東日本大震災から12年、住宅、交通、産業施設などインフラ関連の復興事業はほぼ完了した。災害公営住宅、高台移転による宅地造成は2020年末時点で完了、復興道路・復興支援道路570㎞の整備も終わり、鉄道も復旧した。営農再開可能な農地面積は95%まで回復、漁港は機能を取り戻し、水産加工施設の98%が業務を再開した。定置漁場のがれきも100%撤去されている(復興庁)。
次世代産業基盤の整備も進む。利用促進等において当社もお手伝いさせていただいた仙台市の次世代放射光施設「ナノテラス」をはじめ、南相馬市の「福島ロボットテストフィールド」、浪江町の「福島水素エネルギー研究フィールド」など、国際水準の先端研究施設が東北の可能性を広げる。2022年10月には震災の記憶を伝える伝承館や交流センター等を併設した大型施設「道の駅さんさん南三陸」もオープン、地域振興と域外からの誘客拡大を目指す。
一方、被災地との一体感は徐々に希薄化しつつある。復興財源の防衛費への “転用” が象徴的だ。徴収期間の延長で総額を合わせれば問題はない、との発想そのものが優先順位の後退を示す。原子力政策も転換した。原発の新設、増設を容認、“60年ルール” も無効となった。世代を越えた責任を伴う国策の決定に際し、はたして科学的な議論は十分であったか。それは開かれた議論であったのか。かつて日本中が自分事として受け止めた “原子炉3基、同時炉心溶融” という未曽有の衝撃も12年という歳月と昨年来のエネルギー危機を前に色褪せたということか。
12年が経った。しかし、避難者は未だに3万人を越える。廃炉にはまだ30~40年を要する。最終形も決まっていない。帰宅困難区域に復興拠点を置くための復興再生計画の完了率は2022年6月時点で13.8%に止まる(会計検査院)。復興庁が実施した帰還に関するアンケートによると富岡、双葉、浪江地区では「戻らない」との回答が5割を越える。故郷の再生は遠い。1次産業の風評被害も残る。被災は現在も進行している。それゆえに、被災地の復興に日本の再生を重ねたあの日の決意に立ち返り、あらためて未来の在り方と防災について考えたい。格言どおり、災害は忘れた頃にやってくる、はずだから。
今週の“ひらめき”視点 3.12 – 3.16
代表取締役社長 水越 孝