矢野経済研究所
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日本中を震撼させた「酒鬼薔薇聖斗」こと少年Aによる神戸連続児童殺傷事件(1997年)の全記録が廃棄されていた。最高裁は「社会的な影響が大きく、史料的な価値が高い事件や少年非行の調査研究に資する記録は永久保存とする」旨の通達を出しており、神戸家裁は「経緯は不明」としつつも「運用は適切でなかった」旨、釈明した。
これほどの事件に関する資料が廃棄されていたこと自体も驚きであるが、これを問われた最高裁の回答には愕然とさせられる。報道によると「本件についての見解は差し控える」、「廃棄の経緯が不明であることに問題はない」とのことだ。

10月6日、河野デジタル担当相は「2024年度中に健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一体化させる」と表明した。カードの普及率は6年半を経て5割に留まる。つまり、取得を動機づける利便性を提案出来なかったということであり、任意から義務化への転換はこれに業を煮やしての決断である。要するに失策だった。取得推進のインセンティブにどれだけの税金が投じられたのか。「マイナポイント第2弾」だけでも1兆4000億円の予算が組まれた。広報宣伝にも莫大な予算が投じられてきた。失われた膨大な時間と投下された税金に対する検証はなされたのか。

旧統一教会を巡る対応も煮え切らない。“今後は一切の関係を断つ” とまでトップが表明せざるを得ない組織の活動に関与し、その信用を補完し続けてきたことに対する社会的責任が「丁寧な説明」や「猛省」の一言で免責されていいのか。そもそもあたかも “なかったこと” のように振る舞い続けられる無恥と不誠実さは一体どこから来るのか。いつから日本の “大人” はこうなったのか。

主張のちがいや施策の失敗が本質ではない。異論を揶揄し、批判を封じ、都合の良い事象のみを選び取り、不都合な事実から目を逸らすよう方向づける、ここが危うさの根本だ。これは隣国の話ではない。
「政治の決め事は7世代先の人々のことを念頭においてなされる。なぜならこれから生まれてくる世代の人々が地面の下から私たちを見上げているからだ」、これはネイティブアメリカン「オノンダーガ族」に継承される言葉だ(「それでもあなたの道を行け」、ジョセフ・ブルチャック編、めるくまーる社)。そう、「今」を歴史として未来へつないでゆく責任を忘れてはならない、ということだ。

今週の“ひらめき”視点 10.16 – 10.20 代表取締役社長 水越 孝