「社員が主役」の会社はなぜ逆境に強いのか
志水 克行
1964年京都府生まれ。19歳にて物流業を起業。HONDAのサプライチェーンの一画を担う。HONDAの物流改革の経験を通じ、 使命に感じていた中小企業の経営改善支援を決意し、1992年新経営サービスに入社。 以後、現場・現実主義を貫き、各社の実態に応じた経営改善や組織改革、社員のモチベーションアップ、人材育成を精力的に展開。 経営改革の支援企業約400社、5,000名を超える経営者・管理者の「リーダーシップ革新」や「自己革新」を実現。 特に、モチベーションや潜在能力を徹底的に引き出し、 社員が主体となって経営改革に取り組んでいく組織変革手法は他の追随を許さない。経営改善の現場で裏打ちされた組織改革のノウハウが顧客より絶大な信頼を得ており、セミナーや研修のリピート率は90%を超える。

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今いる人だけでも今まで以上の成果は出せる

経営とは限られた経営資源の傾斜配分であり、その配分の妙が経営者の手腕といわれます。

経営資源に限りがあるのは中小企業だけのことではありません。

どんなに大きな会社でも無尽蔵の経営資源を誇るところはなく、程度の差はあれその配分に頭を悩ませているはずです。

しかし、有限な経営資源の中で、ひとつだけ自ら価値を増やしていくことのできるものがあります。それが人的資源、すなわち「人」です。

ひとつの機械の出力はスペックが1と定められていれば1が限度ですが、ひとりの人間が生み出す成果は、今日は1でも明日は2にも3にもなります。

今いる人が今日全員で10しか成果を上げていなくても、働きかけ方次第で明日には20、30となる。人数は変わらず、顔触れも変わりません。それでも成果は2倍、3倍となる。それが人という資源の魅力的な本質でもあります。

現有の経営資源で会社を浮上させようとするならば、人の力を伸ばすことが最も効果的な手段となります。この点については、基本的に異論はないと思います。

しかし、今いる社員に今まで以上の成果を出してもらうには、どうすればよいかとなると、意見百出です。

この本以外にもさまざまな専門家が、さまざまな方法論を展開しています。

しかし、大別すれば「はじめに(本書を読む前に)」で述べたとおり、ルールを徹底し強制的にやらせる方法か、本書でこれから展開するような、社員に自発的な改善を促す方法かのいずれかに集約されてくるのではないでしょうか。

人間は環境次第で変わる

社員の自発性を刺激する具体的な方法論の前に、まずいくつかの前提について確認しておきます。

各論に入る前に、本当に同じ人がそんなに変わるものなのか、人の意識が変わっただけでそんなに成果が違ってくるのか、という点を確かめておかないと、人の自発性を促すための方法論も信用の薄い空虚な論になってしまうからです。

方法論の信頼性を担保するには、私がなぜこのやり方に至ったのかについても明らかにする必要があると思いますが、それは別の章で述べることといたします。

同じ設備、同じ人員でリストラなしに業績がV字回復した会社は、けっして少なくありません。しかし、すべてのケースで望ましいやり方がとられたわけではないのも、残念ながらまた事実です。

残念なケースをひとつご紹介しましょう。

大手企業にM&Aされることになった中小会社がありました。M&Aされる中小会社の社員たちは、合併後に自分たちのポジションがなくなるのではないかと危ぶみ、M&A直前の期に自分たちの価値を高めるため必死になって業績を上げ、過去最高の結果を出しました。

中小会社の社員の置かれた立場は、韓信の「背水の陣」に置かれた兵士と同じで、生き残るために必死で奮闘したのです。

マズローの欲求5段階説でいえば、生存の欲求が脅かされた事態ということになりますから、こういうとき人は必死になって頑張ります。

火事場の馬鹿力を発揮したわけです。

ところが危機に瀕して発揮する力は一過性であり揮発性のものですので、大手企業にM&Aされてからは、今さらやっても何もならないとばかりに、まったく業績は振るわず毎年のように赤字を出してしまいました。

「背水の陣」つまり危機感を煽る手法は何度も使えないということです。本当に人を変えるには、もっと根本的な部分に訴えなければなりません。

■誇りと尊厳を取り戻すことで人の意欲を回復

多くの人がご存じの例を紹介します。

二宮尊徳という人をご存じでしょうか。江戸時代末の篤農家で、昔は全国の小学校に彼の少年時代の石像や銅像がありました。彼の功績は、農業が不振で廃村寸前の村々を立て直したことです。今日でいえば企業再生の達人といえましょうか。

尊徳は村の指導者ですが、彼のやったことは毎日だれよりも早く農地へ出て、だれよりも遅く家に戻ることでした。技術指導は、まず人々の心に誇りを取り戻さなければ何の役にも立たない。これが尊徳の考えです。

廃村寸前で農業をあきらめ、城からの援助で暮らすことに慣れ、自暴自棄の負け犬根性に堕してしまった村人には、まず農家としての誇りを回復させなければなりません。

村人たちは、雨の日も風の日も、けっして変わらぬ尊徳の態度を見て、自分たちの怠惰と弱気を恥じ、ひとりふたりと村の再生に取り組むようになりました。

人の心にも、身体と同じく自然治癒能力があるのです。

尊徳は、村の復興に必要なのは村人の誇りと尊厳を回復することにあるとして、城からの資金援助をきっぱりと断り、村人の自立を促したのです。それが後々襲われることになる天保の大飢饉を一人の犠牲者も出さず乗りきることに繋がってきます。

人は意欲によって出す結果が大きく変わりますが、意欲は欲や得だけに刺激されるものではないのです。自尊心や使命感という無償の報酬が、人を動かす本質なのかもしれません。