高齢化が進む日本の中で、企業における後継ぎ社長の役割が重要視されている。本企画では、これからの日本経済を支えていく後継社長に、どのように変革を起こし、成長を遂げていくのかを伺い、未来の経済発展へのヒントを探っていく。

日本コムシンク株式会社
(画像=日本コムシンク株式会社)
山里 真元(やまざと まさゆき)――代表取締役 会長 兼 社長
生年月日:1980年12月20日
出身地:兵庫県
・2005年 島根大学総合理工学部卒業後、金融専門のシステム開発企業であるNTTデータシステム技術(現NTTデータフィナンシャル技術)に入社
・日本三大金融システム「新日銀ネット」の刷新開発を含む超大型プロジェクトの数々を経験。その後、IT化に取残される小規模事業者向けのITコンサルティング会社を起業
・2017年 趣味の車好きが行き過ぎて一般社団法人 日本スーパーカー協会の立上げに参画し、現在も事務局長として活動を継続中
・2018年 日本コムシンク株式会社へ常務取締役として入社
・2020年11月 現職である代表取締役社長に就任
・2023年「JAPAN MOBILITY SHOW 2023」では日本スーパーカー協会として1,200㎡のブースを南館に展開し、東館(国産メーカー)を超えた集客を達成 会期前日の報道ステーションで特集される
エンジニアによるエンジニアのためのエンジニアリングの会社です。ICT・DXのプロフェッショナル集団で、代表の私もエンジニア出身です。テクノロジーの急速な進化により社会は例外なくパラダイムシフトが発生しています。当社は、そんな変革の真っただ中において常に意図的に変革を起こす側に存在しています。変革に巻き込まれることは簡単ですが、自ら起こすことは容易ではありません。それが実現できるのは、2020年度を第二創業元年と定めて始まった「V40(VISION40)」の成果によるものです。時代をリードし続けるエンジニアの地位向上を主眼に、「社員平均年収40%アップ」「社員400人企業へ」「売上の40%をDXで」「4億円規模の一括受託開発力」「社員平均年齢40歳未満へ」という目標を創業40周年を迎える2025年度に達成することを誓いました。一見すると達成が困難な数字が並んでいるように見えますが、あくまでもこれは次のステージに向けたスタートラインに過ぎません。事業を成長させたいと心から願うお客様と進化し続けるエンジニア達と共にこれからも変革の中心に存在し続けます。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷と山里代表の経歴について
  2. 代替わりの経緯・背景
  3. ぶつかった壁と乗り越え方
  4. 今後の経営・事業の展望
  5. 全国の経営者へ

創業からこれまでの事業変遷と山里代表の経歴について

ーー 創業からこれまでの事業の変遷についてお聞かせ願えますか?

日本コムシンク株式会社 代表取締役会長 兼 社長・山里 真元 氏(以下、社名・氏名略) : もともとの発端は、創業前に大同生命様向けを中心に行っていたデータエントリー業務です。当時は、ホストコンピュータにデータを読み込ませるためのパンチカード制作を代行していました。その後、各社でシステム部門が立ち上がり始めたことを受けて、当社事業もソフトウェア業界への移行が進みました。これが創業の経緯です。このデータエントリー業務は現在も一事業部として継続しています。

ーーそこから現在の事業に成長されてきたと思いますが、その中でのターニングポイントを教えていただけますか?

山里:世の中がIT化されていくのに伴って、当社事業も右肩上がりで成長しましたが、リーマンショック時に創業以来初めて赤字直前まで落ち込みました。そこから10年間は、「再生から成長への転換」を掲げて、なんとか会社を運営していたようです。

元々、私自身はNTTデータグループのNTTデータフィナンシャルテクノロジーで働いており、日銀ネットと呼ばれる金融システムの開発を担当していました。

ある日、創業者である父と話し合う機会があり、父から「お前はこれからどうやって生きていくつもりだ?」と言葉をかけられました。その瞬間、学生時代から慕っていた先輩経営者の言葉を思い出しました。「山里くん、君は親父さんを超えるためにゼロから積み上げようと必死なんだろうけど、本当は親父さんが作った土台の上に積み上げたほうが、もっともっと高くまで行けるんだよ。」 その考えを父に告げると、「そうか。お前は俺が作った会社を踏み台くらいにしか思っていないのか。それならこの先はお前に任せる」と言われました。あっけにとられている私を見て、さらに父は「後を継いで守っていきたいなんて言おうものなら、任せる気は毛頭なかった」と続けました。この話し合いがきっかけとなり、2018年11月の株主総会で常務取締役として入社しました。

ーージョインされてから代表ご就任までの間はどのような出来事がありましたか?

山里:入社してから2年間を過ごし、2020年11月に代表取締役社長に就任しました。就任する前の1年間は、私の前任である4代目社長とは経営スタイルが合わず、お互いに大変な時期でした。社長が病気で長期療養に入ったことを機に、私は会社の変革を始めました。オフィスの移転やV40というビジョンの立案など、トップダウンで一気にガラッと変えることにしました。

代替わりの経緯・背景

ーー4代目社長の病気療養期間に代理で指揮を執り、そのまま引き継がれたというのが代替わりの背景なのでしょうか?

山里:4代目社長の後輩にあたる役員が、社長代行として指揮を執っていました。しかし、私は守備タイプである彼とも全く折り合いがつかず、本当に些細なことで指摘を受けることが多くありました。例えば、支給されたパソコンが遅くてパワーポイントを開くとすぐに落ちてしまうので、メモリを増設して欲しいと言ったら、情報管理室の計画予算外だと言われました。役員業務に支障をきたしているから改善を申し出ているのに、5,000円のメモリを変えるのが計画予算外だというのは異常だと思っていました。

ーーそれをどういうふうに立て直されて、代表に就任されたのでしょうか?

山里:4代目社長の病気療養期間が思いがけず長引いて、次の役員改選で引退という流れが見えてきた時に、自分がやらなければ誰もやれる人がいないと覚悟を決めたからです。役員改選にあわせて、2020年からは自分が代表になるという話で、創業者である父と話し合いました。

ーー代表に就任されてからはどのようなビジネスを展開されているのでしょうか。

山里:私がビジネスを展開する中で、ビジネスとプライベートの両輪になるような出来事がいくつかありました。車好きが高じて、当社に入社する前に、日本スーパーカー協会という一般社団法人を立ち上げていたのですが、入社後の2019年に東京モーターショーに初めて出展することができました。設立間もない自動車会社ですらない団体が出展できたことも、1,200平米のブースを構えられたことも、今から思えば奇跡のようでした。自身で企画立案や折衝をしながらスポンサー集めに走り回りました。その中で、日本の基幹産業界の敷居は高く、社会的な圧力や妨害を受けたこともあります。ですが、本気で実現したい強い思いがあったからこそすべてを乗り越えて、最後までやり通せたという実績と共に自信を得られました。ブース出展では当社のビジネスとも結びつけることができ、DXショーケースのような形で良い社会的アピールになり、その後の大型案件にまで発展しました。

ーー新しい経営計画としてどのようなものを立てられましたか?

山里:2025年に40周年を迎えるため、5か年計画を策定し、「VISION40」と銘打ちました。この計画では、「社員平均年収40%アップ」「社員400人企業へ」「売上の40%をDXで」「4億円規模の一括受託開発力」「社員平均年齢40歳未満へ」という、今の地点からは考えられないような目標を設定しました。この計画を役員会に上程し、スタートを切りました。

ぶつかった壁と乗り越え方

ーー直近の業績は本当に順調で、目標に向けて成長されていると感じます。その中で取り組まれてきたことは何でしょうか?

山里:経営方針と、それを実行する戦略の両面で取り組んできました。

経営方針の面では、完全にトップダウン型で一切の積み上げをせず、目標を細分化して逆算してアプローチすることを徹底しました。これにより、エンジニアたちが売上などを積み上げるのではなく、目標までの乖離を埋めることに価値がある、という考え方に変わりました。

また、部長層をほぼ一新し、専門職のキャリアアップを促進する制度も導入しました。これにより、高い専門性を持つ社員なら、組織マネジメントをしなくても昇進できる環境が整いました。

さらに、売上と利益の両方を同時に大幅にあげることは不可能だと割り切り、最初の3年間はとにかく利益率だけにこだわり、残り2年間で売上を上げる戦略をとりました。これにより、粗利率が大きく向上し、売上に対するレバレッジが効くようになりました。

ーー戦略面での取り組み、具体的な施策について教えてください。

山里:大きな施策としては、まずバックオフィス部門を見直し人数を半減させることで販管費を大幅に削減しました。これにより、採用施策や接待交際費など、プロフィットを生み出す原資を増やすことができました。また、顧客各社との関係も見直し、当社エンジニアの力量を正当に評価いただけるよう契約の交渉を行いました。これにより、営業利益が大幅に増加しました。

次に、上流エンジニアをITコンサルタントとして育成し、単価を1.5倍に引き上げました。この戦略により、社員の収入が大幅に増加し、会社へのエンゲージメント向上にもつながりました。

それから、受託開発事業を拡大しました。これまでの客先常駐型の働き方から、一括でシステム開発を請け負う形に変えることで、利益率が高いプロジェクトを獲得できるようになりました。

これらの取り組みが相乗効果を生むことで、現在の業績向上につながったと考えています。

今後の経営・事業の展望

ーー続いて、今後の展望についてお伺いできればと思います。御社の重点的なテーマや、さらに成長していくために必要となる要素について教えてください。

山里:採用と営業力の向上が一番の課題であり、現在注力している点です。特に優秀なエンジニアの採用が重要です。

採用に関しては、V40の目標の一つとして400人に増員することを掲げています。実は僕のちょっとした愚痴なんですが、前経営層から社員200人と聞いていたので、V40の目標である400人に倍増させれば良いと考えていました。しかし、後からスタート時点の社員数が実際には169人だったことに気づきました。そのため、400人という目標は現実的ではないと思った時もあります。ただ、投資できる体制は整えられたので、あとは全社を挙げて採用を進めていくことが重要です。

ーーなるほど。市場感としては、採用が難しくなっていると感じていますか?

山里:はい、転職市場からエンジニアを採用する難易度はかなり高くなっていると感じています。そのため、M&A(合併・買収)の可能性も検討しています。

全国の経営者へ

ーー山里社長のご経験から、この記事を読まれている方々へ一言いただけますか。

山里:まず、後継ぎ社長にとって、経営層や先代オーナーへの忖度が一番良くないと思っています。自分を信じて、自分が本当に正しいと思ったことをしないと、間違いなく失敗するし、後悔することもあります。

また、忖度なく自分の考えを貫き通すためには、自信が不可欠です。業界内外問わず、趣味を通してでもいいので高い壁に全力で挑み何かを勝ち取る体験を得ることが重要です。経験や実績がなければ、仕事から一歩離れたときに自分という存在を裏打ちするものがなくなってしまいます。自分に負荷をかけ続けることが成長への近道です。

氏名
山里 真元(やまざと まさゆき)
社名
日本コムシンク株式会社
役職
代表取締役 会長 兼 社長

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