創業からの事業変遷
—— 創業からの事業の変遷についてお聞かせ願えますか?
株式会社アールケイエンタープライズ 代表取締役・原 幸雄氏(以下、社名・氏名略)原 当社が法人化されたのは1954年で、今年で70周年を迎えました。最初は両親が経営していた町の小さな質屋から始まりました。
私は4人兄弟の末っ子でしたが、他の兄弟が誰も事業を継がなかったので、私が継ぐことになりました。私が事業に参加したのは1980年で、大学を卒業した年です。ただ、大学4年の時には結婚をしており、実質的には1979年から仕事を始め、今年で入社後45年になります。
当時は、両親と私、そしてパートの方が一人という4人で運営していました。当時出店していたのが、夜の繁華街として栄えていた横浜市寿町だったため、お客さんの多くは日雇い労働者や夜職で生計を立てているような、お金に困っている方々でした。そういった地区で商売をしていた父から教わったことは、質屋はお金を貸す際に上から目線で振る舞うのではなく、感謝の気持ちを持つべきだということでした。
—— その考え方を事業に反映させた例はありますか?
原 はい、父にお願いして、店の作りを変えました。従来の質屋はお客様との間に鉄格子があり、足元も50cmほど高い位置から接客するスタイルでしたが、お客様と同じ目線で話せるよう、鉄格子をなくし、カウンターの高さを調整しました。また、利息の取り方やその計算方法も見直しました。当時、同業他社で行っているような年率よりも低く設定し、およそ半分ほどの利率へ下げるようにしました。
こうした改革は周囲の質屋からは反発を受けましたが、最終的には理解を得ました。利息を下げたことでお客様が増え、収益も安定しました。周りの質屋も次第に同じように利息を下げ始めました。
—— その後、どのように事業を拡大されたのですか。
原 1989年に有限会社ロディオドライブ(後にロデオドライブへ名称変更)を設立しました。これは主に並行輸入を行う会社で、世界の一流ブランド品を集めた店舗を作りました。当初の売上は順調でしたが、この年は消費税が導入され、物品税も廃止された年で、徐々に内外価格差が縮小し、売れ行きも落ち込んでいきました。
バブル以降のご苦労について
—— バブルがはじけてからの業界の変化についてお話を伺いたいのですが、その時期からどのように業態を変えていったのでしょうか?
原 バブルがはじけたのは90年代の初めごろですが、そのタイミングでそれまでの成長が止まり、業態を変える必要がありました。私たちが取り組んだのは、ブランド品の真贋を見極める能力を活かして、中古品の市場に参入することでした。これにより、中古ブランド品を取り扱う「ブティック質屋」としてブランドリユースの先駆けとなりました。
—— 中古品市場への参入は、どのような影響をもたらしましたか?
原 バブル期には海外への渡航数が増加。日本人が有名ブランド品に触れる機会が増えました。 そのため、多くの人々が上質な素材で作られたバッグや、高い技術力で作られた腕時計など、ブランドの価値を理解することになりました。
—— ブランド品の中古市場での成功の鍵は何だったのでしょうか?
原 一つは、私たちが築いてきた信頼とノウハウです。ブランド品の見分け方を全国の質屋組合に教え、業界全体を変えることができました。若い世代もこの市場に戻ってきて、活気を取り戻しました。また、ブランド品を扱うことで、消費者金融的な役割も果たすことができました。
さらに、早くから海外展開も進め、LAや今年13年目を迎えた香港にも店舗を構えました。しかし、LA店は多様性の理解の違いや、中古品に対する文化の相違などを理由に一時撤退しましたが、今でも海外事業部を通じて関係を保っています。
現在は、小売、卸売、海外事業、オークション、修理、買取、そして質屋など多岐にわたる事業を展開しています。特にオークション事業は毎月大きな取引があり、全国に広がる取引先と連携しています。利益を追求しつつも、三方良しの精神を大切にしています。
今後も、信頼と品質を重視し、ブランド品の価値を提供し続けます。経営者として、どんな状況でも柔軟に対応し、顧客にとって最良の選択を提供することを心がけています。ブランド品のリユース市場はますます拡大しており、その中で私たちの役割を果たしていきたいと考えています。
承継の経緯と当時の心意気
—— 承継の経緯と当時の心意気について伺いたいのですが、承継されたタイミングでの会社の状況や、ご自身の状況について教えていただけますか?
原 学生時代に結婚したいから父の後を継いだというのが正直なところです。また、学生時代は英語が大好きで、本当は海外で仕事をしたいと思っていました。しかし、1985年に父が急死したことで会社を承継しました。それまでに父と一緒に働くことで多くのことを学び、この期間を通じて会社を運営する上で必要な考え方が養われたように思います。
—— 今の原社長の代で会社が大きく成長されたと思いますが、引き継ぎの際に、お父様の派閥などがあって動かしづらいといった状況はなかったのでしょうか。
原 幸いなことに、そういった問題はありませんでした。利息変更を申し出た際も、父や周りの方から「お前がそうしたいなら自分でやれ」と言ってくれました。それは本当にありがたく、普通なら反対されるところを、私に任せてくれたことに感謝しています。
ぶつかった壁やその乗り越え方
—— 困難だった時期や壁にぶつかった経験について教えていただけますか?
原 最初は人を使うことが難しかったです。承継当時の私には経営の経験もなく、会社にはそういった仕組みもありませんでした。
バブル前後の際、卸しに来ていたある3人の会社が、一緒に中古品の取り扱いを始めたいと言い出しました。彼らを加えて本格的に輸入事業に参入し、3年ほどで20億円ほどの売上になりました。しかし、事業を拡大していた矢先、仲間の内2人が不正を働いていたことが発覚しました。
—— その困難をどうやって乗り越えたのですか?
原 その時、10歳上の兄が会長として入り、彼は会社の仕組みを整えてくれました。また、中高時代の信頼できる同級生が転職してきて、組織を作ってくれました。彼らがいなければ、組織としてまとまっていなかったと思います。当時は現金取引が主で、売掛金といったお金の管理の仕組みがなかったため、いろいろ不正を働かれましたが、それをすべて改善しました。
—— 組織の整備が進んだのですね。他にも大きな挑戦はありましたか?
原 そうですね、バブルの崩壊、1997年のアジア通貨危機、それからリーマンショックはいずれも苦労しました。特にリーマンショックの時は、為替が一晩で大きく動き、ユーロと連動していた商品が大打撃を受けました。当社も創業以来の赤字の年となり、多くの損失が出てしまいました。しかし、豊富な卸先の存在や、長年培ってきた情報収集力のおかげで早めの対策をとり、在庫のポジションチェンジをすばやく行ったことで、期末の決算までには落ち着いた価格の新しい在庫に切り替えることができ、翌年から黒字転換しました。
—— 迅速な対応が功を奏したのですね。
今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
—— 今後の事業展開について、御社はどのような戦略を考えているのでしょうか。既存事業の拡大か、新規事業の開拓か、あるいはその両方でしょうか?
原 当社が注力しているのは、まず既存事業の拡大です。当社が次のターゲットに定めているのは、百貨店の外商のお客様です。外商のお客様は高品質なブランド品を数多く持っていますが、それほど買取ニーズが大きいわけではないので、今まで中古品買取業者は進出していませんでした。そこで、当社はそごう・西武グループと提携し、外商担当の方にお客様をお繋ぎいただいて買取を強化している戦略をとっており、これが業界から注目され始めています。
また、私たちは海外圏にも注力しています。ASEAN諸国の成長は著しいので、そこをハブ拠点にしてインドネシアをはじめとする地域への支店展開を考えています。海外のリレーションも強化していく方針です。
—— 海外展開について、具体的な計画はありますか。
原 現在の売上が200億円を超えたところですが、これを400億円、500億円に引き上げることは考えていません。むしろ、卸売と小売の比率を、現在の70対30から50対50に近づけ、粗利率を上げることを目指しています。国内の好立地への出店も考えていますが、銀座あたりは非常に高価なので、海外事業もバランスを見ながら現実的な選択肢を模索しています。
—— なるほど、具体的な数値目標を持ちながら戦略を進めているのですね。原代表ご自身のご進退はいかがでしょうか?
原 私は65歳で仕事を辞める予定でしたが、コロナの影響で退任時期が延びています。現在も常に次世代へのバトンタッチを考えており、内部統制を確立した上でIPOやM&Aなどの準備を進めていければと思います。そのためにも今は優れた人材を採用することに力を入れています。
メディアユーザーへ一言
—— 経営者や後継ぎ社長を中心とするTHE OWNERユーザーの方々へのメッセージをいただけますでしょうか?
原 70年続く企業の2代目として、私自身も多くのことを経験しました。両親から多くを学びましたが、質屋を承継しながらも、さまざまなことにチャレンジし、業態を変えてきたことで創業者のような感覚もあります。45年以上この仕事を続けてきましたが、やはり組織をどうまとめるかが一番の課題です。
当社は「社員が自ら考え、自ら行動すること」を目指しています。理念やビジョンに立ち返ることで、自分の行動が会社に合っているかどうかを確認できます。これらの理念を全社的に浸透させ、社員自ら考え、実践させないと、長く続けることは難しいでしょう。創業した両親の想いとして、どんな人に対しても「公正・公平」という言葉が私の心根にあります。
これにより、当社が自身の利益だけを優先せず、けっして驕ることなくお客様や取引先各位、さらに一緒に働く仲間に対しても幸福を願い、思いやりに満ちた心を持つことを目指してきたことで、これまで事業を続けることができたのではないかと思っています。
これからも、当社に関わるすべての方々に対し「フェアネス」をポリシーに向き合ってまいります。
—— 非常に参考になるお言葉をありがとうございます。今後のご活躍を期待しております。
※2024年8月5日取材当時の内容となります
- 氏名
- 原 幸雄(はら ゆきお)
- 社名
- 株式会社アールケイエンタープライズ
- 役職
- 代表取締役 (2024年10月23日 代表取締役を退任、現顧問)