天正3(1575)年、舟着場の茶店として創業した二軒茶屋餅角屋本店。餅屋のかたわら味噌・醤油醸造業も営みながら450年以上の歴史を歩んできた。21代目となる鈴木成宗社長は地ビールづくりに力を入れ、世界最高峰の品評会で受賞を重ねるほどのクラフトビール会社に成長。ファンから「イセカド」の愛称で親しまれるビールづくりの秘密や、コロナ禍の状況について鈴木社長に話を聞いた。
親から継いだ餅屋に飽きてビールづくりに転向
――御社がビール製造をメインに行うようになった経緯は?
鈴木 東北大学の農学部で微生物について学び、卒業後は実家で餅屋の仕事を手伝っていたのですが、すぐに飽きてしまいまして(笑)。その頃、酒税法改正で地ビールの醸造ができるようになったので、「また酵母と遊べる!」とビールづくりを始めたんです。
1997年には伊勢角屋麦酒のブランドを立ち上げ、そこからバタバタしつつもビール事業が拡大し、現在では会社の売上が90%以上をビール関係が占めるようになっています。
――ビールづくりは最初から順調だったのでしょうか?
鈴木 最初はなかなか軌道に乗りませんでした。単にビールをつくるだけなら難しくはありません。狙った味・品質のものをつくることが難しい。伊勢角屋麦酒を立ち上げて5年以内にクラフトビールの世界大会で優勝することを目標に掲げていましたから、その品質に達するまでが大きなハードルでした。実際に世界一を達成したのは6年目のことです。
――どのような施策で世界大会優勝に至ったのでしょうか。
鈴木 最短距離で優勝するためにやったことは、審査する側に回ること。日本地ビール協会の試験を受けて、審査員資格を取得したのです。そして日本の地方大会の審査員から始めて、3年目には全米大会の審査委員に選んでもらうことができました。
地ビール大会では審査員をやりつつ、自分のビールを出品することもできます。もちろん自分の作品は審査できませんが、それ以外の何千というビールを審査していきます。そうすると、評価される傾向がわかってくるんです。また、海外の審査員との情報交換も非常に役に立ちました。海外の有名なブルワー(醸造担当者)が「ニュージーランドのあの地域のホップ、今年はめちゃくちゃいいぞ」とか教えてくれるんです。
審査する側の視点に立ち、評価されるビールの傾向がわかれば、あとはそこに近づけていくだけ。PDCAを繰り返しながら自社のビールを狙った味に少しずつ近づけていきました。
世界一になったが、さっぱり売れなかった……
――世界4大大会の一つであるオーストラリアのインターナショナル・ビア・アワードで、日本企業初となる金賞を受賞したのが2003年。スタートから6年での優勝はすごいですね。
鈴木 それまでの6年間は本当に大変でしたけどね。売上はどん底で、とにかくお金がないから、散髪を妻にやってもらっていたくらいです。
そんな苦労の末の優勝ですから、「これでウハウハだ!」と希望に胸が膨らみました。でも現実は、全然売れなかった。悲しいくらいに売れない。考えてみれば当たり前です。世界大会でクラフトビール愛好家に評価されるビールと、日本人の消費者が好むビールには、大きな開きがあるのです。世界一になって初めて気が付きました。
――その後はどう方向転換したのでしょうか。
鈴木 ターゲットを明確に二つに分けました。一つは、観光客向けの地ビールマーケット。もう一つは、クラフトビール愛好家のマーケット。このまったく違う市場に向けて、それぞれに求められる商品をつくりました。
たとえば観光客向けには、伊勢のお土産っぽさを出しつつ地ビールのクセは抑え、常温でも日持ちがする商品を。クラフトビール愛好家には、最新技術をつぎ込んで、めちゃめちゃ尖った商品を。そのように分けることで、両方のお客様に受け入れられていくようになりました。
――経営が軌道に乗りだしたのはいつぐらいからでしょうか?
鈴木 2009年頃からは順調に売れるようになりました。つくった分だけ売れるようになり、生産規模もどんどん拡張していきました。そのうち工場にタンクが入らなくなったので、2018年には新工場も設立しました。
最高峰の地ビールをつくるため、日本有数の環境を整備
――現在の商品ラインナップのなかで売れ筋や人気商品は?
鈴木 一番人気は看板商品の「ペールエール」です。2003年に初の世界一を獲得したビールで、その後も数々の賞をいただいています。飲みやすさと飲み応えのバランスがとれたビールであり、クラフトビールの愛好家だけでなく初心者にもおすすめできます。
「ねこにひき」も人気です。米ポートランドにあるブルワリーのトーマスさんと仲良くなり、まず初めにわたしが単離した酵母をアメリカに持ち込んで、彼のブルワリーでコラボ レーションビールをつくりました。そのお返しにと、彼がわたしたちのブルワリーに来て、弊社の工場で一緒につくったのが「ねこにひき」です。「New England IPA」という、日本にはあまりないタイプのビールで、白く濁った外観とフルーティーな香りが特徴です。私もトーマスも猫好きだったことから商品名を付けて、お互いの飼う猫をラベルにしました。
――同じ商品でも味はその時々によって変わるのでしょうか?
鈴木 ビールの主原料であるホップは農作物ですから、その年によって品質が変わります。それがビールにも影響し、味が変わります。私たちとしては、ホップの銘柄や産地を変えたり、いくつかのホップをブレンドしたりして、なるべく一定の味になるよう試行錯誤しています。
ビールは単行複発酵という方法で製造します。糖化と発酵の2工程でつくっていくわけですが、その過程は厳密に数値化でき、数値をコントールすることで目的の味を再現できます。職人の経験と勘などに頼らずとも、最新鋭の分析・製造機器を使ってコントロールできるので、日本酒などと比べてつくりやすい製品といえます。
最新鋭の設備を備えているので、大学で醸造学や微生物を学んだ優秀な人材が入ってきてくれます。「世界一のビールを手がけるなら伊勢角屋麦酒しかない」と入社してきた社員もいるくらいです。
アフターコロナに向けて力を溜める
――コロナ禍での経営状況はいかがでしょうか。
鈴木 もう、ボロボロですよ(笑)。当社の販売先は、伊勢志摩の観光客向けと、東京都内のビアバーなど飲食店向けの主に二つ。ECサイトもやっていましたが微々たるもの。主要な二つの販売先がほぼ売れなくなり、このままではタンクにある12万リットルが無駄になるという状況でした。
そこでまずやったことは「雇用を守る」と従業員に宣言すること。感染症の歴史を調べると、どんなに大規模な流行でも2年以内には収まっています。新型コロナも最長2年と見て、その間のキャッシュアウトを試算し、銀行から借り入れを行いました。
次に、自社ECサイト、ブログ、私個人のFacebook、Twitterなどなどで、「ビールたちを助けてください!」と発信しまくりました。するとテレビやネットニュースで話題になり、ECサイトを通じて多くのビールを買っていただくことができました。売上的にはそれでだいぶ助かりましたね。
――今後の展開はどのようなことをお考えでしょうか?
鈴木 現在、コロナ禍で時間に余裕ができたことで、社員への教育・研修を徹底的に進めています。また、2021年3月に数億円かけてイタリアから購入した最新鋭の設備が導入されます。昨年来止まっていた海外への出荷も時機を見て再開する予定です。この機会にしっかりと準備をして、コロナ後に思いっきりアクセルを踏んでダッシュしたいと考えています。
<会社情報>
会社名:有限会社二軒茶屋餅角屋本店(にけんぢゃやもちかどやほんてん)
会社設立:1994年6月24日
資本金:5,800万円
所在地:本社・三重県伊勢市神久六丁目8番25号
代表者氏名:鈴木成宗(すずきなりひろ)
事業内容:食料品製造販売(ビール類、生菓子、味噌、醤油)、飲食店経営 他
URL:https://www.biyagura.jp/