「最近の若者には、何か指摘するとパワハラだと言われかねない」
「厳しく指摘するとすぐに辞めてしまう」
「会社の行事や飲み会にも参加せず、指導の仕方が分からない」
このような悩みを抱えた社長は多いのではないでしょうか。今回は、ゆとり世代との接し方について、社長はどうあるべきかお伝えしていきます。
ならぬことはならぬものです
福島県郡山市にある識学社の東北営業所から車で西へ約1時間走った会津若松市河東町には、江戸時代に「日新館」という會津藩の藩校がありました。白虎隊や2013年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重と関わりのある学校です。
江戸時代も200年が過ぎ、太平の世になってくると、今までの風習が変化し武士の気もゆるみ始め、道徳の退廃も顕著になってきました。天明2(1782)年から数年間続いた天明の大飢饉をはさんで、会津藩内でも様々な問題が出てきます。その諸問題を解決すべく、5代藩主 松平容頌の時、家老 田中玄宰は藩政の改革をするよう進言し、その中心に「教育の振興」をあげ、このことが日新館創設のきっかけとなりました。
「會津藩校 日新館とは」
公式HPより:https://nisshinkan.jp/about)
最終閲覧日:2022年6月27日
藩政改革の中心を「教育の振興」に挙げ創設された日新館。この日新館には、初等教育として幼い子どもたちが自らを律する「什の掟」というものがあったと言われています。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
「什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
公式HPより:https://nisshinkan.jp/about/juu)
最終閲覧日:2022年6月27日
当時の会津藩では小さい頃からこの掟をもとに、「会津武士はどうあるべきか」を互いに約束し、組織人としてのあるべき姿の認識を深めていきました。
崩れゆく価値観と日本型雇用制度
現代の価値観で言えば、このような発言をする社長はパワハラ社長に該当しそうですし、「ならぬことはならぬものです」の一言も、独善的かつ若者の思考停止を引き起こす問題発言として取り上げられる可能性があります。今の日本で、「年長者の言うことに絶対に背いてはいけない」と公式に言える社長はいないでしょう。
このような価値観は、よい悪いは別にして、かつての日本では当たり前のこととして受け入れられていました。そして、この価値観の下で企業運営がなされていたのです。だからこそ、働くことについて迷わず、「上司から言われた通りに一生懸命働けば報われる」という職業観を多くの人が持つことができました。
上記のような、日本に以前からあった儒教的価値観や職業観は、変化の激しい時代のなかで揺らいでいます。そして、これらの価値観と方向性を同じくする年功序列、終身雇用といった日本型雇用制度についても、雇用流動化、ジョブ型雇用、45歳定年制、副業推奨など、新たな人事制度が打ち出されることによって、見直されつつあります。
環境が変化するなか、価値観、職業観が変わったから制度維持が困難となっているのか、制度維持が困難になるにしたがって価値観、職業観も変わっていくのか。因果関係は不明ですが、価値観や職業観、そして雇用制度も従来型のものが通用しない正解のない時代になっているのが現代です。
「ならぬことは、ならぬものです」というような絶対的な価値観を多くの若い世代は知らずに社会人になるのです。
社長の役割は会社の価値観を言葉にすること
同じ価値観を共有できない時代、正解のない時代に、ゆとり世代と言われる若者たちは働き方について迷うことも多いでしょう。いや、ゆとり世代だけでなく、働く人皆が一様に迷っています。
社員一人ひとり、普通や当たり前が異なるという前提のなかで、社長は会社を運営していかざるを得ない時代です。このような迷い多き時代に社長が社員に対して行うべきことは、自社の価値観や職業観を明確にし、それらを共有する社員とともに働くことです。
価値観や職業観を明確にするとはどういうことかと言えば、先に上げた什の掟における「ならぬことはならぬものです」を自社として明確に定め、言葉にして社員に知らしめることです。会社のならぬこと、社員が自らを律するために最低限守るべき掟は何なのか、そして、掟を守ることを通じて自社の社員である私たちは何者なのかを明確に決めて言葉にすることが、社員の迷いを取り除くために第一に社長に求められることになります。その上で、
「当社は、このような考え方を持って社員に働いて貰っている。この考え方に賛同できるのであれば、ぜひ、入社願いたい」
採用段階でこのように求職者に伝えることで、価値観のずれをなくしていくことが求められます。この価値観にずれがあると、冒頭にお伝えしたような社長の迷いにつながります。
ゆとり世代に向けた接し方に迷いが生じる原因は、社長自身が明確にできていない自社の価値観、職業観、「ならぬもの」を決め切れていないことにあるのです。
ゆとり世代を迷わせない
戦後76年が経過し、働く人の気も緩み、道徳の退廃、経済環境の悪化など、現代の状況と日新館が創設された時代背景は重なる部分が多くあります。日新館が掲げた教育の振興とは、組織人としてのあるべき姿を若者に浸透させること、若者に対して組織人としての迷いを取り除く状況をつくることだったのではないでしょうか。
残念ながら、現代は多様な価値観を許容せざるを得ないがゆえに、学校が当時の日新館と同じ役割を果たすことは困難です。企業が教育機関としても機能しなければいけないのであれば、社長はあらためて自社の掟から作り上げていくことが必要です。
ゆとり世代とは、多様な価値観のなかで迷い多き世代です。社員を迷わせないこと、これが社長の役割です。
もちろん、社長が決めた掟が社会通念上認められないものや、時代錯誤で求職者にとって許容できないものであれば、社員は誰も入社しないでしょう。一方で、自社の掟や目的、理念を伝えた上で社長が若手を採用することができれば、お互いに似た価値観の下、同じ方向に進むことができます。
このような掟を会社の価値観、社員の職業観の根本に置き、社員が自ら律して、この会社の社員であることはどういうことなのか考える機会をつくること、これがゆとり世代の扱い方、社員を迷わせない社長がすべき対応となります。
本記事が、社長がゆとり世代と接する上で、参考となれば何よりです。