企業が社会保険や労働保険に加入していないことで労働者とトラブルになるケースは多い。そもそも社会保険や労働保険の加入は、一定の条件に該当すれば必ず加入しなければならない企業の義務であり、企業が加入するかしないかを選べるものではない。社会保険と労働保険の概要や適用要件、加入を怠ることで発生する労使トラブルについて解説していく。
目次
社会保障と社会保険
最初に日本の社会保障制度における社会保険の役割を解説する。
日本の社会保障制度とは?
日本の社会保障制度は、日本国憲法第25条の生存権の保障を具体化するもので「社会保険」が中心的な役割を果たしている。「社会福祉」「公的扶助」「公衆衛生」は、「社会保険」を補足する形で発展してきた。誰にでも自立した生活が困難になるリスクはあるため、老後の生活費に対するリスクが社会問題となっているように将来の経済状況を予測することは誰にもできない。
国民が生活するうえで予測不能なリスクに対する保障が必要になるが、民間保険ですべてを対応するには限界があるだろう。予測不能なリスクに対応するために民間保険とは異なる方法により社会全体で支えようとする制度・仕組みが社会保障制度である。
社会保障と社会保険の関係
社会保障制度には、大きく分けて4つの分野がある。
社会保険で給付を受けるには、保険料を支払う必要がある。保険料を支払わなければ原則給付を受けることはできない。一方、「社会福祉」「公的扶助」「公衆衛生」は、税金を主な財源として給付を行う国や地方公共団体の施策であることに違いがある。社会保障は、生活するうえでのセーフティネットとして重要な役割を果たしているのだ。
狭義の意味での社会保険とは?
一般的に狭義の意味での社会保険は「医療保険」「年金保険」「介護保険」の3つ。一方で「雇用保険」「労災保険」の2つを「労働保険」と呼んでいる。広義の意味での社会保険は「医療保険」「年金保険」「介護保険」「雇用保険」「労働者災害補償保険(労災保険)」を合わせた公的制度の総称だ。
企業が従業員のために加入する社会保険と労働保険の概要
ここからは、狭義の意味で「医療保険」「年金保険」「介護保険」の3つを社会保険、「雇用保険」「労災保険」の2つを「労働保険」と定義し解説していく。
企業が従業員のために加入する社会保険
企業で働く従業員が加入する社会保険は「健康保険」「厚生年金保険」「介護保険」の3種類がある。
・1.健康保険
健康保険は、適用事業所で働く従業員(被保険者)とその家族(被扶養者)の業務外の傷病、出産、死亡などに対して給付する制度である。医療機関に被保険者証を提示して原則3割の一部負担金を支払うだけで治療が受けられる療養の給付、出産の際の出産育児一時金や出産手当金など給付される内容はさまざまだ。
一部負担金が高額となった場合に自己負担額が一定の限度(所得によって異なる)を超えると、その限度額を超えた部分の払い戻しが受けられる高額療養費制度なども押さえておきたい。中小企業は、全国健康保険協会(協会けんぽ)に加入することが多い。大企業は、独自に保険制度を運営する健康保険組合があることが多く、公務員や私立学校教職員などが加入する共済組合もある。
・2.厚生年金保険
厚生年金保険には、適用事業所で働く従業員(被保険者)が原則65歳以降に受給できる老齢厚生年金がある。また厚生年金保険へ加入している期間に初めて病院を受診した日(初診日)がある病気やけがにより一定の障害の状態になった場合は、障害厚生年金を受けることが可能だ。
さらに遺族厚生年金は、厚生年金保険加入中に被保険者が亡くなったり傷病が原因で初診日から5年以内に亡くなったりしたときに遺族が受け取ることができる。
・3.介護保険
介護保険は2000年に創設。要介護認定または要支援認定を受けた場合に介護サービスを受けることができる制度だ。被保険者の種類は「第1号被保険者」「第2号被保険者」に分けられる。第2号被保険者は、40歳以上65歳未満の健康保険に加入している者を指す。40歳になれば自動的に資格を取得し40歳になった月から健康保険の保険料とあわせて介護保険料が徴収される仕組みだ。
40~64歳までの間は、末期がんや脳血管疾患など加齢に伴う疾病(特定疾病)が原因で要介護・要支援認定を受けた場合に各種介護サービスが利用できる。一方で65歳以上の者は、第1号被保険者となる。65歳になった月以降、原則年金からの天引きで保険料が徴収され、原因を問わず自治体から要介護認定または要支援認定を受けることができれば各種介護サービスが利用可能だ。
企業が従業員のために加入する労働保険
労働保険には、「雇用保険」「労災保険」の2種類がある。
・1.雇用保険
雇用保険は、適用事業所で働く従業員(被保険者)が失業したり雇用の継続が困難になったりした場合に給付が受けられる制度だ。具体例としては、以下のようなものがある。
- 求職者給付:被保険者が離職し、失業によりその所得を喪失した場合に受けられる
- 就職促進給付:失業者の再就職を援助・促進する
- 教育訓練給付:労働者の能力開発を支援することで雇用の安定と再就職の促進を図る
- 雇用継続給付:労働者の職業生活の継続を援助・促進する
その他にも育児休業をしたときなどに受けられる給付も雇用保険の1つだ。労働者の生活や雇用を守って再就職を支援する制度が雇用保険制度といえるだろう。
・2.労災保険(労働者災害補償保険)
労災保険は、労働者が通勤や業務上の事由で「負傷」「疾病」「死亡」となった場合、被災した労働者やその家族を守るために必要な給付を行う制度である。一人でも労働者を使用する事業所は、業種の規模にかかわらず適用され、健康保険や雇用保険のように労働者一人ずつ加入する手続きをしなくても給付が受けられる仕組みだ。
原則として会社の社長や役員、個人事業主などの経営者は対象にならない。また労働者であればアルバイトやパートなどの雇用形態を問わず適用されるのが特徴だ。中小企業の経営者や一人親方などの個人事業主が加入できる特別加入制度もある。
企業が社会保険に加入していないことで起こるトラブル
社会保険や労働保険の加入を怠ることでトラブルが発生するケースが多く見られる。なぜなら社会保険や労働保険はセーフティネットの役割を果たしており、従業員は当然利用できるものと思っているからだ。
ペナルティーを受ける
・社会保険の罰則
年金事務所から繰り返し加入指導を受けているにもかかわらず手続きを行わない場合、年金事務所は事業主に対して必要に応じて立ち入り検査を実施することが可能だ。職権により遡って加入手続きを行って保険料額を決定することもある。
また職員の質問に対して虚偽の報告をした場合や検査を拒んだ場合は、6ヵ月以下の懲役、または50万円以下の罰金が科せられる可能性があるので注意したい(健康保険法第208条、厚生年金保険法第102条)。
・労働保険の罰則
事業主が故意または重大な過失により労働保険の手続きを行っておらず、その期間に労災事故が発生した場合は、会社にとって想定外の費用の負担を強いられかねない。労災保険の給付が行われれば遡って労働保険料と追徴金が徴収されるだけでなく、保険給付にかかった費用の全部または一部が徴収されてしまう。
その他のトラブル
・1.従業員の離職リスクが高い
健康保険や雇用保険に加入できる企業で働くことを希望するケースは多い。求人に応募する者の多くは、社会保険や労働保険に加入できる会社を前提に求職活動をしている。そのため社会保険や労働保険の加入義務を果たさない企業で長く働きたいと思う従業員は少ないだろう。社会保険や労働保険加入のニーズは高く、求人応募時の会社選びで「社会保険・労働保険加入」は大きなポイントとなる。
・2.退職時のトラブルが多い
健康保険に関するものでは、出産手当金や傷病手当金がもらえないことでトラブルになるケースが多い。出産手当金や傷病手当金は、退職日まで被保険者期間が継続して1年以上あり一定の条件を満たせば退職後ももらい続けることができる。しかし会社が社会保険の加入を怠り手当金をもらうことができなければ従業員にとって大きな損害を被ってしまう。
雇用保険の求職者給付も同様に被保険者期間が大きく影響する。離職理由が「会社都合か」「自己都合か」で基本手当の日数は異なり被保険者期間によっても基本手当の日数が異なるのが特徴だ。このようにそれぞれの給付は、被保険者期間が大きく影響することから会社が社会保険へ加入していなかった場合、退職後に従業員とトラブルになるケースは後を絶たない。
雇用保険では会社が手続きを怠るようなことがあれば、過去に遡って被保険者となったことの確認がなされることがある。
・3.業務委託契約や請負契約におけるトラブル
業務委託契約や請負契約で働く場合は、個人で国民年金や国民健康保険への加入することになる。ただし会社からの指示や指揮監督のもとで働き「従業員と同様の勤務実態がある」と判断された場合、その会社で社会保険や労働保険の加入が必要になる場合もある。働いている本人は、自分が労働者だと思っているケースもあり偽装請負などはもってのほかだ。
損害賠償を請求されるなど訴訟に発展することもあるため、注意しておきたい。
・4.助成金が受給できない
雇用調整助成金や特定求職者雇用開発助成金などの雇用関係の助成金は、労働保険料の滞納があると受給できない可能性がある。仮に助成金がもらえたとしても後日受給条件を満たさないことが発覚すれば返金を求められるため、注意しておきたい。
社会保険は法律で加入が義務付けている
社会保険と労働保険の加入条件のポイントを整理して見ていこう。
社会保険と労働保険の加入の条件
原則条件に合致すれば強制加入であり、企業が加入するしないを選べる制度ではない。そのため社会保険と労働保険の加入条件を理解したうえで確実に手続きを行うことが必要だ。
1.社会保険(健康保険・厚生年金保険)の加入条件
(1)正社員、法人代表者、法人役員
(2)1週間の所定労働日数と1ヵ月の所定労働日数が同じ事業所(会社)で同じような業務に従事する正社員の4分の3以上であるパート・アルバイト
健康保険・厚生年金保険が適用される事業所を「適用事業所」、加入要件を満たす従業員を「被保険者」と呼び上記の条件を満たす従業員は必ず加入しなければならない。手続きは、労働者を雇用する会社が行い保険料を納めることが必要だ。年金の受給権がある従業員でも加入要件を満たせば健康保険は75歳、厚生年金保険は70歳に達するまで加入できる。
また外国人や試用期間中の従業員でも加入要件を満たせば被保険者になる点も押さえておきたい。すべての法人の事業所や常時5人以上使用する個人の事業所(一部の事業所を除く)は「強制適用事業所」と呼ばれ厚生年金保険・健康保険へ加入しなければならない。また強制適用事業所以外の事業所でも一定の条件を満たせば社会保険に加入することができる(任意適用事業所)。
任意適用事業所の場合、健康保険・厚生年金保険のどちらか1つだけの加入も可能だ。厚生年金保険の被保険者数が常時501人以上の企業を「特定適用事業所」と呼ぶ。特定適用事業所で働く週の所定労働時間が20時間以上の短時間労働者については、健康保険と厚生年金保険の適用が拡大された。
また厚生年金保険の被保険者数が500人以下の企業は、労使の合意により申し出をすることで短時間労働者について社会保険の適用対象となることができる(任意特定適用事業所)。短時間労働者とは、以下のすべての要件を満たす従業員のことを指す。
- 週の所定労働時間が20時間以上
- 雇用期間が1年以上見込まれる
- 賃金の月額が8万8,000円以上
- 学生でない
厚生年金保険の被保険者数が常時501人以上とする「特定適用事業所」の要件が今後拡大されることが決まっている。2022年10月からの改正で変更される点は以下の通り。
その後、2024年10月からの改正では、特定適用事業所の適用要件が100人超から50人超へと変更される。そのためいずれは週20時間以上働く従業員がすべて強制加入となる可能性もあるだろう。
・2.労働保険(労災保険・雇用保険)の加入条件
労災保険と雇用保険では、保険に加入する「被保険者の範囲」が異なる。労災保険は、被保険者という概念がない。なぜならパートやアルバイトなどの短期間労働者も含むすべての労働者が対象となるからだ。一方で雇用保険の被保険者は、以下の要件をすべて満たす労働者が対象となる。
(1)1週間の所定労働時間が20時間以上
(2)31日以上の雇用が見込まれる
正社員・パート・アルバイト・派遣などの雇用形態にかかわらず労働者を一人でも雇えば労働保険の適用対象となる点は注意が必要だ。
- 社会保険:代表者1人の法人は、加入義務がある
- 労働保険:代表者1人の法人は、加入義務がない
上記のように社会保険では、代表者一人でも「強制適用事業所」となり加入の義務がある。一方、労働保険では、会社の役員や同居の親族は労働者とはならない。
まとめ
社会保険と労働保険の加入条件を理解し確実に手続きを行わなければならない。労使のトラブルは従業員が退職した後に起こることが多く、常日ごろから適切に手続きを行わなければ行政官庁から指導を受けるだけではなく訴訟問題にまで発展する可能もある。社会保険と労働保険は、法改正が多い分野であり経営者ならば今後も法改正の情報に注目しておきたい。