目次
- 施主の「大工さ、頼むな」という言葉に感動。真剣に修業に励む
- 建築職人の集団として会社設立。現場で一つひとつ手づくりする木造軸組工法にこだわる
- 家をつくったら守るのが当たり前。現在リフォームの9割がリピーター
- 良質の家をつくるため無垢材を使う。曲がり対策のために常時6,000本の無垢材を自然乾燥
- 夏は涼しく冬は暖かくするため「通気遮断WB工法」を採用
- 経営の一翼を担うようになり中長期計画を描くも、父親に「膨張より成長」と一喝される
- 営業部門を廃止し、工場見学ツアーを開催すると、工場が見違えるほどきれいになった
- 大人向けの木工教室や小学生の卒業制作を企画し、ファンを増やす
- 住宅プレゼン用ソフトを利用。顧客先で設計変更後の3Dパースを自在に描画
- 住宅展示場の機能アップへICT活用を模索
産経ニュース エディトリアルチーム
有限会社井坪工務店は1969年の設立以来、日本の伝統的な住宅建築工法である木造軸組工法を頑なに守り続けてきた。大手ハウスメーカーが住宅市場を席巻し、集成材が広く使われるようになっても、「伝え続ける技、受け継がれる心」を合言葉に、柱と梁(はり)をすべてヒノキでつくるなど無垢材にこだわり続けてきた。その一方、商談の場で住宅プレゼンテーションソフトを活用するなどICTを積極的に導入し、毎月木工教室を開くなどファンづくりにも注力。今や、寒暖差の激しい長野県伊那谷の地で、「夏は涼しく冬は暖かい良質な家をつくる工務店」との定評を得て、“営業しなくても行列ができる”ビジネスモデルを構築した。(TOP画像:住宅に使う無垢材を約6,000本ストック)
施主の「大工さ、頼むな」という言葉に感動。真剣に修業に励む
「大工というのは、お客さまが懸命に働き詰めて作ったお金を背にしてやる商売なんだ。真剣にやらなきゃいけないな、と思いました」。長野県飯田市にある井坪工務店の会議室で、井坪寿晴代表取締役社長は今から30年前に21歳で入社し、大工の修業を初めたばかりの頃の出来事を振り返る。
井坪工務店の2代目として、いずれ家業を継ぐことになると覚悟はしていたものの、建築関係の専門学校を出た後も東京で遊んでいた寿晴氏は、創業社長である父親に半ば強制的に実家に連れ戻され、「まさか」と思っていた大工の仕事を一から覚えさせられるはめになった。嫌々ながら仕事をして半年ほど経ったある日のことだ。大きな旧家を建て替える工事の上棟式で、末席に座っていた寿晴氏のところにも順に挨拶にきた施主は「大工さ、頼むな」と、目に涙をにじませながら働き者を思わせる無骨な手で酌をしてくれた。寿晴氏は初めて「大変な仕事に就いたんだ」と感じ、盃杯を差し出す手が震えたという。
その帰り道。大型バンに乗り合わせた棟梁(とうりょう)に、施主に酌をされた話をすると、「俺たち大工には名札がついてないから、半年しか経っていない寿晴くんも40年やっている俺もみんな同じ大工よ。だから現場に出たら見習いだろうが何だろうがプロらしく振舞わなきゃいけないんだ」と諭された。棟梁は、脇に置いた道具箱に目をやりながら、「俺はこれ一つで息子を大学に行かせ、娘を嫁に出したんだ。大工というのは、そういう仕事よ」と続けた。この日をきっかけに、寿晴氏は本気で大工の仕事に取り組むようになったのだそうだ。
建築職人の集団として会社設立。現場で一つひとつ手づくりする木造軸組工法にこだわる
寿晴氏の父親、井坪務氏は中学校を出て大工になり、若くして先輩を指導するほどに腕を磨き、23歳で独立した叩き上げだ。家づくりに対する情熱と鍛え上げた技を慕って井坪務氏のもとに建築職人たちが集まるようになり、職人集団・井坪工務店が設立された。それだけに、大手ハウスメーカーによるプレハブ工法のような量産型の住宅が広く普及する時代になっても、職人が現場で一つひとつ手づくりする木造軸組み工法にこだわり続けてきた。
家をつくったら守るのが当たり前。現在リフォームの9割がリピーター
務氏の口癖である「一度建てたら親戚同様のお付き合いがしたい」「家をつくったら守るのが当たり前、それが職人だ」という言葉は、そのまま井坪工務店の経営信条として受け継がれている。建てた後の定期点検を欠かさないなど、「家づくり・家守り」を重視した経営を徹底。年間約600件を受注するリフォームの9割がリピーターと、顧客からの厚い信頼を得るに至っている。
良質の家をつくるため無垢材を使う。曲がり対策のために常時6,000本の無垢材を自然乾燥
良質の家をつくるために欠かせない木材も、工場で人工的に量産される集成材ではなく無垢材を使う。とりわけ柱と梁はすべてヒノキだ。無垢材は集成材に比べて粘りがある反面、曲がりやねじれも生じやすい。そのため、しっかり寝かせて自然乾燥するという手間をかける必要がある。井坪工務店は、顧客の建築現場に最高の状態で届けられるように、自社工場内に常時約6,000本の無垢材をストックして、自然乾燥している。1本100万円前後もするケヤキなどの大黒柱や床柱もズラリと並べられており、今や数少なくなった銘木店からも仕入れにくるほどだ。
夏は涼しく冬は暖かくするため「通気遮断WB工法」を採用
伝統の在来工法にこだわる務氏は「〇〇工法」といった新しい工法には見向きもしなかった。ただ一つ、「これはいいんじゃないか」と言って採用したのが「通気遮断WB工法」だ。長野市の大工の棟梁が開発し、苦労の果てに国の認定を取得した工法で、2つの通気層で呼吸のような換気を行うことで夏は涼しく冬は暖かな家になる。井坪工務店は早くからこの工法を採用し、全国普及の先陣に立ってきた。
経営の一翼を担うようになり中長期計画を描くも、父親に「膨張より成長」と一喝される
寿晴氏は専務取締役として経営の一翼を担うようになった33歳の頃、経営コンサルタントを使って井坪工務店の中長期経営計画を描いた。注文住宅の営業範囲を長野県全体、さらには隣県にまで広げて事業規模を拡大するとともに、株式会社に転換して株式上場を果たすという計画だった。しかし、社長の務氏に「膨張ではなく成長を目指せ」と一喝された。その数年後にリーマンショックが発生した。その後、寿晴氏は2006年に35歳で社長に就任。その3年後に会長になっていた務氏が急逝したが、今でも務氏のこの言葉を肝に銘じている。
ちなみに、井坪工務店の3つの住宅ブランドのうち、旗艦ブランドとも言える伝統的な「和の家」には「務(MU)」というブランド名がつけられている。
営業部門を廃止し、工場見学ツアーを開催すると、工場が見違えるほどきれいになった
井坪工務店は5年ほど前に営業部門を廃止した。無用な価格競争を避けるためだ。代わりに、飯田市周辺に4ヶ所ある住宅展示場の見学ツアーとは別に、顧客に井坪工務店の家づくりを知ってもらうための本社工場見学ツアーを毎月1回、開くようにした。当初は井坪寿晴社長が一人で顧客を案内していたが、工場の職人たちも社長の見よう見まねで案内をするようになった。現場をよく知っている職人に案内をまかせれば、それだけ顧客にとって信頼性が増すからだ。今では工場の案内は基本的に棟梁が担当している。
あ見学に来る顧客を意識して、職人の態度も変わった。「工場がどんどんきれいになり、釘の1本から整理整頓するようになりました」(井坪社長)。見学ツアーは当初、競合他社と差別化するための手段だったが、この2年ほどは競合する会社がなくなり、新築の受注が年間30~40件とキャパシティいっぱいで推移している。井坪社長は「営業を廃止したら、行列ができるようになりました」と笑う。「それも、無口だった職人たちがしゃべれるようになり、身なりを変えたり、現場をきれいにしたりと、お客さまに近い目線に立ち始めたからじゃないですかね」と分析する。
大人向けの木工教室や小学生の卒業制作を企画し、ファンを増やす
本社工場では毎月1回、ベテラン木工職人が端材を使った工作を手ほどきする「大人の木工教室 itsubo Craft factory(イツボ・クラフト・ファクトリー)」も開催している。建築工事で発生する無垢の端材を有効活用して、書棚や野菜ストッカー、スマートフォン用スピーカーになどのつくり方を教える。また、2月から3月にかけては、近隣の小学校に職人たちが赴き、やはり無垢の端材を使って6年生の卒業制作を支援する。今年は4校に延べ9日間通い、踏み台や椅子として使えるアイテムの制作を教えた。無垢材の香りや触感に親しみながら工作するこれらのイベントは、着実に同社のファンを増やしているようだ。
住宅プレゼン用ソフトを利用。顧客先で設計変更後の3Dパースを自在に描画
国産の3次元建築専用CADソフトウエアを20年ほど前にいち早く導入するなど、井坪工務店はICTの活用も積極的。当時、MS-DOS版の二次元CADソフトから切り替えたのだが、設計補助を担当していた女性が描いた図面が一瞬のうちに複写機からプリントアウトされてくるのを見て、井坪社長は「こんなに簡単に図面が描けるのかと、ちょっとしたカルチャーショックを覚えました」と振り返る。ただ、在来工法の建築は和室に天袋や地袋を設けるなど構造が複雑なため、いろいろとソフトに手を加えてカスタマイズしながら使っているという。
2年ほど前には住宅プレゼンテーション用ソフトも導入した。3次元CADデータに基づいて住宅の間取り図やパース(透視図)を立体的に描き出すソフトで、顧客先に持参したタブレットに表示しながらプレゼンできる。顧客の要望に応じて、その場で、間取りを変更したり、壁紙やドアの色などを自在に変えたりできるので、顧客にとっては実際の住宅をイメージしやすくなる。「設計担当の女性がちょうど産休になって、人手が不足した時に入れたのですが、とても助かりました」(井坪社長)という。
2020年の新型コロナウイルス感染症の発生以降は、Zoomなどを利用したWeb会議も常用している。顧客との打ち合わせにはじまり、業界団体の活動に至るまで、オンラインで会議することが多くなった。井坪社長は「とくに着工前の業者打ち合わせなどは図面をパソコン画面で共有できるので、20人ほど集まるリアルの会議で端のほうに座ってボードの図面を見るのに比べたら、はるかにわかりやすいのではないでしょうか」(同)と話す。
住宅展示場の機能アップへICT活用を模索
井坪社長は現在、4ヶ所に展開している住宅展示場(ショールーム)のマーケティング機能をICTの活用により、もっと高められないかと考えている。各ショールームには担当者を一人ずつ配置しているが、コロナ禍が落ち着きつつある最近は予約なしで訪れる顧客も増えてきた。そうした顧客をうまく誘導して、案内できる仕組みを構築できないかと思案している。とくに、井坪工務店のホームぺージで、事前に同社が提供する住宅の知識を仕込んで来場した顧客には、より詳しいセミナー動画を自動で放映するコーナーを設けるなど、わざわざ足を運んでくれたぶん、同社商品への関心度をさらに高めてもらえるような仕組みを構築できないものかと考えているところだ。
企業概要
会社名 | 有限会社井坪工務店 |
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所在地 | 長野県飯田市上郷黒田693 |
HP | https://itsubo.co.jp |
電話 | 0265-22-5262 |
設立 | 1969年6月 |
従業員数 | 約50人 |
事業内容 | 建築工事請負業・宅地建物取引業 |