JETRO_アジア経済研究所
(画像=村山真弓氏・村井友子氏/THE OWNER編集部)

この数年の間に、世界の国々の勢力図が大きく変わろうとしている。すでに成熟期に入った中国や成長著しい東南アジア各国は、事業や投資を行う上で特に注視すべき存在だ。さらに、今後アジア以上に急速な経済成長を果たすと目されているアフリカには、すでに世界各国から企業が集まってきている。

これらの国々で事業・投資を行うにあたり、各国の現在の経済レベルや市場動向を知るだけでなく、その歴史や文化、地政学などの背景を理解しておくことは非常に重要だ。そして、これら開発途上国・地域の調査研究機関として60年以上の歴史を持つのが、日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所だ。「アジア」という名を冠しているが、研究対象地域は中東やアフリカ、ラテンアメリカなども含まれる。

アジア経済研究所が研究を行う背景や、日本の産業界に影響を与えうる研究成果ついて、ジェトロ理事でアジア経済研究所担当の村山真弓氏、学術情報センター長兼図書館長の村井友子氏の2人に聞いた。

佐々木かをり
村山真弓(むらやま・まゆみ)
日本貿易振興機構理事、アジア経済研究所担当。1984年アジア経済研究所入所、専門分野は南アジア地域研究、ジェンダーと開発、労働問題、域内関係。著作に『知られざる工業国バングラデシュ』 (村山真弓・山形辰史編 アジア経済研究所 2014年)、『これからのインド:変貌する現代世界とモディ政権』 (堀本武功・村山真弓・三輪博樹編 東京大学出版会 2021年)など。
佐々木かをり
村井友子(むらい・ともこ)
1990年にアジア経済研究所に入所し、当時の図書資料部にライブラリアンとして配属される。1998年から2000年にはメキシコに海外派遣員として赴任。2019年から現職。専門図書館協議会で研修委員長として、日本全国の専門図書館で働くライブラリアンを対象とした研修プログラムの企画・立案・運営を推進。2020年度からはZOOMによるオンラインセミナーを展開中。

事業拡大の場としてのアジアを知る

アジア経済研究所は1958年に財団法人として創立した。その背景には、学界・財界・政界からの要望があったという。

学界からは、「基礎資料の収集と若手研究者の育成」を、政界からは、「アジア諸国への経済協力政策の一環としての調査研究機関の設立」を、そして財界からは、「日本企業が事業を拡大していった際に必要となる各国の経済や文化環境の調査」を求められた。

この三方からの要望を踏まえ、政府のもと同所は発足した。政府のもとにつくられた機関ではあるものの、特定の政策についての調査よりも、各国・地域の経済、政治、社会等について基礎的・総合的に分析する学術研究を重視する形で歩んできたという。

1960年に通商産業省(当時)傘下の特殊法人となり、1998年には日本貿易振興会(現日本貿易振興機構=ジェトロ)と統合し、2003年には独立行政法人となった。2020年に特殊法人化から60周年を迎えた、歴史ある研究機関である。

村山氏によれば、「基礎的かつ総合的な調査研究を目的として、途上国研究を中心に行っている機関の中では世界最大規模に近い」という。現在約110人のプロパー研究者を擁しており、専門性を持ったライブラリアン、研究マネージメント職、編集職など、さまざまな形で研究を支える人材が在籍する。さらには専門図書館、出版機能、研修機能など、研究機関として充実したアセットを持っている。

専門図書館と国際研究ネットワーク

アジア経済研究所図書館は、創設以来60年以上にわたって収集してきた資料、約70万冊を所蔵している。これは中規模の大学図書館と変わらない規模だ。同所のポリシーである「三現主義」(現地語を用い、現地資料にあたり、現地に滞在して研究する)で、欧米諸国の学術書に限らない広範囲で膨大な資料が集められている。この図書館は誰でも訪問でき、資料を閲覧できるのが特徴だ(現在はメールによる事前予約制)。

Web上での情報発信も数多く行っており、過去の出版物から最新のコラムまで、学術研究リポジトリ(ARRIDE)で一元的に管理している。そのうち、IDEスクエアというウェブマガジンでは、時事問題やスポーツ、芸能、食文化などを通じて見える社会事情などを取り上げ、読み応えのある論説記事からエッセイまで幅広く掲載している。これらは、すべてオープンアクセス、つまり無料で誰もが読むことができる。

国際的な研究ネットワークも広がっている。その1つは、研究者派遣だ。同所に入所すると、研究者だけでなくライブラリアン、研究マネージメント職員、編集担当職員にも海外派遣の機会があり、自分のテーマを持って研究を深めていく期間が与えられる。この期間に途上国・先進国の研究機関や研究者とネットワークをつくることができる。逆に、途上国を中心とした他国の研究者の受け入れも行っている。

このような個別の交流だけでなく、同所では国内外の研究機関・大学と協力のためのMOUを締結しており、また“東アジア版OECD”として2008年に設立された「東アジア・アセアン経済研究センター」(Economic Research Institute for ASEAN and East Asia:通称ERIA)との連携も行う。

さらにERIAを支える16ヵ国を代表する研究機関のネットワークRIN(Research Institutes Network)では、ERIAとともに地域の経済統合や経済発展等に資する研究を行っている。同所はRINの事務局を務めているという。

最近の研究事例:新型コロナ、世界経済の未来を地域単位で予測するモデルの構築 他

新型コロナウイルス関連した研究は、同所Webサイト「アジ研 新型コロナ・リポート」に特集されており、研究成果がまとめられている。また、2021年10月には日本経済新聞出版から「コロナ禍の途上国と世界の変容 軋む国際秩序、分断、格差、貧困を考える」(佐藤仁志・編著)が出版された。

「アジ研の研究では、『テーマ視点からの分析』と『個別地域に焦点を当てた分析』は別々に行われることが多いのですが、本書は両方から研究者が入って分析している点が大きな特徴です」と村山氏はいう。

「テーマ視点からの分析」とは、「貿易」や「政策」、「金融危機」といった研究課題について世界中を水平に探る分析、「個別地域に焦点を当てた分析」とは、中国、インド、ブラジル、南アフリカなど国や地域を垂直的に深掘りする分析のことだ。この両面からアプローチを試みているため、立体的にパンデミックの影響を考察できるところがこれまでにない特徴である。

最新の研究成果としてもう1つ、経済地理シミュレーションモデル(IDE-GSM)を紹介する。同所が2007年から開発を続けているこのIDE-GSMは、空間経済学に基づき、人口と産業の空間的な分布の変化を予測し、様々な貿易・交通政策の影響を分析するために開発された経済モデルだ。

モデル内に全世界3000以上の県・地方レベルでの人口・経済データと2万を超える道路、空路、海路、鉄道などの交通ネットワークのデータを持ち、これを変更することで物流インフラ整備の経済効果だけなく、貿易自由化や非関税障壁の引き下げ、通関の円滑化などを含むさまざまな貿易・交通円滑化措置の影響を試算できる。ERIAや世界銀行、アジア開発銀行などでも、主にアジア地域のインフラ開発の分析に利用されているようだ。このように、同所では、政策議論のベースとなり得る、データを用いた分析についても力を入れていることが見て取れる。

歴史と構造的視点からみた各国の情報を発信

ジェトロでは、世界各地に事務所を持ち、主に企業向けにタイムリーな情報提供をしている。海外展開を行う企業は、ジェトロからの情報提供を得てそのまま事業に活用するケースも多いだろう。

一方、アジア経済研究所の場合は、直接的、短期的な寄与というよりも、歴史的、構造的な視点から中長期的な途上国の変化を研究している。これをうまく生かすためには、同所側、企業側それぞれに工夫が求められる。この点においては、「きちんと必要な人に必要な形で届けていくことが課題」と村山氏は述べる。政府、企業だけでなく、NGOなどの市民団体や学校などにもアプローチしていく構想だ。

2022年1月27日には、世界銀行・朝日新聞社と共催で国際シンポジウム「サステナビリティと企業の社会的責任:SDGsを現実にするポスト(ウィズ)コロナの10年に向けて」を参加無料・オンライン形式で開催した。テーマは同所が2013年から先駆的に取り組んできた「ビジネスと人権」だ。

企業の取り組みと課題、サステナビリティを導く政策のあり方について、ポスト(ウィズ)コロナを見据えた議論がなされた。このようなオープンな形でのイベントによって、国民の関心を高め、問題解決に資する情報の提供をしていくことも同所の役割の1つとなるだろう。

米中対立、コロナ、環境問題など、海外の国々で起こるあらゆる問題を自分事として考えていく重要性が高まっている。今後、グローバル社会におけるプレゼンスがより高まっていくと思われる国々について知ること、その上で市場や人的資源を含めて経済面で協調していくことは日本経済にとって非常に重要だ。

このような時代において、新興国や途上国について深い基礎を持った研究を行い、資料を収集してきたアジア経済研究所が果たせる役割は、より大きくなっていくのではないだろうか。

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