月くらい前だったかな。こんなことがありました。ランチのあとにコーヒーを飲みながら、会社の同僚たちに『知り合いと古典文学を勉強しているんです。月に二回集まって、自分たちが読んだ本について話すんですよ』と言いました。すると先週、誰かが私についてこんなことを言っていると耳にしたのです。『チェ課長は仕事がないらしい。毎日、ソクラテスだか孔子だかの本を読む時間があるんだからね。こっちは新聞を読む時間もないっていうのに……』。私は裏切られたような気持ちになりました」
他人の私生活についてむやみに話すのは、その人の私生活を馬鹿にしているようなものだ。絶対にしてはいけない。たとえば、他人の宗教や好みなどについて、けなしたり、首を突っ込んだりしてはならない。他人のプライバシーを尊重できない人に向けられるのは、怒りだけだ。
言葉は生きている。よけいな一言で人間関係を台無しにしてはいけない。むやみに私生活に首を突っ込んでは一生消えない傷跡を相手に残すような愚かな発言は、控えよう。私生活は守られなければならない。他人のプライベートを尊重しなければならない。他人の生活はその人のものであって、あなたのものではないことを忘れてはならない。