国内カー用品販売2位のイエローハットが、首位オートバックスセブンとの差を着実に縮めてきている。同社の堀江康生氏が4代目社長に着任した当時、1695億円の差があった両社の売上高は、昨年3月末時点で803億円まで圧縮。さらに営業利益や店舗数に関しては2015年に逆転し、年を追うごとに本部としての足腰を強固なものとしてきている。会社の再建を見事成功させた〝堀江流〞経営術を聞いた。

(※2021年6月号「Top Interview」より)

堀江 康生 社長(69)
(画像=堀江 康生 社長(69))
市村 均弥
堀江 康生 社長(69)ほりえ・やすお
1952年1月生まれ、京都市出身。74年に京都工芸繊維大学を卒業後、76年に(株)ローヤル(現:(株)イエローハット)に入社。名古屋支店、仙台営業所、本社勤務を経て、97年6月に取締役営業管理部長に就任。その後、01年6月に常務取締役常務執行役員、08年に代表取締役社長に就任し、現在に至る。趣味はねこグッズ収集、料理、スクラップブッキングなど多岐にわたる。

イエローハットは1961年に創業。同社は昭和30年代のモータリゼーションを背景に、流通経路や販売形態が確立されていなかったカー用品市場に着目し、急成長を遂げてきた。しかし2000年目前から、市場はレッドオーシャンに。同社の経営状況も不振に陥り、08年3月期には初となる34億円の最終赤字を計上。さらに同年9月にはリーマン・ショックが発生し、一気に窮地に立たされる。そんな状況下で経営のバトンを受け取ったのが、堀江社長だった。

広告宣伝による知名度向上と 加盟店オーナーへの指導を強化

――社長就任時は世の中も社内も混乱していたと思います。どこから手をつけていきましたか。

堀江 まずは広告宣伝を打ち始めることからスタートしました。それまで当社は、一切広告宣伝をしてきませんでした。当時オートバックスさんはバンバン宣伝していましたが、うちは後発だったのにも関わらず広告宣伝しないもんだから、お客さんの数も少なく、知名度もありませんでした。変な言い方ですが、当時は「広告宣伝までして来てもらわんでもええ」という、変な考え方が社内にありました。それでもその頃はカー用品が何でも売れた時代だったから、何とかなった。

しかしそんな時代は既に終わっているわけです。だから本部のお金で新聞や雑誌広告を打ち、テレビ宣伝もしました。ラジオのショーアップナイターのスポンサーもやりましたし、鹿島アントラーズに関しては1993年以来ずっとスポンサードをしており、今はユニフォームの背中にロゴマークを入れています。とにかく費用をバンバカ使って色々やりました。そうすることで徐々に客数が増えていって、売上も上がっていきました。

――加盟店オーナーたちも喜んで、モチベーションの向上にもつながったんじゃないんですか。

堀江 喜んでもらったけど、ただそれだけじゃダメで、加盟店の指導も強化しました。うちはボランタリーチェーンだけど、だんだん時代が変わってきて、もっと強烈な指導をしないと生き残れないな、と。当社はお金を取らないという点でボランタリーチェーンですが、一方でボランタリーチェーンだとぬるくて勝手放題されてしまう部分もある。勝手放題して上手くいく時はいいんだけど、競争がだんだん厳しくなってきたから、やはり「こうしましょうよ」「こうしなくちゃダメだ」というように、強く指導をしていきました。

▲ブランドの知名度を高めることから開始した
(画像=▲ブランドの知名度を高めることから開始した)

――それまで指導がなかったところにそれを行うとなると、加盟店からの反発もあったのではないですか。

堀江 「言うことを聞け!」と言ったとしても、それでは話を聞いてくれない。言うことを聞かす方法は、儲けさせることです。イエローハットはロイヤリティもないですし、加盟金も保証金もない。挙句の果てには広告宣伝費もタダです。ですから基本的に儲かります。オーナーも「儲けていたらしゃーないな」と話を聞くようになるんだったら、儲かるように一生懸命してあげないといけない。今では大体の方が言うことを聞いてくれるようになりました。

――むしろそこまでやるなら、いっそフランチャイズにしようとは思わなかったのですか。

堀江 FCにするとロイヤリティを取らなければならない。お金を取れば加盟店の収益は当然悪くなる。だからそういうことをしないでおこうというのが僕の考え方。それよりも加盟店が健全な経営になってどんどん出店をしてもらった方が、うちの利益になる。目先の利益はないけど、後回しで利益が出てくる。相手から搾取をして儲けるのではなく、搾取せずに儲けるようにする。そういうやり方で我慢しながらやってきて、やっと今の形になったのです。

――しっかり本部の指導に倣っていれば、自然と儲かる――。好循環な仕組みを作り上げた一方で、日々刻々と変化するカー用品市場の変化にも対応していかなければならない。カー用品の市場規模は、3兆円以上を記録していた20年以上前と比べると、現在は2兆円を切るなど斜陽化が止まらない。市場でのシェア拡大を行うため、堀江社長は改めて事業の選択と集中を行っていった。

市場縮小の中、毎年2〜3%の売上増 車検などのサービス事業が寄与

――堀江社長が社長に就任する以前は、介護事業など異業種で多角的に経営されていました。結果的に撤退することになりましたが、やはり本業に集中するということだったのですか。

堀江 餅は餅屋で、知識も情熱もないのに新規事業に参入してしまったのがダメだった。当時は「これからは介護の時代だ」と思ったのかもしれませんが、そこには当然競争相手もいっぱい入ってくるわけです。レッドオーシャンっていうやつですが、そこには色んなあの手この手の戦いがあるわけで、結構しんどい。ただ一方で、「沈んでいく方のブルーオーシャン」、つまりカー用品については誰も見向きもしませんでした。実際もう10年以上、新規参入が実質ありませんから。ということは、頑張れば儲かるのです。競争相手のチェーンも全然出店しませんし、古くからあるタイヤショップも今はバンバン閉店しています。車のディーラーさんももうカー用品はやっていませんし、卸先のホームセンターもカー用品の売上構成比率が2%弱まで減少してきていると言われていますから。

――市場が萎んでいく中では、カー用品一本だけではなかなか成長できないのではないのでしょうか。

堀江 市場は毎年数%くらいずつ萎んでいますが、うちは軽板金やボディコーティング、車検やハブの防錆といったカー用品の販売とは別のものをどんどん増やしてプラスアルファし、トータルで毎年2〜3%売上を伸ばしています。実は車検を本格的に始めたのも私が社長になってからで、それまではほとんどやっていませんでした。ですから最初の頃は加盟店に車検をやりましょうといってもやりたくないという人も多かった。ただそれだと業績が悪くなるからということで、当社から加盟店に乗り込んでいってその意識を変えていったのです。おかげで最近はだいぶ車検も増えてきましたよ。昨年の10月には神奈川県で民間車検工場を営んでいた「溝ノ口自動車」さんを子会社化しましたが、こうした高い整備技術とノウハウを持つ会社と組んで、さらにサービスを拡充していきたいと思っています

▲サービス系の品目を増やして売上をUP
(画像=▲サービス系の品目を増やして売上をUP)

イエローハットのレギュラー店の売り場面積は100坪、プラスタイヤを置くスペースが30坪〜40坪、ピットや事務所を含めた建坪で200坪ほどとなり、総敷地面積は500〜600坪だ。一方、「オートバックス」は大型店の総敷地面積が1000坪超。店舗の規模が違う上、出店立地についても同社は小商圏で多店舗化をするのに対し、オートバックスは都市部の街道沿いに大型店を出店するなど、2社の出店戦略は大きく異なる

商品数が減少し進む小型店化 従来の小規模・居抜き出店が追い風に

――カー用品の売上シェアが年々減少しているわけですが、そうなると店舗の形態も変わってくると思います。

堀江 当社は以前より小商圏でそこまで大きな店舗を出店してきませんでしたが、それでも大きすぎる。もう売場は100坪くらいでいいんじゃないかと思っています。昔は車の屋根の上に置くルーフボックスだったり、タコメーター、ホーンやステッカーなんかもありましたが、それらはみんな売れなくなって無くなってしまった。ハンドルなんかもいっぱいありましたが、今はエアバックがあるのでハンドル交換もできませんし、車のスペアキーもスマートキーになってしまって作れません。このようにカー用品の商品数が減っているのに250坪や300坪の売場にしていたら、店の中がガラガラになるし、賃料にも見合わない。大型店はもうダメ、時代遅れなんです。

▲商品数に見合った売り場づくり
(画像=▲商品数に見合った売り場づくり)

――小商圏で小型店を中心に出店してきた御社にとっては、結果的に良い流れになっていると思います。出店の方法は居抜き物件を活用するケースが多いと思いますが、今後も方針は変わらないですか。

堀江 今は特に、更地から新店を建てるのは無理でしょう。なぜなら前々期と前期は、東京オリンピック・パラリンピック絡みで建物の建築費が高騰していたからです。前は1億円だった工事費が今では1億6000万円もかかります。しかし居抜き物件だったら、元々2000万円かかるものだったとしても1・5倍になったら3000万円。差額はわずか1000万円ですから。

業界1位追撃のカギは…
(後編につづく)