今日、世界中で絶大な人気を誇るフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。ポスト印象派を代表する画家として、ポール・ゴーガンやポール・セザンヌと並び、20世紀美術に影響を与えた人物として知られている。

しかし、今となっては誰もが知る画家・ゴッホだが、生前はその功績を知る者は少なく、無名のままこの世を去った。そんなゴッホの評価の立役者となった人物の一人が、世界最大のゴッホ作品の個人収集家、ヘレーネ・クレラー=ミュラーである。

9月18日に東京都美術館にて開幕した「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」では、ヘレーネのコレクションに焦点を当て、彼女が初代館長を務めたクレラー=ミュラー美術館のコレクションから、選りすぐりのファン・ゴッホの油彩画28点と素描・版画20点を紹介している。(TOP画像/フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年6月17-28日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

早速、本展の見どころをピックアップして紹介していきたい。

ゴッホを世に知らしめた立役者、ヘレーネの偉大な功績とは?
会場の入り口には、ヘレーネの生涯――とりわけゴッホがまだ評価の途上にあった1908年から1928年まで優れたコレクションを築き上げてきた功績がVTRで紹介されるとともに、およそ20年間のコレクションの変遷が記された年表が展示されている。

ヘレーネは海運業で財を成した夫アントンの支えのもと、1907年より美術収集をスタート。とりわけゴッホの芸術に魅了されたヘレーネは、ゴッホが描いた90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集、初期から晩年までの画業が辿れるよう体系的かつ随一のコレクションを築き上げた。

ヘレーネ・クレラー=ミュラー ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=ヘレーネ・クレラー=ミュラー ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

本展は、第1章「芸術に魅せられて:ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者」より始まる。こちらではオランダの画家、フローリス・フェルステルが描いたヘレーネの肖像画に注目したい。

ヘレーネは近現代美術の優れたコレクションを築いてきたが、それは自らが楽しむためだけのためではなく、後世への継承を意識してーー年月が経っても価値が変わらないもの、時を超えても普遍的な魅力をもつものを残す目的で、収集を行ってきたという。肖像画の中に描かれたヘレーネの凛とした姿からは、そんな意思の強さと一貫性が垣間見えるようだ。

ヘレーネの思いが形に。クレラー=ミュラー美術館に収蔵された珠玉のコレクション
続く第2章の「ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで」ではミレー、ルノワール、スーラなど、ヘレーネが収集した近現代美術の流れに焦点を当てることで、彼女がコレクターとして真摯に美術に向き合ってきた人となりと確かな足跡が、選び抜かれた一点一点の作品から浮かび上がってくるような内容だ。

ジョルジュ・スーラ 《ポール=アン=ベッサンの日曜日》1888年 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=ジョルジュ・スーラ 《ポール=アン=ベッサンの日曜日》1888年 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

中でもとくに注目したいのは、アンリ・ファンタン=ラトゥールの油彩画《静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)(1866年)。ファンタン=ラトゥールは、ロマン主義のドラクロワからの流れを汲み、静物と肖像の巨匠として知られる画家である。

ヘレーネもファンタン=ラトゥールの類まれな才能に注目し、この作品を大変気に入り、コレクションに加えた。またゴッホも当時、「今、生きている中で最も素晴らしい画家」と高く評価していたという。

この他にも、新印象派の画家として、ポール・シニャックとともに点描技法を発展させた人物、ジョルジュ・スーラの《ポール=アン=ベッサンの日曜日》(1888年)や、垂直水平の線と三原色、無彩色で描かれた《コンポジション》シリーズで知られる画家、ピート・モンドリアン《グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション》(1919)まで、西洋美術史に名が刻まれた重要な作家の作品が紹介されており、展覧会前半から見応えのある作品に出会うことができる。

ピート・モンドリアン 《グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション》 1919年 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=ピート・モンドリアン 《グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション》 1919年 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

素描(=デッサン)に没頭した、画家としてのキャリアのスタート
続く第3章「ファン・ゴッホを収集する」では、1880年、ゴッホが画家になる決意をしてから1890年の晩年に至るまでの創作活動の変遷を辿る。本章では、ゴッホの作風がおよそ10年間という短い時間の中でどのように変化し、いかに発展を遂げていったのか?ということが、時系列で見える内容になっている。

ゴッホの画家としてのキャリアの初期には、エッテンで田園風景や近くの農夫たちを素材に素描(=デッサン)を描くことから始まった。それまでは画商や教師、牧師など様々な職を転々していたゴッホだが、27歳で画家になる決意をしてからは「絵を描くためには、まずは素描に習熟する必要がある」と考え、尊敬するミレーの作品の版画や素描見本に倣い、熱心に模写に取り組んだ。

こちらのセクションでは、そんなゴッホが初期に描いた貴重な素描を多数目にすることができる。

ゴッホには「素描をすることは種まきで、油彩を描くことは収穫することなんだ」と語っていたというエピソードがある。

この言葉はまるで、自らの画家としての始まりを種まきにたとえ、いつか迎えるであろう豊かな実りの時を夢見ていた、ゴッホその人の人生とも重なるようだ。

幼い頃より生まれ故郷のオランダの田園風景に親しみ、自然を心から愛していたゴッホがとりわけ好んだのは「収穫」のモチーフだったと言われている。種まきから始まる穀物の成長の最終段階であり、生命そのものと四季の移ろいを象徴する収穫は画家・ゴッホにとって、大変重要な意味を持っていたのだ。

なお、ゴッホは、キャリアのスタートからおよそ3年間の間に、殆ど素描しか描くことはなかったという。

本セクション「素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代」では、後半に向かうにつれ筆致に力強さが宿り、とりわけ人物描写のデッサンが冴えわたってくる様子がはっきりと窺える。こちらでは、ゴッホが画家として着実かつ飛躍的に画力を向上させていった痕跡が見えてくる点も見逃せない。

重厚感と力強さが特徴の「油彩」も見応え十分!
続く「画家ファン・ゴッホ、オランダ時代」では、ハーグやニューネンに身を置き、油彩に着手した時期の作品を目にすることができる。

ゴッホが油彩の手本としたのは、バルビゾン派やハーグ派の画家たち。彼らに倣って、暗い色調の絵を描き始めるようになる。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《森のはずれ》 1883年8-9月 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=フィンセント・ファン・ゴッホ 《森のはずれ》 1883年8-9月 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

また、この頃モチーフとしたものは農夫や農作物、鳥の巣と、いずれも農業に関わるものが多いことがわかる。こうしたことからも、ゴッホがいかに農業に従事する人々を敬愛し、大地に育つ作物を大切に思っていたか?ということが、改めて見えてくる。

油彩の特徴を生かした厚塗りと暗い色調の色彩が重厚感を感じさせる作品群は、作物が大地に力強く根を張るようなイメージを想起させる。《ひまわり》や《種まく人》など、黄色い色調で一目見ればゴッホの作品とわかるものとはまた違った、味わい深い魅力がそこにある。画家・ゴッホの新たな側面を知る意味でも、ぜひチェクしたい。

明るい色彩とジャポニズムに魅せられた、フランス・パリ時代
「画家ファン・ゴッホ、フランス時代」の「パリ」のセクションでは、1886年に画商として働く弟・テオを頼ってパリへと移ってから、1887年までのおよそ2年間、パリ滞在期間の間に制作された作品が紹介されている。

この頃のゴッホは、クロード・モネやルノワールなどの印象派やジョルジュ・スーラなどが台頭していた新印象派の画風を取り入れるように。オランダ時代の油彩とは一変して、明るい色調を表し始めるようになる。またそれとともに、これまでの力強い線とは異なり、画の中に繊細に筆を置いていくような「点描」に近いタッチの技法を展開させていったという点も顕著である。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《レストランの内部》 1887年夏 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=フィンセント・ファン・ゴッホ 《レストランの内部》 1887年夏 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

さらにそれらに加え、パリではゴッホにとって、もう一つの大きな転機が待っていた。

それが「浮世絵」、そして東方の異国の地、日本との出会いである。当時のパリといえば、1867年のパリ万博で日本文化が紹介されたことによって、街は「ジャポニズム(あるいは、ジャポネズリー)」のブームに湧いていた。そうした背景もあって、ゴッホは自らも熱心に浮世絵を収集するようになり、次第に日本に憧れを抱くようになる。

こちらでは、ゴッホが浮世絵から影響を受けて描いたとされる作品、《草地》(1887年)も必見の内容だ。

ゴッホが愛した色彩にたどり着いた南仏、そして「糸杉」との出会い
フランス・パリ時代のセクションに続いては、《黄色い家(通り)》(1888)をはじめ、アムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館のコレクションから特別出品された、貴重な4作品を目にすることができる。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《黄色い家(通り)》1888年9月 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)
(画像=フィンセント・ファン・ゴッホ 《黄色い家(通り)》1888年9月 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵 ©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation))

ゴッホが画家として評価されるようになったのは没後のことであったが、ヘレーネ・クレラー=ミュラーとともに、その名を世に知らしめる立役者となった重要人物が、他にも複数存在していたことを、ここで追記しておかなければならない。ゴッホ最大の理解者であった弟・テオとその妻・ヨー、そして息子フィンセント・ウィレムである。最終的にはフィンセント・ウィレムがフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、その作品群はファン・ゴッホ美術館に収蔵されることになった。

パリで日本に憧れを抱き、「日が昇る国」という理想郷を求めて、明るい太陽が光り輝く南仏・アルルの地を目指したゴッホ。アルルに到着して見つけた黄色い家は、仲間の画家たちと共同生活を営みながら創作活動をスタートさせるための、最初の拠点となった場所である。

結局そこにやってきたのはポール・ゴーガンだけだったが、明るい光を求め希望を胸に抱いてこの地にやってきたゴッホにとって、黄色い家は新たな旅立ちの場となったことは間違いない。それは画の中に表された明るい色調がよく物語っているようだ。

展覧会のラストでは、ゴッホにとって晩年とくに魅せられた色であり《ひまわり》(本展未出品)、《種まく人》などでもその色彩感覚が冴えわたる、黄色を多用した円熟味溢れる作品を数多く目にすることができる。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年6月17-28日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年6月17-28日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

黄色は、収穫や実りの時を想起させるとともに太陽を表す、ゴッホが最後にたどり着いた、究極の色。暗い色調から始まり、印象派の絵画からの影響を受けてパリ時代以降は明るい色彩に変化したが、中でもこの色ほど、ゴッホの心象風景をはっきりと映し出す色はなかったのではないだろうか。

そして最後には、本展のハイライト、16年ぶりの来日となる〈糸杉〉の傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年)を目にすることができる。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》 1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands
(画像=フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》 1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands)

本作に描かれた糸杉は「〈ひまわり〉のような作品にしたい」とゴッホが望み、濃い緑色の糸杉の色調に心奪われて晩年、本格的に取り組んだモチーフである。

もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。ひまわりの絵のように何とかものにしてみたいと思う。これまで誰も、糸杉を僕のように描いたことがないのが驚きだ。その輪郭や比率などはエジプトのオベリスクのように美しい。それに緑色のすばらしさは格別だ -1889年6月25日、弟テオへの手紙(サン=レミにて)
(〜ファン・ゴッホの手紙【新装版】より〜)

弟テオへの手紙では、糸杉に感銘を受けてこのように表現していたゴッホ。色彩、モチーフ、全体の構図と、ゴッホが求めていた全ての要素が美しく調和した、南仏滞在の最後に制作されたプロヴァンスの集大成とも言える作品を、ぜひこの機会にじっくり鑑賞していただきたい。

展覧会情報
ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

展覧会 公式サイト:https://gogh-2021.jp
会場:東京都美術館 企画展示室 https://www.tobikan.jp
会期:2021年9月18日(土)~12月12日(日)
時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
休室日:月曜日 ※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
※日時指定予約制。詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。
※ 新型コロナウイルス感染防止に伴う政府・東京都の方針により、営業時間・会期は前後する可能性がございます。

取材・文/ 小池タカエ