矢野経済研究所
(画像=PIXTA)

中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスは、今や世界にとって「対岸の火事」ではなくなった。既にアジアから欧州、中東、北米、南米、アフリカへ感染範囲は広がっており、WHO健康危機管理プログラムの責任者マイク・ライアン博士は「パンデミックに備えるべき段階にある」と警告する。「世界の生産額が全体で1兆1千億ドル減少する」(オックスフォード・エコノミクス)との予測も発表された。
日本経済への影響ももはや「サプライチェーンの機能不全」や「インバウンド消費の喪失」といった “限定的” なものではない。まさに感染の当事国として、その内側からじわじわと “停滞” が進行しつつある。

26日、首相は国内のスポーツや文化イベントの開催を2週間中止するよう要請した。ただし、判断は主催者に委ねられた。地方自治体、民間はそれぞれの責任において続々とイベントの中止を決定する。初動対応が後手に回った現状にあって、大規模集会の中止は一定の効果があるだろう。しかし、問題は、いつまで自粛を続けるのか、ということだ。政府専門家会議は「この1、2週間が瀬戸際」であると指摘するが、この期間での収束を本気で目指すのであれば果たしてこの “要請” だけで十分であろうか。とは言え、Jアラートを鳴らすことで「やってる感」を演出するようなパフォーマンスは勘弁願いたい。2週間であればリカバリーできる。事業者支援、事後対応を含むあらゆる施策を準備、総動員し、総合的で集中的な施策パッケージを実行して欲しい。

25日、IOCのディック・パウンド委員が東京五輪の「開催判断の期限は5月下旬」との見解を表明した。開催可否の判断時期としては適切であり、かつ、それがギリギリのタイミングであろう。これに対して日本側は「公式見解ではない」「予定通り開催する」と反発する。
しかし、“絶対安全” が絶対でなかったゆえの悲劇が未だに続く日本にあって、絶対開催などと叫べば叫ぶほど、そのリアリティは失われてゆく。
絶対でないことを前提にいかなる事態にも対応できるシナリオを用意することこそ主催国、主催都市の責任である。関係者には目の前の現実を正しく受け止め、世界と未来に誇れる判断をしていただきたく思う。

今週の“ひらめき”視点 2.23 – 2.27
代表取締役社長 水越 孝