アメリカヤコーポレーションは、主に北関東エリアで「かつや」や「からやま」、「ペッパーランチ」や「牛角」など、10業態で52店舗を運営するメガフランチャイジーだ。新型コロナウイルスの影響も多分に受けている飲食業界で、同社は独自の人材育成に注力することで、より強固な組織を目指そうとしている。昨年の6月に代表取締役会長に就任した福田大作氏に、自社の取り組み、フランチャイジーとしての考えを聞いた。

(※2021年6月号「メガフランチャイジーの経営哲学VOL.12」より)

福田大作会長(46)
(画像=福田大作会長(46))
福田大作会長(46)
福田大作会長(46)
ふくだ・だいさく
1974年11月、栃木県栃木市生まれ。4歳の時に父親が群馬県館林市に「アメリカヤ靴店」を開業。城西大学を卒業後、靴の販売を3年間経験する。2000年に実家へ戻り、靴の販売を半年間経験。その後は同社のフランチャイズ事業参入とともに、牛角の店長職などを歴任。以降も複数業種の店長職を担当し、2004年に常務取締役就任。2010年に代表取締役社長、2020年に代表取締役会長に就任し、現在に至る。

アメリカヤコーポレーションのルーツは、1979年まで遡る。福田会長の父親である高明氏(現:取締役相談役)が創業した靴の販売店「アメリカヤ靴店」が原点である。その後事業の多角化を目的に1997年に設立されたのがのが同社。小売業から飲食事業への参入組である

―元々靴の販売から始まっていると伺いましたが、靴の販売で「アメリカヤ」と言えば、全国展開された新宿の「アメリカヤ靴店」さんと関係があるのですか。

福田 実は私の祖父が新宿で靴屋をやっていた時に、アメリカヤ靴店の創業者である宮崎伊助さんと同じ靴の組合に入っていたのです。その後祖父は戦争の影響で栃木県に疎開し、そこで靴屋を興したのです。資本的な関係はありませんが、そういった流れもあったので「アメリカヤ」という名前が残っています。靴屋については創業した際の店舗と群馬県館林の商業施設の中でそれぞれ1店舗ずつやっていた時期がありました。

―結果的に靴屋の事業は18年間行われたと思いますが、別会社として御社を設立するきっかけは何だったのですか。

福田 当社は問屋さんから靴を仕入れてそれを販売していたのですが、そのビジネスモデルの将来性に対して少し不安を覚えていたのです。というのは、当時の靴屋は商品を発注すると次の納品が半年後とかがザラにありました。他方でユニクロさんのような商品サイクルや企画力、また製造直売で粗利が取れるような業態が出てきた。そういうことで新たな事業を模索していたのですが、靴屋で入店していた商業施設の近隣店を見た父が、飲食店の坪売上が非常にいいということで飲食に興味を持ったのです。また実際に、身近にコンビニやファストフードで成功されて店舗を増やされているオーナーさんもいらっしゃったので、自然と

「FC」というビジネスと、「飲食」というようにキーワードを作って機会を探っていくようになりました。

▲会社の原点となった「アメリカヤ靴店」
(画像=▲会社の原点となった「アメリカヤ靴店」)

―2000年にフランチャイズ事業をスタートしますが、最初に加盟をしたのは「牛角」でした。

福田 当時、牛角はまだ90店舗くらいの時期で、それまで牛角は駅近の二等立地に出店していました。そんな時、埼玉県の越谷市でロードサイドのお店が一つ出たのです。そこがとても良いということで父の知人から話が来て、私の弟(現:社長)が実際に行ってみたらすごくいいよと言いまして。牛角についてはすぐに意思決定をして進め、館林に1号店を開きました。当時は近隣の方たちも見に来られたりして、売上も順調に伸びていき、その3カ月後には足利市にもう1店出店しました。

―小売業から飲食業への参入なので、慣れなくて大変な部分もあったのでは。

福田 靴のような物販は置いてあるものを接客して販売しますが、飲食は注文を受けてから作るので、その点は私も入った当初はかなり目が回るような状況でした。また高い売上に対してのオペレーション負担もありました。たとえば500万円の売上が1000万円になると、調理工程も倍になるわけです。だから厨房の人がもし同じ人数だとすると、やることが倍になるのでそういう部分は大変でしたが、一方で牛角は一つ一つの工程についてはとても上手くパッケージされていて、お肉もカットされたものが納品されてくる。そういった点ではある程度トレーニングすればすぐにオペレーションに入っていけるので、トータルすると良くパッケージされたブランドだと思います。

▲初の加盟ブランドである「牛角」
(画像=▲初の加盟ブランドである「牛角」)

牛角の出店を成功させた同社では、この成功を弾みにしてさらなる出店を行っていく。2003年には郊外型ショッピングセンターへの出店をいち早く考え、フードコートで「ペッパーランチ」をオープン。その後も順調に出店を続け、FC事業開始からちょうど10年で20店舗を達成する。

―福田会長が社長に就任した2010年には、20店舗を出店するまでになっています。その後もフードブランドで新規出店をしていくことになりますが、ブランドの選定基準は何になるのでしょうか。

福田 ブランドの選定基準としては、大きく3つの要素を踏まえて考えています。まずは、「自分で試してみていいと思える商品がある」ということ。お客様の立場で「この商品いいな」と興味を持ってもらえるかをすごく注意して見ています。2003年に出店したペッパーランチも、加盟を検討していた時に実際に本社へ行き、一瀬邦夫社長の作ったペッパーライスを食べさせてもらったのですが、それがとても美味しくて。やはりお客様がお金を払って食べていただいて、初めて売上が立つわけですから。

また2点目は、「本部の社長の想いに共感できる」」ということ。これは実際の現場のお話だったり具体的なお話を通じて、「あ、なるほど」と思うのか、「ん?ちょっとずれているな」と思うのか、そういう感覚で代表の方がどういう考えでこの商品を作って展開されているのかを気を付けて見ています。

―ビジネスモデルについての選定基準はありますか。

福田 それが3つ目の基準になるのですが、「効果的な店舗オペレーション」というのが挙げられます。たとえばお客様として行った時に商品も美味しくて売上も上がっているんだけど、メニュー数が多かったり従業員さんの工数がすごく多いとなった場合は、ちょっと気を付けながら見ています。生産性と商品価値のバランスということになると思いますが、この点を実際に加盟前に店舗へ伺い確認させてもらっています。

―業態によって出店立地や店舗面積の規模が大きく変わっていくと思いますが、御社が新規参入を考える際に、目安としている売上や投資回収までの期間はどの程度のものになりますか。

福田 売上に関しては月商500万円以上というのが基準になると思います。というのも、社員を配置して通常営業を成立させようとなると、やはりこれぐらいの売上が必要になりますから。また投資回収の目安は、路面店の場合は5年〜7年ほどの基準で考えています。商業施設の場合は6年の定期借家契約が多いので、しっかり2年〜3年で回収できるようなブランドで検討するようにしています。

後編では、コロナ禍に生き残るために必要なことをご紹介