ウクライナ危機がもたらす世界市場の地殻変動と地政学・地経学戦略からの日本企業への示唆
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2022年5月
グローバル・ビジネスグループ
主席研究員 小野寺 晋

ウクライナ危機による世界市場の劇的な地殻変動

2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻。間もなく侵攻開始から3か月を迎えようとしている今、世界は東西冷戦終結後最大の危機に直面している。ロシアに繋がりのある国々には国家安全保障戦略の見直しや強化が喫緊の課題として大きくのしかかり、また、世界市場においても米国や欧州委員会などの西側諸国を中心としたロシアに対する金融、経済制裁の発動による大きな影響が出始めている。そのポイントは大きく2つあると考える。

第一の影響は、「グローバルサプライチェーンの崩壊」であり、今回のウクライナ危機を発端に、ロシア・ウクライナからの原料・部品の調達やロジスティクスを含むグローバルリスクがあらためて顕在化した。例えば、ロシアは自動車やスマートフォン部品に採用されるレアメタルの一種であるパラジウムを、ウクライナは半導体製造用の高純度ネオンガスを世界市場に多く供給しているが、今般のウクライナへの軍事侵攻によって供給の停滞や価格の高騰が問題視され始めている。またロジスティクスにおいても、中国を筆頭とするアジア圏内で生産された部品や製品の欧州への主要輸送手段として活用されてきたロシア鉄道網が今回の侵攻によってアクセス不可となり、更に、代替手段としての空路による輸送もロシア上空迂回によって輸送コストの大幅な増加が余儀なくされている。

第二に、「エネルギーの危機」である。ロシアは、天然ガスは世界2位、石油は世界3位の生産量を誇る世界有数のエネルギー大国であるが、特に天然ガスにおいて欧州諸国は需要全体の約4割強をロシアに依存している。今回のウクライナ侵攻は、地球温暖化対策の枠組みの中で欧州のロシア依存が高まる中で起きた想定外の危機であり、ロシアへの制裁措置と既定路線であったロシアのエネルギーに依存した気候対策との狭間で大きなジレンマに直面している。こういった状況の中、2022年3月8日、欧州委員会は「リパワーEU」と名付けた政策文書を発表。これによって2030年までにロシア産の化石燃料の利用をゼロにするという計画を明らかにした。特にロシアへのエネルギー依存度が高い天然ガスについては、非ロシア産のLNG(液化天然ガス)及びロシア以外からのパイプラインによる天然ガスの輸入の拡大によって段階的に脱却を進めていく方針だ。ただしこのシナリオは今後ロシアによるエネルギー供給の対抗措置、また、突発的な軍事衝突などによって崩壊する危険性も孕んでおり、エネルギー消費地である国々はエネルギー価格の高騰という代償を負うことになる。結果、欧州を筆頭にロシアへのエネルギー依存度の高い国々は、エネルギーの安全保障と温暖化対策という、相反する次元を天秤にかけたエネルギー政策の早期修正が求められている。

持続可能なビジネスモデル構築において重要性を増す地政学戦略・地経学戦略の真意

ウクライナ危機を境に世界秩序においても大きな変動が見られ始めている。欧州は今回のロシアへのエネルギー依存脱却がある意味決定打となり、ロシアとのデカップリングが恒久的になる公算が大きいと考えられる。また近年ドイツを中心に経済的パートナーシップを構築してきた中国との関係を見直す動きも見られ、対アジア政策も転換期に差し掛かっている。米国はアジアに向けてきた軸足をNATOによる欧州との連携強化に力点を据え、同時に対中政策をより強化する形で世界における中国包囲網の構築を進めつつある。一方中国は、外交上はロシアへの非難に賛同しつつも同国との協力関係の継続は既定路線で、欧州に対して中立的なスタンスを維持しつつ世界秩序がどこまで分断するかを注視する中で、今後の国家戦略を練り直しているようにもうかがえる。また、近年経済の成長が著しい発展途上国のインドは「クアッド」の一員で対中関係は悪化しているものの、ロシアとは長年友好関係にあり、今後も同国との貿易面、軍事面の関係は継続していくものと見られている。同様にロシアとの元来繋がりのある発展途上国の湾岸諸国、ブラジルなどもロシアを孤立させることはなく関係を継続させていくと見られ、中露とそれを取り巻く国々でより複雑な世界秩序が形成されつつある。

このように、不確実性が高い世界情勢が続く中、地政学・地経学という概念の重要性が再度見直されつつある。地政学とは、 “国の地理的な条件をもとに国家の政治、経済、軍事、社会に与える影響をマクロの視点で分析する学問”である。更に地経学は、 “地政学的な目的の達成に国の産業政策や貿易政策などの経済的な手段を用いることで他国の政策に影響を及ぼす戦略を分析する学問”と定義づけられる。今般日本においても、地形学とほぼ同じ概念と見なされる経済安全保障が重要な国家戦略の一つとして位置付けられ、岸田内閣は「サプライチェーンの強靭化」、「基幹インフラの機能維持」、「基盤技術強化」、「非公開特許」の4つの柱からなる経済安全保障推進法案を2022年2月25日に閣議決定し、国会に提出した。施行前の現時点では、同法案の企業の事業活動へのインパクトは未知数と言わざるを得ないが、確実に言えることは、このウクライナ危機による世界市場の地殻変動が、この地政学戦略・地経学戦略を取り込んだ事業活動の必要性をより増大させている。今後日本企業は単にマクロ視点だけでなく、ミクロの視点で自社の業界や事業活動そのものに踏み込んだ地政学・地経学的情報の収集・分析による戦略の構築がより一層求められていくと確信するのである。世界の趨勢を読み解きそれを事業に適切に調和させる力こそが、リスクをチャンスに変え、持続可能なビジネスモデル構築を実現するための救世主となるのである。