矢野経済研究所
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2月1日の軍事クーデター以降、ミャンマーでは軍事政権に対する市民の抗議デモが続く。時計の針を戻したくない、との必死の思いが報道から伝わってくる。
1988年、民主化運動は四半世紀に及んだネ・ウィン政権を退陣に追い込む。しかし、その直後、軍は民主派勢力を武力で制圧、政権を奪う。そして、2015年、再び四半世紀を経て非暴力民主化運動の象徴アウン・サン・スー・チー氏が国政トップの座につく。政治家としての彼女の評価は分かれる。しかし、軍への反発はその是非を越えて内外に広がる。民主主義そのものが再び暴力で封じられた理不尽さへの抵抗である。

欧米は即座に非難声明を発表、バイデン氏は軍の行動を「民主主義への攻撃」と断じたうえで経済制裁に言及した。ただ、欧米による経済制裁はミャンマーの中国への回帰を促す。スー・チー政権は対中債務の削減など中国の影響力拡大に一定のブレーキをかけてきた。しかし、それでも貿易の3割を中国に依存するなどつながりは深い。よって、経済制裁はミャンマーを完全に中国の側に押しやることになるだろう。しかし、それでも行動を起こさなければ軍事独裁を容認することとなる。日本もまた “自由で開かれたアジア太平洋” の理念にもとづく明確な行動が求められる。

キリンビールはいち早く軍の影響下にある企業との合弁解消を表明した。もちろん、米国の制裁対象に連座される可能性を回避するとの狙いもあるだろう。それでも同社の経営姿勢は内外に伝わった。「明治維新を経て、日本人は “プリンシプル” を失った」とは吉田茂の右腕、白洲次郎氏の言葉である。氏の言う “プリンシプル” とは原理原則の意に近い。もちろん、企業にとって撤退だけが選択肢ではない。とは言え、SDGs、ESGを標ぼうするのであれば、企業はその行動基準を自社の “プリンシプル” としてメッセージする必要がある。

さて、それにしても東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、森会長の言動を巡る混乱にはほとほと辟易する。この騒動自体が時代錯誤であると言っていい。失言への不寛容を嘆くことで異論の封じ込めを試みる者、ムラの掟に阿(おもね)り、沈黙を通じて保身をはかる者たちの多さに今更ながら驚かされる。一方、少しずつではあるが当事者たちからも声が上がり始めた。ただ、スポンサー企業の動きは概して遅く、抑制的だ。新型コロナウイルスの終息に見通しが立たない中、多くの国民が東京2020大会の開催に疑問を持っている。企業も大々的な販促活動を控えざるを得ない。そうした中で起こったこの騒動は、五輪憲章の “プリンシプル” に対する自社の経営姿勢を行動で示す絶好のチャンスであったはずだ。逆説的ではあるが、企業は最大にして最良のブランディング機会を逸した。

今週の“ひらめき”視点 2.7 – 2.11
代表取締役社長 水越 孝