(本記事は、吉田 尚記氏の著書『元コミュ障アナウンサーが考案した 会話がしんどい人のための話し方・聞き方の教科書』=アスコム、2020年8月22日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
Q マウントを取りたくなったらどうすればいい?
A 自分ができることを「貢献ポイント」にする
「私、すごいでしょ!」を貢献に変えればいい
吉田:マウントを取りたくなるのは自然なことだということなんですが、自分には本当に必要なのか、実はいらないんじゃないか……。捨てる方法があるのか、捨てなくてもいいのか……。個人的な質問ですが、向後先生はマウント取りたいですか?
向後:取りたくないです。だって、疲れるよね。常に勝たなきゃいけないんですから。マウントを取りたがる人はよくやってるな、と思います。
吉田:昔からそうでしたか?
向後:20代前半の頃は、やっていたかもしれないね。やはり、若い時期は、パートナーを得るためにまわりに勝たなければいけないですから。だから今はもう、する必要がないんですよ。このあたりは、年齢と関係あるんでしょう。
吉田:最近は、ある程度年齢を重ねても結婚しない人もいます。そういう人が、「何くそ!」と思うパワーを何かに振り向けること自体は間違っていないですか?
向後:間違っていないです。
吉田:そうか……ならば、マウントを取りたがることとコミュニケーションの話は、切り離していいということになりますね。マウントを取りたいという気持ちを、捨てる必要はなさそうですよね。
向後:はい、ありませんね。うまく使えればいい。
サロン参加者:吉田さんがよくラジオで「古参ぶりたい」という話をしているけれど、それは結局マウントの話と同じことですか?
吉田:そうそう、そうなんです。私の方が早く見つけた、古くからのファンなんだぜ、初回から生で見ているぜ、みたいなアピール。そして、そういう自分が問題だと思っています。
向後:それは新興宗教などの社会と同じですね。教祖様は不動だけど、彼を信じて下に付いている人たちは、その中でポジション争いを始めるんです。
これもマウントの一種といえるでしょうけれど、アドラー心理学では、「所属」したい、という感情だと捉えるんです。この概念がアドラー心理学では一番強い。なぜかというと、人間は一人では非常に弱いので、他の人たちと協力せざるを得ない。それが社会、共同体になるわけですが、共同体の中で自分の居場所があるかないかは死活問題です。あなたの居場所はないといわれたら、死ぬしかないわけです。常に自分が所属する共同体があって、そこにおける自分の居場所が広ければ広いほどいいし、安心できます。そしてオレの方が広いぞ、お前とは違う、と見せつけて自分の所属を再確認したがるんです。
吉田:所属したいがために古参アピールしているのか……。それって、たとえ所属できても、まわりからはぜんぜん好かれないですよね。どうすればいいんでしょう?
向後:共同体の中でアピールするのって、「私はすごい人だ、有用だ」ということじゃないですか。それを「貢献できる」という形に変えていければいいんです。
ある共同体をいいものだと感じれば、絶対に所属したくなりますよね。人にとっては「家族」という共同体が最初ですね。学校のクラスは一応共同体ですが、所属したくないと思う場合もあります。先生が嫌い、いじめっ子がいる、などの理由でその共同体を出ることもあり得ます。ただ出ただけでは孤立してしまうので、別の共同体を見つけて、そこに新たな居場所を求めるんです。人は誰でもこの繰り返しです。
この過程でマウントを取りたくなったら「私はこの共同体にこういう形で貢献できる」というプラスの形に変えて表に出し、実際に行動してみることです。すると、まわりからの反応は「いけ好かないマウント人間」ではなく、「あの人は私たちの共同体に必要な貢献ができる人」に変わるはずです。
吉田:これは武器化したいですね!
自分がマウントを取りたいな、と思っていると気づいたら、「自分の脳は原始人なんだ」と認識した上で、貢献しようと切り替えるということですね。ここから急に本来のテーマであるコミュニケーションに寄せていくんですが、先生のおっしゃった「所属」を実現し、その恩恵として体感できるのは、まさにコミュニケーションですよね。
向後:そうです。その通りだと思います。
サロン参加者:貢献したい、と思うことそのものがマウントと捉えられがちのような気もします……。
「あいつ、マウント取ってるよね」というのも、客観的にはマウントの一種ですか?
吉田:そうですね。結局マウントそのものの存在を、肯定できればいいんですよね。
向後:共同体に所属しようとする人間が、自分がまわりからどう見られるかを気にするのは自然なことなんです。それもある意味マウントなんですが、自分で自分を評価したところで、まわりからは認めてもらえないですよね。でも、ひたすら共同体のためを思って動けば自然とまわりが評価してくれるようになります。断然、後者の方が印象はいいですよね。
たとえば、「百万円寄付しました」と自分でツイートする芸能人は、売名行為だと批判を受けるかもしれませんが、寄付を受けた側が感動した話としてつぶやけば、どんどんリツイートされて拡散しますよね。
「オレはすごいぜ」と自分でいってしまうのは基本的にウケないんです。
吉田:百万円寄付したという事実は同じなのに、偽善ととられるか、神対応ととられるかが変わってくるんですね。
向後:進化心理学でいうと、その行動が本心からなのか偽善的なのか、微妙なニュアンスを見分けるために脳は発達しているとされています。これも、敵味方の識別のための能力ですね。人間は簡単にウソをつくので、表情に加えて、言葉の内容、行動、態度などあらゆる情報を総合して、本心か偽善かを見分けてきたんです。
吉田:ウソつきや偽善者が入ってくると、共同体が滅びてしまうということか……。共同体に「貢献する」という能力が身に付いていないと排除されるわけですよね?
サロン参加者:共同体に所属できていない人ほど、そういう経験が少ないのに……という不安があります。
向後:端的にいえば、学校教育こそが、共同体での振る舞い方の経験を積む場所なんです。計算や読み書きと同じように、周囲とのコミュニケーションのスキルも学べるわけです。
吉田:その時点で失敗してしまった人、つまずいてしまった人は、どうすればいいんでしょう?
あ、アドラー心理学では「失敗」という言葉は使わないんですよね?
向後:失敗はいいことですよ。所属できる共同体は、1つじゃない。自分が思うよりもたくさんあるということです。どの共同体でも、人間関係なんて簡単にいくものではありません。どこかでうまくいかなかったとしても、自分に合うところを探して移ればいい。そうやって、あちこち移ることは自然なことなんですよ。
吉田:その考え方はすごい!
確かに、共同体はむちゃくちゃたくさんありますね。自分が知らないだけで、生きていく場所はいっぱい見つかるんですよね。「人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり」(※4)なんだから、いろいろ試してみて、この共同体はダメだと思ったら、くよくよせずに「次行こう次!」と思えればいいんだ!そのときこそ、コミュニケーション用の武器の出番ですね!
※4 人間到る処青山あり
人はどこで死んでも青山(墓となる地)とするところはあるので、故郷を出て大いに活躍するべきである、という意味。出典は幕末の僧、月性の「清狂遺稿」。
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