あらゆる店を偵察に~外食レジェンドが語る「飲食業の危機」
東京を中心に7店舗を展開する「じねんじょ庵」。客のお目当ては「自然薯もつ鍋」(1人前1639円)などの鍋料理だ。この店では、具材に火が通ったところで、自然薯のとろろを流し込む。自然薯とは日本原産の山芋で、古くから滋養強壮に効果があると珍重されてきた。ここは自然薯のレストランチェーンだ。
その店に外食界のレジェンド、横川竟(82)が「偵察」に来ていた。
まず店のメニューを見ると、「メニューが手作り。システマチックではなく、今は手作り風のほうがいい。チェーンストア風でないからいいんです」。名物の自然薯と大和芋の「“生とろ”食べ比べ」(2人前770円)について「これで『うちのは本物』と言っている。比較して出すということは、商品に自信がある証拠。売り方の演出が非常にうまい」と評した。
「じねんじょ庵」を経営するのは「牛角」の創業者、「ダイニングイノベーション」の西山知義さん。外食業界のヒットメーカーとして知られる経営者だ。
その西山さんが横川の席に挨拶に訪れた。
「いろいろなことにアンテナを立てて見られている。日本の外食の礎をつくった方。会長のような方がいらっしゃって、そのうえで僕らもいろいろ努力をしている。お客様の立場に立った視点が素晴らしいと思います」(西山さん)
横川は1970年にファミレスの元祖「すかいらーく」を作った男。その後も「ジョナサン」などを成功させ、売り上げ4000億円の巨大グループを築いた。しかも76歳にして新たな外食チェーン「高倉町珈琲」を立ち上げ、すでに全国で26店舗まで拡大した。
その最大の魅力は、ゆったりとした空間で食べる「スフレオムライス」(990円)などおいしそうなメニューと、居心地のいいソファ。いかに心地よい空間を作り上げるか、横川自ら椅子の色にまでこだわりぬく。貫かれるのは徹底的な客目線だ。新メニューの開発会議では自らアイデアを出していた。
かつて巨大チェーンを作った横川だが、 今求められる外食はその真逆にあるという。
「働く人にとっての面白さ、お客さんにとっての楽しさが、今は欠落している。心がないビジネスばかりやったからデフレになった。安く売ると儲からないので、材料費も削る、人件費も削るということが、この20、30年、外食で起きたんじゃないですか」(横川)
いきなり大ピンチ~熾烈すぎる「肉戦争」の裏側
すでに半世紀、業界で生きてきた横川でさえ、気を緩めると生き残れないのが日本の外食だ。この1年だけでも、「バーガーキング」は23の不採算店を整理。ラーメンの「幸楽苑」も51店舗の閉店を発表した。
急成長した「いきなり!ステーキ」は実に70店を超える店の撤退に追い込まれた。その「いきなり!ステーキ」について、横川は「アンガス牛の1400円を食べたら、良かったんです。うまくやればいい会社になるし、今の形だとどこかで修正しなければならない」と語る。
「いきなり!ステーキ」を生み出したペッパーフードサービス社長・一瀬邦夫は外食業界60年の77歳。去年からの業績低迷は、予想をはるかに超えるものだったという。
「どうなっちゃうのかな、と。努力していろいろなことをやっても下げ止まらない。それでも5年間も右肩上がりだった。良かった時のことが忘れられないんです」(一瀬)
「いきなり!ステーキ」がオープンしたのは2013年。大行列を作り客が殺到した理由はその斬新な業態にあった。回転の早い立ち食いスタイルだ。300グラムの塊でも1500円という価格で気軽に食べてもらおうという狙いがあたった。
さまざまなメディアが「立ち食いステーキの仕掛け人」として取り上げ、一瀬は一躍「時の人」に。2017年には、ニューヨーク進出まで果たす。
ところが、「去年あたりから少し暇になった。成功すると、そのビジネスはいつか必ず失敗するんです」(一瀬)。
低迷を始めた理由の一つは「アッ!そうだステーキ」「カミナリステーキ」など、ステーキを売りにした大量の類似店が街に溢れたこと。早速一瀬は対抗策を打つ。試験的に作ったのが、肉だけでなく新鮮な牡蠣も食べられる店。しかしそんな挑戦もむなしく、「いきなり!ステーキ」の収益は悪化、赤字に転落してしまう。
横川は最大の戦略ミスを「立地を間違えなければ、駅の数だけ出店できます。どこに出したかが問題。失敗するんです、立地は」と、分析する。
わずか数年で500店を出店。東京の郊外のエリアには半径10キロほどに20店舗以上がひしめき合うところも。しかも、ショッピングモール内にいくつもの店を出しながら、すぐ近くのロードサイドにまで出店している。「いきなり!ステーキ」同士が、客を取り合ってしまったのだ。
そんな苦境でも戦い続ける一瀬が店先に掲げたのは、その決意表明とも言える直筆のメッセージだった。
「自分が食べたいものをお客様に売る。お客様は喜んでくれるに違いない。これが根底にあるんです」(一瀬)
「いきなり!ステーキ」は高い?~名物社長が全てを明かす
「いきなり!ステーキ」はなぜ低迷したのか。街の人に聞くと、誰もが「高い」と言う。そんな声を知るや、早速一瀬が導入したのは格安900円のランチセット。ライスとサラダ、スープまで付いたお値打ちメニューだ。
一瀬はさらに驚くようなアイデアを準備していた。
香川・高松市の「いきなり!ステーキ」高松レインボーロード店で売られているのは、放牧され、牧草だけで育てられたニュージーランド産の牛肉。2月から四国での限定販売を開始した(「ニュージーランド産サーロインステーキ」400g2508円)。
ニュージーランド産だけではない。一瀬のアイデアは、ウルグアイ産など、世界中の牛肉を楽しめるようにすることだった。
「メキシコ、ブラジル、アルゼンチン……どこかで何かをやっている。それをローテーションを組んで出す。店の変化をつけながらアピールしていく姿勢を出していきたい」(一瀬)
また一瀬は、特徴だった、グラム数を聞いて切るオーダーカットのみの注文方法を変更。注文しやすい定量カットメニューを導入した。立ち食い席には椅子を入れ、さらに家族向けにはローテーブルに。苦しみの中でも前向きに改善を続けてきた。
「これからどうなるかと考えると、苦しい時もあります。それを乗り越えなければダメだんです」(一瀬)
一瀬は肉料理一筋にさまざまな困難を乗り越えてきた。最初の店は1970年に開業した1軒のステーキレストラン「キッチンくに」。しかし、「従業員が辞めてしょうがない。なぜかというと、従業員が将来の展望を開けない会社だったからです」(一瀬)。
そして一瀬は長く働ける業態を作りだす。それが「ペッパーランチ」。一瀬が考え出したのは、コックのいらない店だった。調理が簡単なので、従業員はすぐに店長になれ、店舗を持つこともできる。「ペッパーランチ」は急拡大していった。
しかし2000年代に入ると、店員による不祥事や食中毒事件が起き、倒産寸前にまで追い込まれる。
その窮地を救ったのが、一瀬が日々欠かさない、思いついたことを記録するボイスメモだという。毎晩ノートに書き移し、今では膨大な量に。思いついた些細なアイデアや改善点を書き出し、全て実行に移した。藁にもすがる思いだった。
「こういうことをやってきたから成長してきた。世の中の情報を集める。倒産したくないからやり続けた」(一瀬)
そんな執念で引き寄せたのが、立ち食いステーキのアイデアだったのだ。
一瀬はいま、「いきなり!ステーキ」創業時の価格、1グラム5円を復活させるフェアを都内3店舗限定で仕掛けている(3月31日まで)。客の評判は上々だ。
「『いきなり』らしさとは何なのか。1グラム5円だったらお客様はすごく得した気分になる。我々の経営が十分に成り立つところまでいくと思います」(一瀬)
500円で満足の巨大食堂~胃袋を鷲掴み新勢力1
東京・文京区の東洋大学白山キャンパス。ここに「学食ランキング1位」に選ばれた学生食堂がある。学校の外からも客が押し寄せている。
ここを有名にしたのが、 7つある店舗のうち特に人気の3店。その特徴は学食とは思えないメニューにある。「鉄鍋屋」では鉄鍋を使った熱々メニュー。「窯焼きKITCHEN」では本格的なドネルケバブがこんがりと焼かれ、「東京食堂 ORIENTAL KITCHEN」では、洋食店のような「とろとろ半熟オムライスセット」(570円)が。
日本一の学食の仕掛け人、オリエンタルフーズの米田勝栄(45)は「学食から日本の飲食業を変えていきたい。ピンチの時だからこそチャンスだと思っています」と言う。
外食レジェンドの横川が東洋大学の学生食堂を訪れ、巧みな商品戦略を指摘する。
「お米はソースで食べるなら少しランクを落としてもおいしく食べられるからいいので、安い米で演出している。安い材料で安く売ることが学食の中で生きている」
20代からいくつもの飲食店で修行をしてきた米田。2005年、不採算で悩んでいた学食の立て直しを任されると、それまでにない手のかかったメニューを導入、学食内の店を次々に人気店に変えていった。
すると米田にまた再生の仕事が。それは店がつぶれて人気がなくなっていた東京・品川区の五反田のガード下だった。米田は真っ暗だった路地にいくつもの店を開業、賑わいを生み出してみせた。
ここで米田がフル活用したのが、学食で培った、少人数のスタッフでスピーディーにおいしい料理を出すノウハウだ。路地の一角にあるのは、他ではほとんど扱われていない国の銘柄ばかりを集めたワインの店。米田は常に客の期待を超えることにこだわる。
「差別化から始まっているのですが、他にはない店の特徴で取り組んできました」(米田)
そんな米田が新たな挑戦に打って出ていた。それがお昼に弁当を売るキッチンカー。提供するのは日本各地の味わいだ。
ある車では、濃厚な甘みが病みつきになる「とろとろ半熟オムカレー」(800円)など、「淡路島のタマネギが1個入った」(米田)淡路島カレー。別の車で提供するのは、鹿児島で親しまれる牛肉を特製ダレで炊き上げた「和牛炊き肉弁当」(800円)だ。
自由な発想で新たな外食の価値を作り出す。それが米田の戦い方だ。
デパ地下風の串焼き店~胃袋を鷲掴み新勢力2
一方、福岡にも今までにないアイデアで外食に挑む男がいた。開店と同時に客が殺到する「岩瀬串店」。客の前にはデパ地下のようなガラスケースが。その中においしそうな料理が並んでいる。一番人気は熱々にあげた軟骨入りのジューシーな「鶏団子」(1本150円)だ。
「岩瀬串店」のおいしさの理由は、7割ほど調理してカウンターに並べておき、注文が入ると火を入れて仕上げ調理する独自の手法にある。しかもボリュームたっぷりの串のほとんどが150円前後で楽しむことができる。支払い方法も変わっている。入店時にコインを購入、注文は全てそのコインで支払っていく仕組みだ。
「岩瀬串店」代表の大橋智和(42)は、「胸を張って『僕は飲食をやっている』と言えるものを絶対に作りたい」と言う。
スタジオで「鶏団子」を試食した横川は、次のように評価した。
「これを150円で売るために、あまり高くない材料を上手に使って商品開発している。皆さんが思っている以上にちゃんと利益がある。大手はこういう材料で商品開発はできないです」
危機的な人手不足をどうする~働きたくなる飲食業へ
外食業界が今、突きつけられるのは、いかに働きたい職種にしていくかだ。
大橋が作った「岩瀬串店」は、まさに働く者のやりがいをテーマに作られた店だ。その秘密は店名にある。「岩瀬」とは店長・岩瀬尚也の名前なのだが、大橋は「岩瀬の店を出そうと。『何がやりたい?』と聞いたら『焼鳥屋がやりたいです』と」と言う。やる気をもって働いてきてくれた岩瀬に報いるため、わざわざこの業態を開発したのだ。
「本当にやりがいを与えていただきました」(岩瀬)
さらにこの店は昼間、実は違う名前で営業している。それが「サンドゴトウ」。こちらは店長・後藤準のために作ったサンドイッチ店だ。
「店を店長の名前にすることは、店長が変わるかもしれないからなかなかない。プレッシャーはあるけど、やりがいはあるし、いい面しかないです」(後藤)
大橋の夢は、やる気ある店長の名前をつけた店を全国に作っていくことなのだ。
「働きたくないと思われるから、みんな辞めていくし、入らない。逆に僕らがキラキラしていれば……。何年かかるかわかりませんが、それが目標、ゴールです」(大橋)
米田にも人材難を吹き飛ばすアイデアがあった。
この日、米田が幹部メンバーと見入っていたのは新メニューのアイデア。現場のやる気を引き出すため、米田が開くアルバイトのメニューコンテストだ。
「お客さんに喜んでもらえるとすごく嬉しい。それを体感してもらいたい」(米田)
アルバイトの高校生、松崎匠真くんは今回、普段お母さんが作ってくれるという大好きな巨大ハンバーグを提案した。米田たちスタッフと、そのレシピをアレンジし、実際に販売する商品として作り込んでいく。もちろん使うのは鉄鍋だ。
米田の評価は「こんなにうまいものを家で食べてきたの?」。販売初日、匠真くんのメニューに注文が入った。
「正直ここまで形になるとは思っていなくて、驚きと喜びがあります」(匠真くん)
1人でも多くの若者に自分が経験してきた喜びを伝えたいと米田は言う。
「人気のない職業だと言われていますが、『飲食店ってこんなに面白いんだ』ということを見せていくことが大事じゃないかと思います」(米田)
~村上龍の編集後記~
横川さんと話すのは楽しい。必ず即答が返ってきて、ユーモアもある。「いきなり!ステーキ」は「健闘したが立地が問題」とすかさず断言。新人二人には「新しいアイデアだが、広がるかどうかはこれから」とこちらも即答。店舗、メニューに必要なのは、どういうことですかと聞いた。「思想です」。横川さんは「弁当一つにも、作っている経営者の思想が出る」と言っている。「思想がダメならダメということですか」「ダメです」飲食業は「奥深い」わけではない。徹底して客の側に立った緻密な検証と、店主の想像力がすべてなのだ。
<出演者略歴>
横川竟(よこかわ・きわむ)1937年長野県生まれ。1962年、兄弟でことぶき食品設立。1970年、すかいらーく国立店開業。2006年、すかいらーくCEO就任。2008年、同解任。2014年、高倉町珈琲開業。
一瀬邦夫(いちのせ・くにお)1942年、静岡県生まれ。1960年、山王ホテル入社。1970年、キッチンくに開店。1994年、ペッパーランチ開業。2013年いきなり!ステーキ開業。
米田勝栄(よねだ・かつはる)1974年、東京都生まれ。専門学校卒業後、バーテンなどを経験。2006年、オリエンタルフーズ設立。
大橋智和(おおはし・ともかず)1977年、福岡県生まれ。上京後、俳優活動などを経て飲食業へ。2018年、岩瀬串店設立。
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