独占インタビュー|ビッサン・サルマン(Sawa Japan創設者)
わずか15歳という若さで人生の転機を迎えたというビッサン・サルマン氏。世界中から若いリーダーたちが集まるサミットに参加するために広島を訪れたことが、彼女にとっての転機となります。イスラエルの小さな町で育った彼女は、それまで日本とは無縁どころか、異文化や他の言語と接することはなく、まさかその後日本と深いつながりを持ち、在イスラエル日本大使館で働くことなど夢にも思っていませんでした。
今回ISRAERUウェブマガジンでは、ビッサン氏にインタビューを行い、異文化の橋渡し、キャリアそして人生の教訓についてお話を伺いました。
開眼:国際関係へのビッサン氏の情熱
「広島を訪れたことで、私の人生は大きく変わりました。」
世界中から若いリーダーたちが集まるサミットに参加するため、故郷イスラエルを離れ日本を訪れたビッサン氏は、新たな社会文化的な側面を知ることになります。わずか15歳の時でした。
「イスラエルで生まれ育った私は、イスラエルの政治や社会問題を中心に興味がありましたが、様々な背景を持つ人たちを話すことで、世界における社会問題に触れ合うこととなりました。」
新たに見つけた国際的視点や世界で働くことへの情熱を持ったビッサン氏は、学校に通いながらボランティア活動を開始します。
「ボランティア活動は無給でしたが、教育的ワークショップ、社会活動、コミュニティサービスといった、自分が情熱を持つ分野で経験を積み、仕事を得ることできました。この国際的機関での仕事を通じて、世界中の多くの国を訪れ、様々なワークショップや会議に参加する機会を得たのです。これが私の国際的キャリアの始まりです。」
そして高校を卒業した後、新たな挑戦として、生まれ育ったイスラエルのコミュニティを離れ、ユダヤ教の大学であるバル・イラン大学で政治学を専攻しました。そして世界中を旅したいという思いを旨に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院へ進学します。
イスラエルと日本の橋渡しになる
ロンドンからイスラエルへ帰国したビッサン氏は、イスラエルにある日本大使館で働く機会を手にします。彼女は自分の人生の転機となった国の大使館で働けることをとても喜び、イスラエルのアラブ人コミュニティの経済部門および政治部門と日本を繋ぐ架け橋としての役割を果たしていました。
日本大使館での仕事を通して、彼女は日本の専門家としての評判を築き、多くの企業や創業者は、日本市場への参入方法について彼女の意見を求めるようになりました。日本とイスラエルの両国の架け橋として話をする中で、大きなギャップがあることに気付くのです。
「ビジネスを難しくする要因として、文化的、言語的なギャップがあります。そして誰かがそれを埋めなくてはならないことに気づいたのです。」
そしてこのことがきっかけで、ビッサン氏は日本市場参入を目指すアラブ人起業家と日本を繋ぐ「Sawa Japan」を創設しました。「Sawa」とはアラビア語で「一緒に」を意味し、これは彼女のビジョンと完全に一致するものです。彼女はSawa Japanを通して、アラブ人と日本人の関係を育んでいきたいと考えています。
ビジネスで成功を収める女性としての助言
今回ISRAERUウェブマガジンでは、女性起業家そして実業家として成功を収めるビッサン氏に、ビジネスで成功したい女性に向けてアドバイスをお願いしました。
「あなたの専門知識と言葉を誰にも否定させないよう、一生懸命働くことが大切です。性差別などの社会問題により、女性が成功するのは難しく感じるかもしれませんが、知識を得るために経験を積み、決してあきらめないことです。」
また多くの女性が仕事をしながら持つ社会的責任と、生活のバランスの重要性について次のように述べています。
「女性は仕事とのバランスを取るのが非常に難しい、大きな社会的責任に直面しています。私はワーカホリックなので、仕事に没頭しすぎて私生活を忘れてしまうことがありますね。キャリアを築くことが重要ですが、体そして精神を労わることも重要です。」