【特集|withコロナ時代 変わるビジネス】生き残る組織
(画像=GLOBIS知見録)

withコロナ時代、ビジネスはどのように変わるのでしょうか。テーマごとにグロービス経営大学院の教員がオピニオンを紹介します。本記事のテーマは、組織のあり方です。

ブラック・スワン再び
筆者:高岡明日香(グロービス経営大学院 教員)

まさに「ブラック・スワン」の再来だ。リーマンショックを予言したとされるナシーム・ニコラス・タレブ氏の著書「The Black Swan(邦題:ブラック・スワン)」。この機に改めて手に取った人も多いかもしれない。エッジの効いた内容から激しい論争が起きたのは記憶に新しいが、再読するとそのまま今のコロナショックを思い起こさせる記述に改めて感銘を受ける。もっとも、タレブ氏の言を煎じ詰めれば、「予測しても無駄」と言えよう。

予測が無駄――なるほど、コロナ危機の終わりはなかなか見えない。しかし、人類はこれまで、何度もパンデミックを経験してきた。チューリヒ大学の経済・金融史専門家、ハンスヨアヒム・フォート教授は独誌とのインタビューで、「イングランドにおける1350年ごろのペスト大流行で人口の3分の1が失われ、結果として生き残った農民は追加の耕地をほとんど贈られるような形で確保できた。ポリッジを食べていた人がローストビーフを食べ、革靴を履けるようになった」と述べている。ペストによって、誰も予測できなかった非連続の経済発展が実現された格好だ。

翻って今のコロナ危機を考えると、リーマンショックや戦争と異なり、金融を含めた基幹インフラはさほど痛んでいない。治療薬やワクチンが開発されれば、経済の回復は速やかとの見方もある。寧ろコロナショックがもたらすものは、予測不能の社会構造、組織構造の大転換ではないか。つまり、これまで萌芽の兆しがありつつも大波には至らなかった旧態依然とした働き方、組織構造、組織文化こそが大きく不可逆的に変わる環境が整いつつあるのではないか。

非効率な長時間労働、形式主義、過度な階層組織、曖昧な職務や評価に基づくメンバーシップ型組織、同質的な組織といったものは、これを機に淘汰されるかもしれない。一方、よりフラットな(階層の少ない)自律型組織、規則や同調圧力でなく理念共有や共感でつながる組織、個人化を活かせる組織、多様性を尊ぶ組織文化、そしてリモート環境でもメンバーが慕いネットワークが集中する一握りのリーダーが生き残るだろう。withコロナ時代に訪れる大きな転換を期待している。

オープンな組織が生き残る
筆者:堤 崇士(グロービス経営大学院 教員)

新型コロナウィルスの到来を予測していたAIはあったのだろうか。今回のパンデミックは、人間が自然界の一部であり、不連続の社会に生きていることを実感させる出来事である。このような状況で重要となる組織文化や組織の仕組みとはどのようなものだろうか。現時点で言えることは「変化に適応できる」組織が生き残るということだ。

コロナの到来によって、これまで当たり前であった世の中の「制度」が変わろうとしている。制度とは、「何者かによって意図的に設計されたものではなく、環境や社会の変化に応じて新しい仕組みが発見され、より望ましい仕組みが残ってきたという適応的進化のプロセス(青木昌彦, & 奥野正寬, 1997)」であるという。だとすると、いまは、コロナがもたらした大きな変化に適応すべく、試行錯誤を重ねながら制度が再構築されている時期だといえる。

社会の制度が変われば、組織もこの変化に適応する必要がある。だが、これは簡単ではない。なぜなら、組織には「経路依存性」があるからだ。経路依存性とは、過去の経緯や決断により制度や仕組みが拘束されることを言う。経路依存性は、組織文化の形成に大きな影響を与える。組織に属する人々は、過去の経緯や決断に影響を受けながら、その組織にとっての「常識」、つまり組織文化を作っていく。厄介なのは、これが無意識に行われるという点だ。A社の常識は、A社の社員にとっては当たり前のもので、存在にすら気づかない。気づかないものを変えることはできない。だからこそ、組織が変わることは難しいのだ。

ではどうすれば、無意識となった組織の常識を明らかにし、経路依存から抜け出すことができるのか。組織をオープンにすることを提案したい。外部と積極的にふれあい、情報交換するのだ。機密情報など難しい部分もあるが、他者と接することで、自身の組織の常識に気づくことができる。これまでの常識が通用しないと感じることもあるだろう。これが、変化への対応を可能にするきっかけとなる。

今こそ、「当たり前のこと」を当たり前にやってみる
筆者:河野英太郎(グロービス経営大学員 教員)

「この会社の習慣、おかしくない?」
「なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう……」

組織に所属していると、思わずこんなセリフを口にした経験、ありませんか?
例えば、こんな時に。

  • 中身のない会議に、発言機会もないのに会議出席を強要される
  • 電子的に処理できるのに、なぜか印刷した捺印原本を送付しなければならない
  • 電話で済むのに、商談のために先方オフィスに呼び出される
  • 上司の無意味な指示に、ただ「はい」と言って従う

等々枚挙にいとまがありません。

こういう時に、正しくあろうとして”戦う”と疲れるばかりですよね。
正しい姿を実現するために必要となる時間も労力も、そして心労も尋常な量ではないです。だから、ここで「ま、命を取られるわけじゃないから”戦う”必要はないか」と考えて、流されるのが「賢いヒト」だったりします。

こうして、コトナカレ組織文化は形成されていきます。しかし、今般の史上稀に見る「禍」によって「命を取られるかもしれない」事態に全てのヒトが直面しました。密室に密集した会議や、密接を避けられない移動を強要された時スイッチが入ります。「コトナカレ」では自分や自分の大切なヒトの命を危険に晒すのですから。

「発言機会がないんだから、その会議には出席しなくていいですよね?そもそもその会議必要ですか?」
「オンラインでできる商談なんだから、わざわざ時間と費用と体力を使って移動する必要はありません」
「同じものを印刷するんだから、受け取ったお客様で印刷してください」

こんな言葉を年次や取引関係、職位に関係なく、相手に一切の忖度せずコメントできた人も多いのではないでしょうか。「命を取られるかもしれない」状況になると本来やるべきことができるわけです。

ここで、かのスティーブ・ジョブズの有名なスタンフォード大学卒業式のスピーチの一節を思い浮かべるヒトも多いと思います。

“If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.(「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」その問いに「しないだろう」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなきゃならないってことだ)

この禍の季節の中でさえ、あなたは○○部長の、明らかに思考停止した指示に「はい」と言って従いますか?

……

ところで、筆者が太字にした上記のセリフ。この部分だけを今一度読んでみください。至極当たり前のことを言っているのに、お気づきになったのではないでしょうか。

そう、当たり前なんです。

当たり前のことが今までよりも少しだけ、通じるようになった瞬間なんです。これだけの禍を経験しているのです。我々はそこから学ばなければなりません。ゆめゆめ「いっときの嵐をやり過ごしたら、また元のカタチに後戻り」などということがあってはならないのです。それほどの代償を我々は、現在進行形で払っているのです。

あなたはどう行動しますか。

(執筆者:高岡 明日香・河野 英太郎・堤 崇士)GLOBIS知見録はこちら