三井金属鉱業相談役・宮村眞平氏は、弊社主催の上場企業向けセミナー・基調講演で、「M&Aにおいて経営トップは、初期段階から完了まで、一貫してコミットするべきである。経験上、一貫してコミットしたディールはその後も成功している。」と話された。

「Ceenter-Pin」と改革

M&Aにおける「経営トップ」の役割
(画像=Preechar Bowonkitwanchai/Shutterstock.com)

宮村氏は、平成5年に三井金属・代表取締役社長に就任、同社の抜本的改革を断行した。銅・亜鉛の地金相場への業績依存を脱却するため、祖業といえる銅精錬事業等を日鉱金属とのJV「パンパシフイツクカッパー社」に移管、亜鉛精錬事業を住友金属鉱業とのJV「エムエスジンク社」に集約した。一方、レアメタル、銅箔、セラミクスなどの川下・周辺分野を強化、名門・三井金属を、安定した高収益企業へと変草した。「Center-Pin の方向を全員に知らしめたうえで(宮村氏)」、改草を率先した宮村氏は、まさに同社「中興の祖」といえる。

10余年前、証券マン時代に、宮村社長の誓咳に接する機会を得た。「Center-Pinの方向Jに遭進する同社子会社売却のアドバイザーとして、であった。氏は終始一貫、案件にコミットされた。交渉をリアルタイムで把握・指示、売却の最終決断を下された。従業員・組合へのディスクローズでは、「大三井」を離れるという不安と疑心の渦中、自ら岐車の子会社を訪ねられた。彼らに、これまでのグループ企業としての貢献を謝し、自らの決断を誇々と説き、一人ひとりを鼓舞したうえで、新境地へと送り出された。宮村氏は、確固とした信念とともに「仁」を兼ね備えた経営トップであり、若輩のM&Aマンとして、氏に対する敬慕の念を禁じ得なかった。

100年前のM&A

もう一例、記伝中の人であるが、宮島清次郎氏(日清紡績社長、日本工業倶楽部理事長、1963年没)の軌跡の一端を概観し、表題に対する本稿結論を導く。

宮島氏は、住友金属鉱山を経て、岳父経営の東京結績に転じ、再建の負託を受け経営トップとなった。同社は、過剰投資・財務悪化により会社整理す前であった。氏は、自ら生産現場に立ち、再建計画を履行、3年にして再建のめどを得た。その上で、業界の将来像、その中の自社像を勘考、1914 年、自社の尼崎紡績への合併を決断した。宮島氏は、将来の工場統廃合・人員整理案などの難交渉を率先、全プロセスを見極めたうえ、自らへの慰労金すべてを従業員への餞別として提供、淡然と身を引き浪人となった。宮島氏もまた「仁」の人といえる。交渉の見事さ、進退の潔きが初代根津嘉一郎の嵯嘆を得、やがて日清紡へと招かれたのであった。

以後の宮島氏の活躍は周知のとおりだが、その起点は、上記のように、100年前に自らコミットした東京紡績の合併案件であった。

まとめ

三人の経営トップを例示したが、そこには、時代を隔てても不変の共通項が浮き彫りとなる。すなわち、「M&Aにおける『経営トップJ の役割」とは

・業界の将来像、その中の自社像(Center-Pin の方向)を指し示す。
・Center-Pin の方向に沿って、M&Aを立案・遂行する。
・M&Aプロセスには一貫して探くコミットする。
・決断は経済合理性に基づくが、実行は「仁」を持ってあたる。

以上の役割を果たす経営トップの功績は、事業規模の大小を問わず、100年を経ても色あせることはない。称賛とともにさらに語り継がれるだろう。まさに100年を経た今日の、宮島清次郎氏に対する声価がなによりの証左である。

平山巌(執行役員企業戦略部長 株式会社日本M&Aセンター)