物理学者だったメルケルはなぜ首相になった?その歩みと引退後の影響
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2021年12月8日、在任16年という長期政権を終えて、ドイツのアンゲラ・メルケル氏が政界から引退した。メルケル氏は、「世界で最も影響力のある女性」「EUの羅針盤」「危機の宰相」など数々の異名をとり、先進国でも数少ない女性首相として経済大国ドイツと世界を動かし続けた。その歩みを振り返る。

「ドイツの母」は理数系 同国初にして最年少の女性首相

旧東ドイツ出身、牧師の娘、物理学研究者という、一見政治とは無縁の世界にいたメルケル氏に転機が訪れたのは、ベルリンの壁が崩壊した1989年だった。勉学の傍ら、社会主義統一党傘下の青年団などに所属していた同氏は、もともと政治への関心が強かった。

民主主義という新しい潮流が押し寄せる最中に、東ドイツの自由民主主義政党「民主主義目覚めの党(Demokratischer Aufbruch)」が発足し、メルケル氏は、広報担当官として所属していた。民主主義目覚めの党は翌年、ドイツ社会同盟(DSU)とキリスト教民主同盟(CDU)と連立した。

東西ドイツ統一後CDUに入党し、1990年12月、初の総選挙で勝利を収めた。その後、凄まじい勢いでCDU政権の連邦環境相から党首へとキャリアの階段を駆け上がり、2005年11月にドイツ史上最年少にして初の女性首相として首相に就任した。

プーチン氏やトランプ氏にも怯まない度胸と外交スキル

メルケル氏が成し遂げた最大の功績は、その影響力を自国から欧州全域、そして世界へと拡大したことだろう。

同氏を「EUの羅針盤」の地位に押し上げるきっかけとなったのは、リーマンショックが引き金となった世界金融危機(2007~10年)と、ギリシャの債務問題に端を発し、ユーロ圏の金融システムを揺るがせた欧州債務危機(2009~12年)という2つの出来事だ。

「ユーロが崩壊すれば欧州も崩壊する」と確信していた同氏は、巨額の債務に苦しむ南欧州に緊縮政策を主導すると同時に、援助と融資を提供した。さらに、欧州中央銀行が大量の国債を買い入れ、ゼロ金利に移行する計画を支持するなど、大いに采配を振るった。

卓越した危機管理能力を発揮して欧州を難局から救出した手腕は、英国やフランスといった他の欧州主要国のみならず、世界中から高い評価を得た。また国内では、徴兵制度の廃止や同性結婚の容認、最低賃金の導入、産休制度の改善、脱原発など、国民の生活と安全の向上にも熱心に取り組んだ。

一筋縄ではいかないことで有名なプーチン露大統領や米前大統領のトランプ氏との会談でも、「対等にやり合う」度胸と外交スキルもずば抜けていた。

そのうえ、「政治的にも人間的にも全力を求められたが、常に充実していた」というメルケル氏自身の言葉通り、メルケル氏が自国と世界にために全力投球する姿は、ジェンダー不平等の壁に苦しむ世界中の女性を勇気づけた。米フォーブス誌は、女性の社会進出や活躍推進を象徴する存在として、2020年まで10年連続でメルケル氏を「世界で最も影響力がある女性100人」の首位に選んだ。

「寛大過ぎる難民受け入れ方針」で求心力喪失

ところが2015年の「欧州難民危機」を機に、一路順風に見えたメルケル首相のキャリアに暗雲が立ち込め始めた。受け入れ能力をはるかに上回る大量の難民が、中東やアフリカ、中央アジアから海峡を越えてEU諸国に殺到した結果、EU圏の社会・経済の安定が危機にさらされたのだ。

同年9月、メルケル氏はドイツで100万人を超える難民の受け入れを決定し、他のEU諸国にも受け入れ枠を拡大するよう促した。この決定が国の世論を分断しただけではなく、難民の受け入れに否定的なポーランドやオーストリア、ハンガリーといった中央欧州諸国との摩擦を生んだ。

一部からは、メルケル氏の「寛大過ぎる方針」に対し、「移民の波を助長し、大陸の政治を混乱させ、ポピュリストのナショナリスト党の台頭を煽った」「慎重派で知られる同氏が難民問題では慎重さを欠いている」などと批判する声が上がった。国内では受け入れた難民による犯罪の増加が問題視され、メルケル氏は徐々に求心力を失った。

メルケル氏が中道左派の社会民主党(SPD)と接戦の末に第4期を迎えた頃には、風向きが変わったことは誰の目にも明らかだった。そこへ新型コロナ政策の厳格な行動規制に対する反発や、反EU・ユーロを掲げる右派ポピュリスト政党AfD(ドイツのための選択肢)を含む他勢力の台頭などが加わった。

2021年3月のドイツ2州議会選では、同氏が率いる与党・キリスト教民主同盟(CDU)が惨敗した。9月の総選挙では、とうとう第1党の座をSPDに明け渡した。

特記すべきは、メルケル氏が退任直前まで高い支持率を維持していた点だ。米世論調査ギャラップの発表によると、2021年の時点で71%の支持率を得ており、ピュー研究所の調査では「国際的リーダー」として、トップの米バイデン大統領(76%)と微差の72%を獲得した。

しかし、政府が60%の支持率を維持する一方で、「生活にゆとりがない・苦しい(59%)」という国民の割合が、「ゆとりがある・成功している(40%)」の割合を、メルケル氏の就任以来、初めて上回った。大きな変化の兆しである。

新生ドイツ、対中姿勢強化の構え

メルケル氏に代わりドイツを引導するのは、ドイツ社会民主党(SPD)のオラフ・ショルツ氏だ。2021年12月8日に、SPD、環境政党の緑の党、中道リベラルの自由民主党(FDP)の3党による連立政権が発足した。

新政権は、「男女平等」「石炭火力発電所の廃止時期の前倒し」「最低賃金引き上げ」などの社会問題への取り組みを強化するなど、具体的な政策を打ち出している。

外交面で注目されているのは、中国との関係である。ドイツにとって最大の貿易相手国である中国に対して中立的立場を維持してきたメルケル政権から舵を切り、すでに人権問題に焦点を当て、台湾の国際機関への参加を支持するなど対中強硬に転じる構えだ。

「バチカンのないローマ、エッフェル塔のないパリ」

一つの時代が終わった。シャルル・ミシェルEU大統領は、「バチカンのないローマ、エッフェル塔のないパリのようなものだ」とメルケル氏の退任を惜しんだという。「羅針盤」を失ったEUと、「母」を失ったドイツ、そして「危機の宰相」を失った世界がどこへ向かうのか、今は未知のベールで包まれている。

文・アレン琴子(英国在住のフリーライター)

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