
目次
- 兄弟3人で鉄工所を起業、高い精度求められる食品計量器の台を黙々と作り続けた
- 職人魂で全て手作業、手間がかかり過ぎて休む間もない日々だった
- リーマン・ショック後の不況期に従業員は削減せず、社長給与3分の1に減額してしのぎ、経営改革に乗り出す
- 製造工程自動化で生産性を3倍に、一方で粘り強く値上げ交渉 顧客の困りごとを引き受け、「頼られる存在」で信頼関係築く
- 資格・免許取得を支援し、多能工育成や難しい材料の加工技術にも挑戦して技術力を高め、売上を木村社長就任時の3倍に
- ホームページ作成ソフトを導入し、2025年5月にホームページを「求人特化型」に一新
- メタバースでの職場見学疑似体験が若者に受けたほか、スタッフインタビュー動画も注目された
- 以前はホームページでの採用は皆無だったが、メタバースに注目したハローワークが人材紹介に協力、1年間で6人を新規採用した
- ICT化で働き方改革や事務管理部門の効率化も 勤怠管理をデジタル化し、出退勤時間を選べる二交代勤務制を導入
- 「会社に体力があるときこそ、人材の採用・育成に力を」。社会人としての身だしなみを整えるために散髪代を補助する手当を新設
- 人材育成の強化とICT化による経営の効率化で、持続的な成長を目指す
京都市南区に本社を置く金属加工の株式会社明和は、食品製造機械や半導体製造装置を設置する架台など大型金属製品の製造一筋に62年(1963年創業)の歴史を持つ。リーマン・ショックの影響を受けて業績が低迷していた2010年に父親から経営を引き継いだ木村和也代表取締役社長は、長年培ってきた技術力をベースに製造工程の機械化を進めるなど抜本的な経営改革を行い、新たな成長路線を築いてきた。この成長を持続的なものとするために人材の採用・育成に力を入れており、2024年5月にはホームページを、メタバース(3次元仮想空間)を活用した「求人特化型」に一新し、人材採用で成果を上げている。 (写真TOP 2024年5月に一新したホームページの目玉であるメタバースコーナーのページ)
兄弟3人で鉄工所を起業、高い精度求められる食品計量器の台を黙々と作り続けた

明和の創業は、1963年(昭和38年)。「技術を学び、手に職をつけないと食べていけない」として金属加工の職人をしていた木村社長の父・明夫氏を中心に、兄弟3人で起こした家族経営の明和鉄工所がルーツだ。その後、事業拡張のため京都市右京区の太秦(うずまさ)から現在の本社所在地に移転。1989年に有限会社明和を設立、1995年には株式会社に移行した。
製造していたのは、食品工場の食品計量器の台で小さいサイズのものでも2~3メートル四方となる大型の金属製品。「受注生産で重い金属のフレームを組み上げる仕事は重労働で手間がかかるため、引き受け手はあまりいなかったのですが、真面目な父は『せっかくいただいた仕事だから』と黙々とやり続けてきたようです」(木村社長)。それでも、食品製造機械の入れ替えサイクルは他の機械より早く、「この道一筋」の明和に対する信頼は高まり、業績は順調に推移した。
職人魂で全て手作業、手間がかかり過ぎて休む間もない日々だった

木村社長が入社したのは1984年で19歳の時。当時社長の明夫氏を含めて従業員5人の時代だ。金属加工職人として技術を磨く日々を過ごしながら、家業の推移を見守っていた。
食品計量器の台を製造する工程は、材料となるステンレスなどの鋼材の切断、曲げ加工、計測、溶接、計測、組立となるが、当時の明和では明夫氏の職人魂もあって全て人間の手作業でこなしていた。食品計量器の台には、1グラムの誤差も許されない計量器の正確性を担保する精度が求められ、それを手作業だけで完成させるには多くの人手と大変な手間がかかる。しかも、納品に行くと製造中の製品が「明日までに必要」と言われることもある。このため、「12月下旬の自分の結婚式前夜も朝方3時まで仕事をしていました。仕事に追われていたため、新婚旅行も正月休みにしか行けませんでした」と、木村社長は笑顔を見せながら職人時代を振り返る。
リーマン・ショック後の不況期に従業員は削減せず、社長給与3分の1に減額してしのぎ、経営改革に乗り出す
明和の転機は、リーマン・ショック後の2010年5月に訪れた。リーマン・ショック後の不況によって業績は売上高9割減のどん底の中で、木村社長が経営を明夫氏から引き継いだのだ。
従業員に給料を払えるかどうかという窮地の時だったが、従業員は一人も減らさず、社長の給料を3分の1にしてしのいだ。「職人さんが当社の財産なんです。職人さんに辞められたら、会社は本当につぶれてしまいます」(木村社長)という悲壮な思いだった。
社長就任後すぐに、経営コンサルティングのできる税理士を探し、決算書の読み方をはじめ経営のいろはを学んだ。同時に、アドバイスをもとに会社の弱点を洗い出し、対策を考え、思い切った経営改革に乗り出した。
製造工程自動化で生産性を3倍に、一方で粘り強く値上げ交渉 顧客の困りごとを引き受け、「頼られる存在」で信頼関係築く

まず、当時の粗利益率5%を12~15%に引き上げるため、製造工程の機械化によるコスト削減と顧客への値上げ要請に動いた。製造工程でボトルネックとなっていた1台当たり約500ヶ所もあるボルトの穴あけ工程を改良したレーザー加工機で機械化し、加工精度の向上を実現させた上に、生産性を3倍に高めた。値上げ交渉は、木村社長が先方に出向いて粘り強く説明し、少しずつ理解を得た。木村社長は、就任後の1年間で約3万8000点の部品原価を見直し、価格交渉も行った。
「お客様の困っていることを引き受ければ、お客様の満足度が高くなるのでは」。そう考えた木村社長は、設計図面の一部や全てを作成したり、エンドユーザーごとに異なる細かい仕様の管理を引き受けたり、顧客の困りごとに積極的に対応。顧客には「困りごとがあったら私の顔を思い出してください」(木村社長)と言って、取引継続につながる信頼関係を築いた。
同社の経営理念である「頼られる存在であれ」は、こうした経営姿勢を言葉にしたものだ。
資格・免許取得を支援し、多能工育成や難しい材料の加工技術にも挑戦して技術力を高め、売上を木村社長就任時の3倍に

技術力向上への取り組みも強化した。一人の現場従業員が製造工程のすべてをこなす多能工化を進め、同社の強みにした。製造工程には、溶接やフォークリフト操作など国家資格や免許が必要な工程も多いが、資格・免許取得は全て会社が支援。溶接の国家資格試験前に義務付けられている安全講義を社内で受講できる体制も整えた。
チタンや二層ステンレスなど加工の難しい材料の加工技術にも挑戦し、職人それぞれに高度で新しい加工技術を取り入れた金属製のオブジェを製作させ、積極的に取引先の技術展示会に出品して技術力を磨いてきた。
2018年には取引先の工場が集まる滋賀県に新工場を建設。経営改革によって粗利率は2024年4月期で35%程度に高まり、売上高は木村社長就任時の2010年度に比べて3倍に増えた。
ホームページ作成ソフトを導入し、2025年5月にホームページを「求人特化型」に一新

「ホームページを見たと言って来てくれる入社希望者が増えました」。木村社長はこう言って満面の笑みを浮かべる。
2024年春にホームページ作成ソフトを導入し、5月にホームページをシステム支援会社と共同制作したものに変更した。内容も従来の優れた製造技術や強みを中心に紹介する顧客向けから、会社の経営姿勢や仕事の内容、待遇・福利厚生を中心に紹介し、人材採用を目的とした「求人特化型」に一新した。
メタバースでの職場見学疑似体験が若者に受けたほか、スタッフインタビュー動画も注目された


その中でも、ホームページ内のどのページにも表示されるバナーをクリックして移動することができるメタバースの職場見学疑似体験コーナーを設けたのが最大の特徴だ。「メタバース体験はこちら」のバナーをクリックしてメタバースコーナーに移動すれば、自分の化身となるアバターを通して3D画像での疑似工場見学ができ、会社の取り組みや仕事内容を知ることができる仕組みだ。
また、採用特設ページには、会社案内、会社の特徴、働く環境、メタバース、エントリーに加えて、スタッフインタビューのページを設けており、インタビュー動画もアップしている。現在はベトナム人スタッフ二人のベトナム語でのインタビュー動画が掲載されており、ベトナム人エンジニアの求人に大きな役割を果たしている。
以前はホームページでの採用は皆無だったが、メタバースに注目したハローワークが人材紹介に協力、1年間で6人を新規採用した

メタバース体験コーナーをホームページに設けた反響・効果は大きく、2024年10月にハローワークが明和を訪れ、わざわざ協力を申し入れてきた。「ハローワークさんは、『あのホームページがあるから私たちも御社を紹介しやすい』と言ってくれており、ハローワークを通して面接に来てくれる人が増えています」(木村社長)という。
ホームページを変更する前は、ホームページをきっかけに求人に応募して来る人は皆無だったが、今はメタバース効果でホームページが応募の動機になっている。「メタバースのホームページに変えてから、2024年中に3人、2025年に入ってから3人と、この約1年で6人を新規採用しました。面接者はもっと多いですし、今日もベトナム人の大卒エンジニアが面接に来ました」と言って、木村社長は顔をほころばせる。
ICT化で働き方改革や事務管理部門の効率化も 勤怠管理をデジタル化し、出退勤時間を選べる二交代勤務制を導入
働き方改革や事務管理部門効率化につながるICT化も進めている。2024年4月には勤怠管理システムを導入し、勤怠管理をデジタル化したことを受けて、朝夕の出退勤時間を1時間ずらすことができる二交代勤務制を採用した。午前8時出勤・午後4時退社と、午前9時出社・午後5時退社の二通りの勤務時間から自分の生活に合った勤務時間を1ヶ月ごとに選択できる制度で、従業員は幼稚園児や小中学校生など子どもの生活サイクルに合わせて出退勤時間を選んでいる。
「会社に体力があるときこそ、人材の採用・育成に力を」。社会人としての身だしなみを整えるために散髪代を補助する手当を新設

明和の従業員数は現在32人で、この1年間で6人増えた。このうちベトナム人従業員はエンジニア、特定技能者、技能実習生合わせて8人。「安い労働力ではなく、優れた人材を求めている」(木村社長)から、ベトナム人従業員も待遇は給与を含めて日本人従業員と全く同じだ。「収益が上がって体力があるときこそ、人材の採用・育成に力を入れていかなくてはいけない」。木村社長はこう強調する。
設計から加工、完成までの一貫生産体制が明和の強みであり、それを可能にしているのが多能工化だ。全ての工程を一人の技能工がこなす多能工の育成には、数年の時間がかかる。社会人としての人間教育も必要だ。2025年4月には、社会人としての身だしなみを整えるという意味から、出勤日の9割以上出勤した従業員を対象に「衛生手当」として散髪代を補助する手当を新設した。
人材育成の強化とICT化による経営の効率化で、持続的な成長を目指す

今後のICT化では、製作・検査・管理などの多種にわたる図面や納品書、請求書など紙書類のデジタル化によるペーパーレスを目指す方針だ。このため、すでに統合脅威管理システムを導入し、セキュリティ対策を強化する体制を整えている。
「人材が来てくれるのも、辞めてしまうのも、全て会社の責任なんです。人に来てもらい、スキルを高めて長く働いてもらえるように、会社が変わっていくべきだと思います」。木村社長はこう強調し、人材育成に一段と力を入れるとともに、ICT化による経営の効率化を進め、持続的な成長を目指している。
企業概要
会社名 | 株式会社明和 |
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本社 | 京都府京都市南区久世築山町374-9 |
HP | https://k-meiwa.net/ |
電話 | 075-934-6834 |
設立 | 1989年11月(創業1963年11月) |
従業員数 | 32人 |
事業内容 | ステンレス・鉄、アルミ・チタン製品の製造、製缶、フレーム、精密板金、加工一式、各種表面処理など |