悩みが武器
河田 真誠(かわだ・しんせい)
1976年生まれ。答えを教えるのではなく、相手に問いかけることで、企業の問題を解決に導く「しつもんコンサルタント」。指示命令ではなく質問をすることで、自ら考え行動する部下を育てていく「しつもんマネージメント」や、売り込むのではなく質問をすることで、買いたい気持ちを引き出していく「しつもん営業」などをテーマに、全国の企業や業界団体などで講演や研修を行い、これまでに約10万人に影響を与えてきた。
主な著書に、『革新的な会社の質問力』(日経BP 社)、『私らしく わがままに 本当の幸せと出逢う100の質問』(A-Works)、『人生、このままでいいの?最高の未来をつくる11の質問』(CCC メディアハウス)がある。

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※Qの質問を自分自身に問いかけながら読み進めてください

年上の友だちと遊ぶ

僕は年上の友だちが多い。学生だった頃から、いつも年上の人と遊んでもらっていて、お酒の飲み方や大人の遊び方、社会での立ち振る舞い方、人付き合いの方法など、人生の楽しみ方をいろいろと教えてもらった。

上の世代の人は僕の知らない世界(時代)を生きてこられているので、話を聞くのが単純に楽しい。同じ感覚を海外の旅先で現地の人と話していても感じるのだが、こんな身近で、違う世界の話を聞けるのだから、本当にありがたい。そして何よりも「生きた先人の知恵」が得られることが本当に嬉しい。

Q :年上の友だちとどんな話を楽しみたいですか?

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。経験から学ぶことももちろん大切だ。まずは知ること、そして自分で経験することだろう。しかし、一人でできる経験は限られているし、経験できないこともある。

僕は今40代なのだが、最近は70代くらいの父親世代の人とよくご飯に行かせてもらっている。その時には、「もし今、40代に戻れるとしたら何をしますか?」とか「40代の頃の自分に、どんなことを言いたいですか?」と質問をしている。

実際に40代を過ごしてみないと気づけないことはたくさんある。時間は戻せないから、経験してから大切なことを知ったのでは遅いのだ。だから、実際に40代を過ごしてきた人に話を聞いて、その経験を活かすことができれば、僕は同じ失敗をしなくてもいいし、良い面は真似をすることもできる。

しかし、話を聞かせてもらっても、ピンとこないこともある。それは、今の僕ではその大切さが理解できていないからだ。それはそうだろう。もし理解できているのであれば、わざわざ話を聞く必要もない。今の僕では理解できないことが知りたいから、先人の話を聞くのだ。

僕は「こういうことを大切にした方がいい」と教わったら、それが良いか悪いかをジャッジすることなく、「まずはやってみる」ことを大切にしている。きっと何年後かに、あの時あれをやってよかったと思うことだろう。もし思えないとしても、人生で試してみて損をすることは何もない。「何でも糧にしていく」という意識さえあれば、人生にムダなものなんて何もないのだ。まずは、試しに「ちょっとやってみる」ことが大切だ。

ぜひとも、年上の友だちを作って、話を聞いてみてほしい。「私とは違うな」という意識ではなく、「何か得るものはないかな」や「何か与えることはできないだろうか」と、つながりを作る意識を持ってみよう。僕も、人生の時々に引き上げてくださる先輩がいて、ここまでやってこられた。「年上にかわいがられる」ということも、本当に大切な能力の一つだと思う。こちらからでは開かない扉を、先輩が向こうから開けてくださることも人生ではたくさんある。

自分の気持ちを尊重する

僕たちは、毎日多くの選択をしていて「何を選択するか」は人生に大きな影響を及ぼしている。単純に、人生がうまくいっている人とそうでない人の違いは「選択」の違いだ。

Q :物事を選ぶ時に、何を大切にしていますか?

選択には、大きく分けると「恐れの選択」と「愛の選択」という2つがある。

「恐れの選択」とは、「社会人なんだから……」とか、「今日も仕事に行かなくては……」などのように、「○○すべきである」とか「○○しなくてはいけない」というようなものだ。一方で「愛の選択」とは、「こんな仕事がしたい!」とか「今日も仕事に行きたい!」というような「○○したい」というものだ。言い方を変えると、恐れの選択は、周りの目や周りの評価、常識みたいなものを気にしている状態。愛の選択は、自分の気持ちや考えを大切にできている状態とも言える。

同じ「仕事をする」ということでも、恐れからくる選択だと「仕事をしなくてはいけない」となり、愛の選択だと「仕事をしたい」になる。どちらが、あなたにとって良いのかは明白だろう。できるだけ多くの「愛の選択」で毎日を埋め尽くすことが、自分の人生を生きていくことになるだろう。

しかし、愛の選択をしようとして、「何をしたいですか?」「何を大切にしたいですか?」と自問してみても答えられないことがある。自分の気持ちをないがしろにしすぎていて、何が自分にとっての「愛の選択」かがわからないのだ。しかも、「これが愛の選択になっている?」と他人に確認をしたくもなる。占いみたいなものが流行るのも、誰かに確認し後押しをしてもらいたいからだ。あなたの人生なのに、他人に意見を求め、他人に決めてもらっていたのでは、それは自分の人生と言えるだろうか。責任のない誰かのいい加減な価値観に踊らされていないだろうか。確かに、いちいち自分で考えるのは大変だし、面倒だろう。それもよくわかるが、ぜひとも自分の気持ちを素直に感じて、自分の人生を生きてほしい。

まずできることとしては、たくさんの質問に答えることだ。この本にもたくさんの質問があるし、僕の方でもっと多くの質問を用意している。ぜひ、ホームページにアクセスしてみてほしい(http://shinsei-kawada.com)。

少し余談なのだが、愛の選択をするということは「わがままでいる」ということでもある。「わがまま」とは、「我が」「まま」ということなので、「自分らしく心地よく」ということだ。わがままでいることには何の問題もない。

わがままでいることと、自己中心的でいることは大きく違う。自己中心的とは、「私さえよければいい」という状態だ。一人で生きている訳ではないので、これでは周りとはうまくいかないだろう。「私も自分を大切にするから、あなたも自分を大切にしてほしい」という状態がいいと思う。例えば、みんなが静かに過ごしているカフェがあるとしよう。そこに入ってきて、いきなり大きな声でしゃべりはじめることは自己中心的だろう。わがままではない。自分のわがままを通したいのであれば、賑にぎやかなカフェに行けばいい。