UX創造ビジネス
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(本記事は、岩嵜博論氏の著書『機会発見 ― 生活者起点で市場をつくる』=英治出版、2016年9月21日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

第一章 機会発見とは何か?

1 新しい市場をつくる方法
2 機会とは何か?
3 生活者起点の機会発見
4 機会発見の活用シーン

1 新しい市場をつくる方法

ビジネスで何かの課題に取り組む方法として一般的なのが、「既にある問題を分析・分解して、どこから着手するかの優先順位付けを行い、選択する」というアプローチだ。広くビジネスの現場で使われており、みなさんにとっても馴染みがあるだろう。

本書では、この方法論とは大きく異なる「機会発見」について解説する。機会発見とは、「枠外の視点を探索して、統合・構造化によって新しい市場の可能性を創出する」アプローチだ。既知の問題を分析的に解くアプローチと、枠外の視点を統合的に扱うアプローチ(機会発見)がそれぞれどんなプロセスで行われているのか、その対比を示したのが図1である。

既知の問題を分析的に解くアプローチが有効なのは、状況が明確で、データが取得しやすく、論理的意思決定によって大きな成果が見込めるシーンである。市場が安定的で、将来のロードマップも明確で、顧客ニーズのデータを収集しながら、いくつかある打ち手を分析し、選択的に意思決定を行っていくような状況においてその真価を発揮する。

例えば成長期の液晶テレビ市場がこれにあたる。普及率が低い段階では、まだ購入していない層を特定し、その層のニーズを定量調査によって明らかにし、ニーズを満たす製品を開発することで市場の拡大が期待できる。

だが市場が成熟化し、技術進化が行き詰まってくると、これまでの分析的アプローチでは成果が出にくくなり、新しい市場をゼロベースで創造することが求められる。前述の液晶テレビを例にとると、市場が生まれてから時間が経ってある程度の普及率に達し、製品間の差別優位性が少ない状況をイメージしてもらうとよいだろう。顧客のニーズは既存の製品で満たされており、細かな差別化だけでは市場の拡大を期待することは難しいような環境だ。

まだ存在しない新しい市場では、取り組むべき問題が不明確で、定量的なデータの収集が難しいことも多い。そのため、このような状況では、優先順位付けの対象となる選択肢そのものが自明でないことがほとんどだ。そうした場面において、機会発見アプローチは枠外の視点を探索し、定性情報を統合的に操作することで、新しい市場を創造するための糸口を見出していく。

液晶テレビ市場の例で言えば、テレビの周辺で行われている生活者の行動にも目を向けることで、枠外の視点を得ることができるだろう。例えば、タブレットやスマートフォンで行われているコンテンツの視聴態度の観察を通じて、短時間コンテンツ視聴や、コンテンツへのコメント、シェアといった行動に着目することができ、こうした定性情報から新しいテレビの開発の糸口を探索するのが機会発見アプローチの特性だ。

複雑化・成熟化した市場においても、物事を計量的・分析的に操作する方法によって、カイゼン的に「いまよりいいもの」を生み出すことは十分可能だろう。だが企業の成長に真に寄与する「いままでにないもの」、つまり革新的な製品・サービスを開発し、新しい市場をつくるには、機会発見アプローチが必要だ。

その機会発見アプローチの特徴である、「枠外の視点」「定性情報」「統合的操作」について見ていこう。

▼「枠外の視点」を探索する

問題解決の本などでよく紹介されるのが、「漏れなくダブりなく」またはMECE(MutuallyExclusive and Collectively Exhaustive)という概念だ。検討対象となる要素が、対象領域を網羅しており(漏れなく)、かつ要素間の重なりがない(ダブりなく)状態になっていることで、正しい論理的意思決定が可能になるという考え方だ。

対象領域が明確な場合は、収集すべき情報の範囲と内容が決まっているため、「漏れなくダブりなく」要素を収集することが可能だ。一方、機会発見アプローチが必要とされるような、取り組み対象の製品・サービス・事業領域の境目が曖昧な場合、収集すべき要素の範囲が決まっていないため、どこまで要素を収集すれば「漏れがない」状態になるか判断がつかず、実質的に「漏れがない」を実現することは難しい。そのため、機会発見アプローチでは必然的に、枠外の視点を積極的に探索する(図2)。

「漏れなくダブりなく」要素を収集することが難しいだけでなく、新たな製品・サービス・事業領域を創造するためには「既知の枠の外」にあるものを新しい視点として取り入れることが必須だ。例えばPC市場が成熟化した状況を想像してみると、図3のように、「ハイエンドかローエンドか」「デスクトップかノートパソコンか」というように既知の枠組みの中で考えようとすると、どうしても従来の延長線上のビジネスにとどまってしまうだろう。「いまよりいいもの」ではなく「いままでにないもの」、つまり新しい市場をつくるには、デスクトップかノートパソコンかといった既存の枠組みを超えて、枠外の視点を取り入れることが不可欠なのである。そういう意味で、機会発見アプローチとは、枠外に漏れている要素を積極的に探索する方法だと言える。

▼「定性情報」から想定外の気付きを得る

機会発見アプローチでは、枠外の視点を探索するために定性情報を有効活用する。定量情報とは、アンケート調査の選択回答を統計処理したもの、人口データや売上データなど、数値化できる量的情報である。一方、定性情報とは、アンケート調査における自由回答や、インタビューの発言、フィールドワーク時の写真や映像など、文章や画像で構成される数値化が困難な質的情報だ(図4)。

定量情報は、アンケート調査の選択肢のように、枠組みを事前に設定したものを計画的に収集するという性質が強い。一方、定性情報は、インタビューの質問に対して対象者が自由に答えるといったように、事前の枠組み設定が弱く、収集される情報も自由度の高いものとなる。自由度が高いとは、自分たちにとって思ってもいなかった「枠外の視点」がもたらされやすいということだ。こうした定性情報を扱うことによって、例えば図3のように、「身につけられる」「モノと一体化する」といった、以前のPC 市場のルールからは逸脱した「枠外の視点」を導出することができるのである。

▼「統合的操作」で新しい概念を導き出す

収集した情報の操作においても、分析的アプローチと機会発見アプローチには違いがある。分析とは英語でアナリシス(Analysis)といい、細かい要素に分解するという意味がある。優先順位付けや選択を行うためには要素分解が必要だ。

一方、機会発見アプローチでは「統合」という情報の操作を重視する。統合とは英語でシンセシス(Synthesis)といい、アナリシスの対語として用いられる。接頭辞のSyn には同時に、一緒にという意味があり、Synthesis には要素同士を一緒にする、合成するという意味がある。要素と要素を統合することで、機会発見につながるという考え方だ。

分析がΑとΒに分けて整理したものを比較し選択することだとすると、統合はΑとΒに分けた後、両者を合成することでΑでもΒでもないСを生み出すことを意図するものである。

既存の問題に対処するなら、収集すべき情報の範囲と内容が明らかなので「分析的操作」が有効だが、枠外の視点から新しい機会領域を発見・特定するにはそれでは不十分だ。既知の要素の比較だけではなく、AとBからCを生み出すには「統合的操作」が求められる。それはつまり、先ほど枠外の視点として述べた「モノと一体化する」がA、「通信機能を持つ」がBだとすると、あらゆるモノがインターネットでつながる「IoT」という新しい概念を導き出すといった具合だ。

機会発見というアプローチにおいて、その柱となるのが、「枠外の視点を探索すること」、「定性情報を扱うこと」、そして「情報を統合的に操作すること」の3つだ。図5のように、これまでの分析的アプローチとは情報の収集対象も、種類も、操作も全く異なる。

新しい市場をつくるために、どうして今までのやり方ではうまくいかないのか。なぜ機会発見アプローチが必要なのか。その理由をさらに詳しく考えていくために、次項では「そもそも機会とは何か」について、いくつかのケースを交えながら解説していこう。

2 機会とは何か?

▼新しい製品・サービス・事業を生み出す「見立て」

本書で述べる「機会」とは、事業領域の設定と製品の企画の間に位置づけられる、新しい常識で製品・サービス・事業を生み出すための「見立て」である。これまでの延長線ではない価値提供が求められる成熟市場において、「事業領域の設定」と「製品の企画」の橋渡しとして、新しい機会を特定することの重要性が高まるのではないかというのが本書の問題提起である(図6)。

今ではすっかりおなじみとなったノンアルコールビールだが、それまでは、ビール製品といえばアルコール飲料であることは疑うまでもない製品企画の常識だった。そこにたとえば、「ビールの気分で飲めるノンアルコール飲料」という新しい機会を特定することによって、これまでの常識とはまったく異なる、ノンアルコールビールというビール事業の新たな市場をつくることができる(図7)。

カメラ/写真の領域では、「自セルフィー分撮り」も新しい機会だと言えるだろう。従来のカメラ/写真という事業領域において、製品企画の争点は、画素数やセンサー性能など、いかにきれいな写真が撮れるかだった。ここに、「自分撮り」という機会が見出され、自分撮りしやすいかどうかという新たな開発要件が生じた。その結果、背面の液晶が180 度回転して撮影者のほうに向くデジタルカメラが登場したり、さらには画像加工のしやすさ、シェアしやすさといった、これまでにない製品企画の争点が生まれている(図8)。

メッセンジャーアプリの世界も、新しい機会の発見によって製品企画の争点が変化してきた領域だと言える。従来のメッセンジャーアプリは、文字のみのコミュニケーションが当たり前だったが、「ビジュアルコミュニケーション」という機会が発見されたことによって、ビジュアルを活用したメッセージ機能という新たな開発要件が生まれた。その結果、絵文字やスタンプ、写真、写真加工のためのフィルターといったそれまでになかった新しい機能が実装されたのである(図9)。

このように、「機会」は新しい市場をつくるために不可欠なものだが、既存市場においても「機会」は存在する。携帯電話事業を例に考えてみよう。「昔の電話に形状が近くて手になじみやすく、コンパクトにたたんで携行できる電話」という機会の発見によって、フィーチャーフォンが誕生した後、今度は「パソコンと同等に使える、柔軟性のあるユーザーインターフェースを持つ通信機器」という機会が見出されたことによって、スマートフォンという新たな市場が生まれた。その結果、製品企画の争点は、「外側の色や形状」「ボタンの押しやすさ」から、「タッチUI」「アプリ/アプリストア」へと変化した(図10)。

このとき、既存の機会をさらに追求していくか、あるいは、未知の機会を探索するか。従来の事業領域・製品企画にしがみついていくか、それとも、他に先んじて自ら新しい市場をつくるか。道は2つあるが、本書は後者のためのアプローチを紹介する。

「ビールの気分で飲めるノンアルコール飲料」「自分撮り」「ビジュアルコミュニケーション」といった機会を発見すると、それは新しい製品・サービス・事業を生み出す糸口となる。さらに考えを進めていくと、機会とは製品企画の「根拠」、いわば「発想のジャンプ台」であり、「試行錯誤の起点」であることがわかってくる。

▼発想のジャンプ台

複雑化・成熟化した市場における製品・サービス・事業の開発において、大きな課題の1つが、何を根拠に方向性を考えればよいか明確ではないということだ。市場が安定的で、将来のロードマップも明確な時は、現在の市場ルールを根拠に方向性を考えればよかった。だが複雑化・成熟化した市場は常に変化にさらされているため、既存のルールを適用するのではなく、新しいルールを創造することが求められる。

こうした状況において、具体的な製品・サービス・事業のアイデアを考える前に機会を特定することのメリットは、方向感の定まった発想ができる点にある。新しい製品・サービス・事業の「見立て」である機会を見定めることによって、可能性のある領域に根ざした発想が可能になる。いわば機会は、新しい製品・サービス・事業を発想する上での「ジャンプ台」のようなものだ。

一方、ジャンプ台なき発想は、方向感がバラバラな、レベルの低いものになりがちだ。機会を特定しないまま、未来に対する確信と根拠がない状態で発想しても、暗闇に向かって矢を放つような無駄撃ちが増えてしまう(図11)。

例えば、前述のビールを例に考えてみよう。機会が見出されていない状態での発想は、何でもありなので、コーヒー味のビール、炭酸抜きのビール、温めて飲むビールなど、方向感が定まらないものになってしまう。その中から新しいビジネスが生まれてくる可能性は否定できないが、うまくいく確率にバラつきが出てしまうだろう。

だが、「ビールの気分で飲めるノンアルコール飲料」という機会が定義されていれば、麦芽の香りを強調したノンアルコールビール、既存ブランドの兄弟商品のように見えるノンアルコールビールといったように、機会を体現する方向感の定まったアイデアを考えることができる。「発想のジャンプ台」としての機会は、製品・サービス・事業の開発における根拠となり、市場が不安定で将来のロードマップも不明確な状況において大きな助けとなるだろう。

▼試行錯誤の起点

「機会の特定」が、「事業領域の設定」と「製品の企画」の間に位置づけられることは既に述べたとおりだが、新しい製品・サービス・事業を考えていく上で機会が見定められていると、仮に製品の企画がうまくいかなくても、振り出しに戻ることなく、「機会」に立ち返って製品企画をやり直すことができる。

製品の成否は、偶発的なものも含めた個別の事情に大きく左右される。上市のタイミングが消費者の嗜好の変化より早すぎたためその製品は失敗したが、後続の製品はヒットしたというのもよくある話だ。

こうしたときに確度の高い機会を捉えておくことで、振り出しに戻るのではなく、機会に立ち返ってその機会を具現化する別の製品を検討することができる。反対に、機会の設定がないまま思いつきで製品を企画していると、何が新しい市場の可能性なのかわからないまま、盲目的に製品開発を繰り返すことになってしまうだろう。

前述のメッセンジャーアプリを例に考えてみよう。新しいビジネスの「見立て」である機会を特定しないまま、思いつきでメッセンジャーアプリの新機能としてボイスメッセージを開発し実装したところ、残念ながら一定数以上にユーザー数が広がらなかったとする。このように機会の設定がない場合には、振り出しに戻って再びアイデアを一から練らなければならない。

一方、ビジュアルコミュニケーションという機会のもと、マンガのフキダシ風のメッセージ機能を実装した場合、仮に市場に受け入れられなかったとしても、ビジュアルコミュニケーションという機会が設定されているため、例えば絵文字や、スタンプなど、機会を起点にした次のアイデアを考えることができる(図12)。

新しいビジネスの開発は、試行錯誤の繰り返しだ。必ずしも一度の挑戦でうまくいくとは限らない。だが何度も振り出しに戻ると、気持ちが萎えてしまいかねない。そういうときに、「機会」はプロジェクトにとっての拠り所となり、持続的な試行錯誤が可能になる。

ここまで述べてきたように、機会とは、新しい製品・サービス・事業を生み出す「見立て」であり、さらに「発想のジャンプ台」、「試行錯誤の起点」という側面がある。機会を発見した後は、まさにそれを「根拠」として製品・サービスを具体化していくのだが、その「根拠」が本当に妥当なものかどうか、どう判断すればよいのだろうか。

機会発見アプローチでは、「生活者起点の共感」に基づいて確信が持てる機会を導出する。その考え方について、次項で解説しよう。

3 生活者起点の機会発見

▼「技術起点」から「生活者起点」へ

イノベーションの概念が日本に導入された際に「技術革新」と翻訳されたことからもわかるように、イノベーションは技術起点の文脈で語られることが多かった。例えば、「計算機は算盤に始まり、計算尺、卓上計算機、電卓、コンピュータ、と技術の進展に伴ってイノベーションが生まれ、大きく変化してきた」といった具合だ。だが近年、この状況にも少しずつ変化が見られ、イノベーションの源泉が、「技術起点」から「生活者にとっての価値起点」へと移行しつつある。

変化の象徴として注目すべきは、技術の進化があるレベルに達した結果、技術だけでは顧客にとっての価値創出に結びつかないケースが出てきていることだ。コンピュータを例にとると、以前であればプロセッサの演算速度向上が、PC の体感動作速度に直結するなど端的な顧客の便益につながったが、今では多少の性能向上ではその違いを実感することが難しい。

一方、世界のビジネスを席巻しつつあるタクシー配車サービスは、技術的な革新性ではなく、提供される顧客体験の革新性によって利用者の支持を得ている。アプリを使って車を呼び、行き先設定や支払いまでもすべてアプリで完結、という顧客体験は、まさに生活者にとっての価値を起点に生まれたイノベーションだと言えるだろう。

▼生活者起点アプローチ

タクシー配車サービスに限らず、いま起きているイノベーションの源泉は、技術の革新性ではなく、顧客体験の革新性である。こうした背景を踏まえて、本書では「生活者起点の機会発見」について解説する。生活者起点の機会発見とは、新規事業や新製品・サービスのエンドユーザーである生活者に対して、定性調査による探索を行うことで、そこから新しいビジネス機会を発見するアプローチである。

前述のノンアルコールビールを例に、「生活者起点の機会発見」について考えてみよう。若者のアルコール飲料離れが進んでいると言われる中で、若者層にいろいろ話を聞いてみたところ、たとえば、ビール気分は味わいたいけど、夜にネイルをするときに酔うとうまくできないので、お酒は飲みたくないという意見があったとする。これは、ビールの気分は好きだけど、酔うまでは飲みたくないというこれまでのアルコール飲料開発の常識では捉えきれない価値観だと言える。定性調査を通してこうした生活者の動機や価値観に真摯に向き合うことで、ビール気分で飲めるが、酔うまでには至らないノンアルコール飲 料という生活者起点の機会を根拠とした新しい市場を生み出すことができるだろう(図13)。

自分撮りも、生活者起点の機会発見だと言える。セルフィー(selfie)という自分撮りを意味する英語は2000年代初頭から使われ始め、今では英語圏の辞書に載るまでになっているが、これは特定の事業者が提供した概念ではなく、生活者の行動の中から生まれたものだ。

デジタルカメラや携帯カメラの普及とともに、写真を撮ったらすぐに誰かと一緒に見て盛り上がるのが当たり前になり、やがて自分で自分を撮りたい、ツーショットを自分で撮りたい、撮ったものを見せ合ったりシェアしたいという欲求と行為が、生活者側から自然に生まれた。その結果、カメラ/写真の事業領域において「自分撮り」が機会となり、自分撮りしやすいカメラ、画像加工のしやすさ、シェアしやすさといった新しい開発要件が次々に登場していった(図14)。

さらには、デジタルカメラやスマートフォン単体では自分撮りをするには不便だったため、自撮り棒が人気を博し、観光地に行けば自撮り棒で自分撮りを行う生活者を目にするようになった。

生活者起点の機会発見アプローチは、欧米のデザインスクールなどでは人間中心(Human Centered)アプローチと呼ばれ、世界のビジネス界で注目の方法論である。生活者にとっての意味や価値を起点として、新しいビジネス機会を創出する手法として期待されている。

生活者起点の機会発見アプローチはその名のとおり、BtoC と呼ばれる生活者・消費者に直接的に価値提供するビジネス形態に適した方法論である。だがBtoB 型の事業であっても、 エンドユーザーとして生活者・消費者を想定できる場合は、生活者起点の機会発見アプローチを有効活用することができるだろう。本書では様々な業界の製品・サービス・事業の例が登場するので、ぜひ自分自身が携わるビジネスをイメージしながら読み進めてほしい。

では次に「生活者起点の機会発見」が注目されるようになった背景をいくつか見ていこう。

▼デザインシンキングにおける生活者起点アプローチ

昨今、デザインシンキング(あるいはデザイン思考)と呼ばれるアプローチが製品・サービス・事業の開発に活用されている。デザインシンキングにおいても、生活者起点の機会発見は欠かせない要素である。

デザインシンキングとは、デザインやクリエイティブの方法論を形式知化し、一般のビジネスパーソンでも活用できるように整えられたプロセスとマインドセットのことだ。最近では伝統のあるビジネススクールでもデザインシンキングを教えるようになった。

デザインシンキングのプロセスは、定性調査を通じて生活者を理解して、何が問題なのかを定義した後、ブレインストーミングなどを通してコンセプトをつくり、それを簡易的に実物化したプロトタイプによってテストを行いながらコンセプトを具現化していく、というものだ。その実践に必要なマインドセットとしては、観察と発見を大切にする、異なる要素を結合させる、手を動かしながら考えるといったことが挙げられる。

本書で紹介する、「生活者起点の機会発見」プロセスは、デザインシンキングプロセスの前半部を深堀りしたものだ。機会発見プロセスと、スタンフォード大学のデザイン教育機関であるd.school のデザインシンキングプロセスを比較すると、図15のような関係だ。デザインシンキングの世界でも、本書で紹介するデプスインタビューやエスノグラフィ調査などの定性的な調査方法が用いられ、生活者起点のビジネス機会が探索されている。

▼共感から新しい機会を発見する

生活者起点の機会発見アプローチでは、生活者に対する「共感」を重視する。前述のように、従来のビジネスモデルや技術に加え、生活者にとっての価値が、利益創出の源泉となってきたことがその背景にある。そのため、生活者のことをより深く理解し、彼らにとっての価値を探索することがこれまで以上に重要になってきている。

だが生活者の価値を探索するといっても、彼らの「顕在的なニーズ」だけが対象では不十分だ。顕在的なニーズとは、生活者が既に認知している問題なので、別のプレイヤーが既にニーズを満たす製品・サービスを企画していることも多い。また、そうした顕在的なニーズを満たす製品・サービスを提供したとしても、ニーズ自体は「既にあるもの」なので新しい市場の創造には至らず、現在の延長線上のビジネスにとどまってしまう。

そのため、新しい市場のチャンスを捉えるためには、生活者も競合他社も気付いていない「潜在的なニーズ」に着目することが不可欠だ。

そして、潜在ニーズを探索する上でポイントとなるのが、生活者への「共感」である。機会発見アプローチでは、生活者がどんな動機や価値観のもとで行動・購買しているかを知るために、生活の現場に直接赴き、深く理解・共感することを大切にする。本書では主に、第5章の「エスノグラフィ調査」で生活者への理解・共感について詳しく述べていくが、販売統計やアンケート調査結果などの定量的なアウトプットを手がかりに生活者の実態を知ろうとするのが一般的だ。しかし、そうした定量調査からもたらされる情報だけでは、まだ顕在化していない生活者の悩みや困り事といったことまでは深く理解できず、生々しい生活者像を描くことが難しい。

エスノグラフィ調査をはじめとする定性調査は、定量調査と比べて時間もコストもかかる。だが生活の現場に赴いて、対象者を全人格的に理解しようとする行為を通じて得られる、生活者への深い理解と共感は、何ものにも代えがたい。

前述のノンアルコールビールを例にすると、「ビール気分は味わいたいけど、夜にネイルをするときに酔うとうまくできないので、お酒は飲みたくない」という意見を述べた、たった1人の生活者にとことん向き合うことが、機会発見アプローチにおける定性調査だ。なぜそう思うのか、どうしてそう感じるようになったか、といった動機や価値観にまで迫り、潜在的なニーズを探索していくことによって、生活者への共感がベースとなった新しいビジネスの機会を捉えることができる。

4 機会発見の活用シーン

これまで述べてきたように、機会発見とは、新製品・サービス開発や新規事業開発の現場で活用するアプローチだ。それに加えて、研究開発テーマの探索においても効果を発揮する。

本章の締めくくりとして、従来型の開発アプローチと対比しながら、機会発見の活用シーンについて見ていこう(図16)。

▼新製品・サービス開発

従来の分析的なアプローチに基づく新製品・サービス開発は、既存の問題を出発点としているため、不満を改善したものは生み出せるかもしれないが、これまでの延長線上での成果に留まってしまう。

「いまよりいいもの」ではなく、「これまでにないもの」を自分たちでつくりたい。そういう思いがある人にとって、枠外の視点を探索・統合して、新しいビジネスを創造する機会発見アプローチは、うってつけだろう。「課題リフレーミング」から始まる機会発見の5つのステップでは、常に外部性を意識しながら枠外の視点を積極的に取り入れていくため、プロジェクト開始当初は思ってもいなかった、まさに「これまでにないもの」が生まれてくる。

従来の延長線上の製品開発ではない、イノベーティブな製品開発を目指す上では、ぜひ本書を参考にしてほしい。製品・サービス開発の切り口が明確でない、具体的にどんな手順で取り組めばいいのかわからない、といった現場の悩みに応えられるよう、実践におけるプロセスやマインドセットについて、1つひとつ丁寧に解説していきたいと思う。

▼新規事業開発

多くの新規事業は、自社技術の活用を念頭に置いた、プロダクト起点のアプローチで取り組んでいるのではないだろうか。例えば、製紙メーカーが自社技術を応用して、紙おむつなどの日用品市場に進出するといった考え方だ。

もちろんこうした方法からも新規事業開発は可能である。だが機会発見アプローチが念頭に置くのは、「技術」ではなく「生活者」だ。生活者への理解と共感を通して、彼らにとっての価値を探索し、新しいビジネスの機会を創出する「生活者起点」のアプローチだ。

新規事業開発において、例えばヘルスケアやシニア市場といった事業領域の大枠は決まっているものの、具体的な製品企画がはっきりしないといったケースにおいて、ゼロベースで機会を発見し、そのコンセプトを組織内に伝達するまでの方法を本書は提示する。

▼研究開発テーマの探索

機会発見の活用シーンとして最後に触れておきたいのが、研究開発テーマの探索だ。大企業の研究開発部門の多くが、工学や理学といった理系領域を専門としているが、ここに社会学や文化人類学をベースとする機会発見アプローチを活用するこで、未来志向、生活者志向の研究開発テーマを導出することができるだろう。

様々な書籍や論文で言われているように、イノベーションとは異なる要素同士の結合によって生まれる。それに倣うかのように、グローバル企業の研究開発部門には文化人類学や社会学の博士号を取得した社会科学系の研究者が在籍し、エスノグラフィ調査などを用いて未来志向で研究開発テーマを探索している。エスノグラフィ調査については第5章で詳しく解説し、またそれ以外にも情報の収集・整理・統合のフレームワークを多数紹介しているので、研究開発の現場においてもぜひ参考にしてほしい。

機会発見 ― 生活者起点で市場をつくる
岩嵜 博論
株式会社博報堂/博報堂イノベーションデザイン ディレクター/ブランド・イノベーションデザイン局 イノベーションデザイン部 部長。博報堂において国内外のマーケティング戦略立案やブランドプロジェクトに携わった後、近年は生活者起点のイノベーションプロジェクトをリードしている。専門は、新製品・サービス開発、新規事業開発、UX戦略、ブランド戦略、マーケティング戦略、エスノグラフィ調査、プロセスファシリテーション。国際基督教大学(ICU)教養学部卒業、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、イリノイ工科大学Institute of Design修士課程修了。共著に『アイデアキャンプ――創造する時代の働き方』(NTT出版)、『FABに何が可能か――「つくりながら生きる」21世紀の野生の思考』(フィルムアート社)などがある。

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  1. 「機会発見」とはなにか?新しい市場をつくる方法