台湾にとって「もっとも友好的な国家」は、五六・一パーセントが日本と回答して、やはり一位に挙げられ、アメリカが二位で続き、「もっとも非友好的な国」は、八七・九パーセントが中国で一位、二位が韓国で四七・四パーセントだった。
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(本記事は、加瀬 英明氏の著書『日本と台湾 なぜ、両国は運命共同体なのか』=祥伝社、2022年11月11日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

ますます広がる日台の民間交流

2013年現在で、長野県、群馬県の2つの県、青森県大間(おおま)町、沖縄県宮古島(みやこじま)市、石垣(いしがき)市、与那国(よなぐに)町、福島県牟岐(むき)町、玉川(たまがわ)町、福井県美浜(みはま)町、群馬県上野(うえの)村、秋田県上小阿仁(かみこあに)村、岡山市、仙台市、横浜市、東京都八王子(はちおうじ)市、鳥取県三朝(みささ)町、北栄(ほくえい)町、北海道旭川(あさひかわ)市、津別(つべつ)町、栃木県日光市、岐阜県美濃(みの)市などが、台湾の県や、市、郷(町村)と、姉妹関係や、教育観光協定などを、結んでいる。

その他に、石川県議会が台南県議会と友好交流協定を結び、埼玉県議会が日台友好議員連盟を結成するほか、神社と廟や、数多くの団体同士のあいだに、姉妹提携関係が存在している。日韓、日中関係が困難なものとなっているかたわら、日台の民間交流がいっそうさかんになっている。

2005(平成17)年に、田沢湖町と角館(かくのだて)町と西木(にしき)町が合体して、仙北市となった。角館町は武家屋敷で、有名である。

2011(平成23)年に、玉川温泉と台北市の北投(ペートウ)温泉が姉妹温泉の縁組みを行なった。北投温泉はラジウムを含んだ北投石(ほくとうせき)によって有名だが、玉川温泉で北投以外でははじめて、同じ北投石が発見されている。

2012(平成24)年に、田沢湖と澄清湖が縁結びを行なってから、25周年に当たることと、玉川温泉と北投温泉の提携も合わせて祝うために、仙北市から門脇光浩(かどわきみつひろ)市長が団長となって、100人以上の市民一行がチャーター機を仕立てて、台湾を訪れた。私も参加したが、一行は4泊の日程で、北投温泉と台北市内、澄清湖を管理している自来水(じらいすい)(中国語で水道のこと)公司本社がある台南、高雄を訪れて、台湾側の熱烈な歓迎を受けた。

北投温泉では、陽明山(ようめいざん)に仙北市が贈った桜の苗木を植樹する野外式典が行なわれた。台北市役所の2人の美しい女子職員が、日本の着物を着て仮設舞台に上がったが、着付けがよいのに、感心した。

市を代表して、市の局長が流暢な日本語で、心がこもった祝辞を述べた。日本時代に北投公園がつくられてから100年、日本の学者によって北投石が発見されてから100年、北投温泉博物館が建設されてから100年の、三つの100周年に当たると述べ、陽明山が日本時代に「草山(そうざん)」と呼ばれていたことや、昭和天皇が皇太子殿下として台湾を訪問されたのを記念して、台北市内に桜並木が植えられたのが、今日でも市民の大きな憩いの場となっておりますといって、日本に感謝したのが、嬉しかった。

一行のなかの角館高校飾山囃子(おやまばやし)同好会の男女高校生が、装束(しょうぞく)で伝統芸能を披露して、友好を盛りあげた。

台湾と公的な関係がないだけに、民間外交によって両国の絆を固めることが、きわめて重要である。

田沢湖町時代から25年にわたって、吉田淳二(よしだじゅんじ)田沢湖町商工会長、高橋練三(たかはしれんぞう)仙北市国際交流協会長をはじめとして、日台国民の結びつきを強めることに、たゆみなく尽力してきた仙北市民の努力を、高く評価したい。

台湾は、日本が独立を保持してゆくのに当たって、アジアにおけるもっとも重要な国であって、日本の分身であるというべきである。日本として台湾との経済、文化、政治にわたる関係を強めてゆかなければならない。

日本と台湾 なぜ、両国は運命共同体なのか
加瀬 英明
外交評論家。慶應義塾大学、エール大学、コロンビア大学に学ぶ。「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長。1977年より福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、日本ペンクラブ理事、松下政経塾相談役などを歴任。公益社団法人隊友会理事、東京国際大学特任教授。著書に『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』『アメリカはいつまで超大国でいられるか』(ともに祥伝社新書)、『昭和天皇の苦闘 巡幸と新憲法』(勉誠出版)『「美し国」日本の底力』(共著、ビジネス社)など、多数。1936年、東京生まれ。2022年11月に死去。

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