世界1の大富豪、イーロン・マスク氏が寄付した57億ドル(6,590億円)以上の受取人を巡り、波紋が広がっている。これだけ巨額の寄付金を受け取った慈善団体に関する詳細が、一切明かされていないのだ。米国証券取引委員会(SEC)に提出された申告書類上の受取人(慈善団体)は、「匿名」となっている。
米国で2番目に巨額の寄付金 受取人は「匿名」
ロイターの報道によると、マスク氏は2021年11月19日~29日にわたり、自社株504万4,000株、当時の株価で57億4,000万ドル(約6,590億6,227万円)を慈善団体に寄付したという。
フィランソロピーや非営利団体関連の情報サイト「クロニクル・オブ・フィランソロピー」のデータを見る限り、150億ドル(約1兆 7,310億円)を自らの財団であるビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付したビル・ゲイツ氏とメリンダ・フレンチ・ゲイツ氏に続いて、2021年の米寄付金ランキングで2位に当たる金額だ。
同氏は2012年、生前・死後に資産の半分以上を、慈善活動に寄付することを誓約する「ギビングプレッジ」を宣言しており、2018年には「数年ごとに100万ドル(約1億1,482万円)相当のTesla株を寄付する」ともTwitter で発信した。
Tesla株の高騰で現在の資産が「ギビングプレッジ」宣言当時の200倍以上に膨れあがったことから、寄付の規模を拡大したと見ることもできる。フォーブスは匿名の57億ドル以外に、同氏が2022年2月までに寄付した総額を2億8,000万ドル(約321億5,029万円)と推定している。
腑に落ちないのは、以前は寄付先を開示していたにもかかわらず、今回の巨額の寄付金に限り匿名扱いという点だ。
世界食糧計画に寄付?
寄付先として、3つの可能性が浮上している。
1つ目は、WFP(国連世界食糧計画)だ。事の発端は、WFPのデヴィッド・ビーズリー事務局長のコメントである。同氏は10月26日のCNNの取材でマスク氏やジェフ・ベゾス氏を引き合いに出し、「60億ドル(約6,922億9,334万円)あれば、4,200万人に食料を提供することができる」と語った。当時のマスク氏の資産の、2% に当たる金額だ。
数日後、マスク氏は「もしWFPが60億ドルで世界の飢餓を解決する方法を明確に説明できるなら、今すぐTeslaの株を売ってそれを実行するので教えて欲しい」と発信した。これに対してビーズリー事務局長は「世界のすべての飢餓は解決できないが、4,200万人は救える」と即座に返信し、「世界食糧計画」への寄付を促した。
しかし3月5日現在、マスク氏からの返信はなく、WFPがマスク氏から寄付金を受け取ったという事実も確認されていない。
自分の財団に寄付?
2つ目は、2002年に弟と共同設立したマスク財団だ。
同財団は、「再生可能エネルギーの研究と支援」「有人宇宙探査の研究と支援」「小児科の研究」「科学と工学の教育」「人類のためになる安全なAI(人工知能)技術の開発」の5つの領域に助成金を提供している。
フォーブスによると、マスク氏は財団設立から2020年9月までに総額およそ2,500万ドルを非営利団体に寄付しており、米非営利団体Xプライズ財団が主催する、炭素回収技術を競うコンテストに1億ドル(約114億8,183万円)の賞金なども提供しているそうだ。
2021年にはスペース(Space) Xが自社のロケットを製造するテキサス州南部の公立学校や非営利団体に総額3,000万ドル(約34億 4,487万円)、テネシー州のセント・ジュード小児研究病院に5,000万ドル(約57億 4,145万円)を寄付した。
慈善投資口座に移転?
一部の専門家が「最も可能性が高い」と主張しているのは、「ドナー・アドバイズド・ファンド(DAF)」と呼ばれる慈善投資口座だ。
DAFは日本の公益信託に近い制度で、寄付者は金融機関などが提供する慈善基金に専用口座を開設する。一般の寄付制度と大きく異なるのは、「Donor-Advised Funds(寄付者の意思を反映する基金)」という名称の通り、寄付金の使途や金額、寄付先、寄付を行うタイミングなどを寄付者が自分で決定できる点だ。
DAFのもう1つの特徴は、節税効果が非常に高く、慈善寄付による節税を最大化できる点だ。モーニングスターによると、現金寄付者は調整後総所得の最大60%、有価証券やその他の資産の寄付者は最大30%の控除を受けることができる。財団のように毎年一定の割合を分配する必要もなければ、開示義務もない。
アーノルドベンチャーズ(旧称ローラ&ジョン・アーノルド財団)の創設者であるビリオネア慈善家、ジョン・アーノルド氏の言葉を借りると、DAFとは「永遠に資産を保管できる非課税の投資口座」であり、多数の米富裕層がこの「税法の抜け穴」を利用している。
過去にも約24億円をDAFに寄付していた
マスク氏は12月、「2021年の納税額が110億ドル(約1兆2,629億円)になる」とTwitterで明かしていた。しかし、DAFに自社株を寄付していた場合、調整後総所得から最大30%の税額控除を受けることが可能だったはずだ。さらに株式の元の価値ではなく、公正価値(金融商品売却した際に得られる金額、あるいは購入した際に支払う金額)を控除できるという優遇措置も適用されただろう。
アーノルド氏は、「マスク氏の株式所得による税収や税額控除が意図する慈善事業的な恩恵は、地域社会に還元されなかったことになる」と指摘している。
今回の巨額の寄付金が本当にDAFに流れたのかどうか、現時点においては明らかになっていない。しかし、過去にマスク氏がマスク財団を介して、DAFを利用していたという複数の証拠はある。
同財団の国税庁提出書類には、2019年に11,000株のTesla株、2,070万ドル(約23億 7,667万円)相当を、フィデリティのDAF部門であるフィデリティ・チャリタブルに寄付したと記載されている。つまり、今現在も、そのお金はマスク氏のDAF口座に眠っているだけで、寄付を必要とする人々には届いていないかもしれないのだ。
このような租税回避行為を阻止すべき、DAFへの寄付の非課税期間を限定する法案が米国上院と下院に提出されているが、現時点において具体的な動きは見られない。
現実の世界は税法の抜け穴だらけ
近年、格差是非の手段として富裕層への増税が議論されているが、実際には増税どころか納税すらまともに行われていない有様だ。マスク氏の「謎の57億ドル騒動」は、税法の抜け穴だらけの現実を象徴している。
文・アレン・琴子(英国在住のフリーライター)