JOHNAN株式会社
(画像=株式会社KOEI)
船橋 吾一
1971年生まれ。1999年、弘栄設備工業株式会社入社。2012年の社長就任後、事業開発やM&Aを積極的に進め、グループ会社を12社まで拡大(2021年)。商圏を東日本全域に広げる。2019年にパイプ探査ロボット「配管くん」を製造・販売する弘栄ドリームワークスを創業。
空調、給排水、上下水道など建物の設備の設計・施工を行う総合設備エンジニアリング企業。
おもに、学校や公共施設、ホテル、オフィスビル、マンション、工場などの大規模な建物の設備や、工場の無菌室や大型の冷凍冷蔵庫、クリーンルームといった特殊設備を手掛けている。
現在は、設備関連のロボット開発も行っており、業界の枠にとらわれない事業を実現させている。2024年7月に創立70周年を迎え、地元に根ざしながら東北の業界トップクラスの企業として成長してきた。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み
  2. 承継の経緯と当時の心意気
  3. ぶつかった壁やその乗り越え方
  4. 今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
  5. メディアユーザーへ一言

創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み

—— 創業から現在までの事業の変遷について教えてください。

株式会社KOEI代表取締役・船橋吾一 創業は1946年で、創立70周年のタイミングで弘栄設備工業株式会社から、「株式会社KOEI」に社名を変更いたしました。

振り返ると、私の祖父は満州鉄道の設備技師として技術経験を積み、終戦引揚げ後に東京の設備工事会社に勤め、山形に赴任し、その後そのまま山形で起業しました。

創立後は高度成長の波に乗り、山形県内を中心に東北一帯に営業所を展開しましたが、時代とともに他県での展開は難しい地域もあり、営業所の形態を変更することもありました。

私が社長になったのは2012年の3月です。創業以来現在まで、建築設備と呼ばれる、快適な住環境を作るための建物に命を吹き込む仕事をしています。

承継の経緯と当時の心意気

—— 代替わりの経緯や背景について、お話しいただけますか?

船橋 山形という田舎にある会社ですから、地域とのつながりが非常に重要です。都会とは異なり、地域のつながりを大切にしながら仕事を進めることが特徴です。私は大学時代を大阪、その後は東京で働き、約10年間山形を離れていましたので、地域をより理解するために青年会議所に所属し、40歳で卒業するまで自己成長と人脈作りに努めました。

そんな中、父が癌で倒れ、予定より早く社長に就任することになりました。それ以前の2008年には手形の不渡りなどの問題が発生し、会社の評判に影響を与えたことがありました。そのとき、私は副社長として会社の立ち位置を確認し、社員やお客さまのサポートを受けながら、将来に向けて何をすべきかを考えていました。

社長就任後、まずは銀行との関係や社員との交流を見直し、会社の方向性を定める必要がありました。特に社員との交流が重要でした。父の息子として知られていたものの、経営方針を立ててもそれまで社内にいることの少なかった私に社員からの反応が薄く、経営を推進する上で苦労しました。また、リーマンショックや震災といった山形の経済環境の厳しさも課題となりました。

まず、社員が働きやすい環境を作ることが社長の役目だと考え、山形県内だけでなく、事業の商圏を広げる必要を感じました。営業所を開設し、社員を募集し、お客さまとの関係を築くためにM&Aを活用し、グループ会社全体の拡大を進めました。

また、前職である日立での経験を活かし、オンリーワンの商材を作ることの重要性に気づき、配管調査市場を開拓しました。これにより、下請けに甘んじることなく、エンドユーザーに近いところで仕事ができるようになりました。

社長に就任して12年経ちました。就任当初は役員が皆私より年上なこともあり、なかなか理解を得られませんでした。しかし、新しいことに挑戦し続け、2019年にベンチャー企業として分社化し、設立した弘栄ドリームワークスもようやく軌道に乗り始めたと感じています。

ぶつかった壁やその乗り越え方

—— ぶつかった壁と乗り越えた経験について、教えていただけますか?

船橋 社員との間に壁があると感じていたため、私自身を理解してもらうことが大切だと思い、2週間に一度早朝に社長勉強会を開催し私の話を聞いてもらったり、社員と食事やマラソンなどで一緒に過ごす機会を増やしました。社員旅行も大切にしており、80%以上の社員が参加しています。これが私の経営手法の一つです。

新しいことを始める際には、社内でリーダーシップを発揮する人物も必要ですが、私が提案したのは「工事屋がロボットを作る」という、当時は突拍子もない話でした。当時、会社に余裕があったわけでなかったので、どれだけお金や時間がかかるかイメージできない提案に、社内の理解を得るのは難しかったです。しかし、何かを始めないと将来の危機に対応できないと考えました。産業の形が変わったとき、自ら生き延びる道筋を描く必要があると感じています。

思いを持ち続けることは非常に必要です。利益の三分の一を開発や未来への投資に使い、利益を確保しながら、グループ会社全体で、12年前には40億円だった売上が、今ではグループ合わせて150億を目指す会社になっています。ここまで来ると、未来への投資ができるようになります。

—— 売上が40億円から約150億円に成長した要因は何でしょうか?

船橋 売上の成長において、株式会社KOEIの売上をどう上げるかが大きなポイントでした。また、私なりのM&A手法も取り入れました。買収した会社をただ誰かを任せるのではなく、私自身が責任を持って進めました。KOEIでも実践したように、社員がやめない会社作りを目指し、買収した会社の社員とも直接面談を重ね、会社の方針を再構築しました。また、給料や手当を上げるといった改善をおこない、社員のモチベーション向上を図るアプローチをとりました。

今後の新規事業や既存事業の拡大プラン

—— 今後の戦略、経営事業の展望についてお聞かせいただけますか?

船橋 弘栄設備工業は専門工事業から新たな領域に進出しようとしています。「配管くん」を使った市場を作り、全国展開を目指してきました。現在は多くの大手企業と競争できるようになり、パートナーも着実に増えています。専門工事業であることは変わりませんが、新たな領域を踏み出せる会社になってきています。

創立70周年を機に社名を「株式会社KOEI」に変更し、シンボルマークも変えました。当然本業を大切にしつつ、果敢に挑戦し続けることで、さまざまな可能性を追求したいと考えています。この思いが共有できたからこそ、グループ会社12社が成長し、つながりのある「コエルグループ」になれたのではないかと思います。

今後は次世代にバトンタッチし、側面からサポートしていきたいと思います。私たちが目指すのは、どんな形にもなれる会社です。「超える」という意思を継承し、経営を続けていきたいと思います。

弘栄ドリームワークスについても、まだ夢の段階ですが、IPOを目指しています。さまざまなところからお話をいただき、フェーズが変わってきたと感じています。着実に進めていきたいと思います。

メディアユーザーへ一言

—— 読者の皆さんに一言お願いできますか?

船橋 私たちの会社は山形で創業し、70年の歴史を大切にしながら、今もこれからも活動を続けていきます。私たちは、弘栄ドリームワークスをはじめ、「できない」を「できる」に変えることに挑戦し続けています。これからも、夢を形にできるような機会があれば、共に歩んでいけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

氏名
船橋 吾一
会社名
株式会社KOEI
役職
代表取締役