高齢化が進む日本の中で、企業における後継ぎ社長の役割が重要視されている。本企画では、これからの日本経済を支えていく後継社長に、どのように変革を起こし、成長を遂げていくのかを伺い、未来の経済発展へのヒントを探っていく。

企業名アイキャッチ
(画像=株式会社木村屋總本店)
木村 光伯(きむら みつのり)
株式会社木村屋總本店代表取締役社長
学習院大学経済学部卒業後、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)を学ぶ。レゴ®シリアスプレイ®トレーニング修了認定、LSPファシリテーター取得。2001年木村屋總本店に入社。2002年米国カンザス州にあるAmerican Institute of Baking(AIB)に留学し、製パン技 術ならびに安全衛生管理を習得。2006年より現職。
株式会社木村屋總本店
明治2年創業、あんぱんの元祖。その確かな技術と伝統は、そのまま今日の製品づくりに生かされております。お客様の笑顔と感動をいつも大切に想い、未来に向けてワクワクと誇りを持って挑戦し、木村屋独自の製品、サービスを創造し続ける企業を目指しております。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷
  2. 代替わりの経緯・背景
  3. ぶつかった壁と乗り越え方
  4. 今後の経営・事業の展望
  5. 全国の経営者へ

創業からこれまでの事業変遷

ーー 創業からこれまでの事業の変遷についてお伺いしたいと思います。長い歴史をお持ちだと思いますが、ターニングポイントをかいつまみながらご紹介いただけますか。

木村屋總本店 代表取締役社長・木村 光伯氏(以下、社名・氏名略) :弊社は明治2年に創業したパンの会社でございます。私は七代目にあたりますが、創業者の初代安兵衛と二代目英三郎が二人で会社を起こし、パン屋を始めました。もともと長崎の方のパン職人を一人連れてきて、当時日本に全く馴染みのないパンというものを初めて売り始めたところです。弊社の代表製品であるあんぱんが生まれたのが明治7年で、翌年4月4日に明治天皇にあんぱんを献上するという機会をいただきました。それが今も変わらず代表製品である桜あんぱんです。

創業当初は、パンというものが日本人の食生活に馴染むことが難しく、あまり売れない状況でした。そこで、日本人がおやつ感覚で食べられるあんぱんを開発すれば、それが広く受け入れられるのではと考え、商品開発に取り組みました。それ以降、時代の変遷に沿ってパンが拡大し、木村屋のあんぱんも知られるようになりました。

弊社では、明治33年にジャムパンが生まれ、昭和5年に酒種あんぱん うぐいすが生まれました。また、高度成長期を過ぎて新しいカテゴリーが生まれていったのが事業の変遷です。

事業的には、もともと一店舗でやっていたものが、戦後の高度成長期に学校給食パンが増えるようになり、工業的にパンを作る市場が成長しました。それに合わせて袋パンをはじめ、最近はスーパーやコンビニでの販売も行っています。

変わらないもの、共通するところは、新しく入ってきた知識技術と昔ながらの技術を組み合わせて新しい価値を作ってご提供していくところです。それを現在のバリューの中で謳っています。

代替わりの経緯・背景

ーー 木村さんは現在、木村屋總本店の七代目社長として活躍されていますが、その経緯や背景についてお話いただけますでしょうか?

木村 :はい、まず私が28歳の頃、会社の六代目である父の代に、会社がうまくいかなくなってしまいました。加えて、父も体調を崩してしまったことから、急遽バトンを受け継ぐことになりました。改革をするのであれば、早いタイミングが良いと考えましたし、改革には大胆な手法やリストラなどが必要になるため、外部からプロの経営者を招くよりも、創業家で意思決定ができる人が適任だと思いました。

ぶつかった壁と乗り越え方

ーー 代表になられて実際にぶつかった壁と、それをどのように乗り越えてこられたのか教えていただけますか?

木村 :大きく二つの壁があったと思います。一つは、代表になった直後に会社自体の資金繰りが回らない状況を、どのように立て直すかという壁がありました。もう一つは、会社の再建が進んだ後に、どうやって社内をモチベーションし、成長軌道に乗せていくのかということです。そのためには、社内の人たちのマインドを変える、またはオペレーションの仕組みを変えるということを丁寧にやっていく必要がありました。

ーー なるほど。一つ目の壁の乗り越え方はどのようにされましたか?

木村 28歳で現場から社長になり、経営や財務諸表を見ることも不慣れな状況でした。そこで、先輩の経営者や弊社の顧問弁護士の先生たちに、経営とはどうあるべきか、また、どうやって財務状況を改善すべきかという合理的な判断を教えていただきました。そして、毎月2億ほどの資金が足りない状況を従業員の皆さんに説明し、この状況を乗り越える覚悟を決めました。

ーー 覚悟を決めたきっかけは何でしたか?

木村 :周りの人たちからの支援や教え、そして小さい頃からの原体験が大きなきっかけでした。例えば、アサヒビールの名誉顧問の中條さんや、故・澤田会長から「経営者は孤独で、お天道様は見ている。だから、仕事に対して正直に全力で行うことで道は開ける」と教えてもらいました。また、家族で大事にしていたお墓参りの体験から、先人たちの思いを引き継いで次の代にバトンタッチしていかなければならないと感じ、覚悟が定まりました。

ーー その後、どのように成長曲線を描いていかれましたか?

木村 :まず、過去から大事にしてきた思いを形式化し、それをテコにして時代に合わせて変化させることを決めました。具体的には、部長や課長、現場の人たちの意見をヒアリングし、言語化して経営理念を整理し、その理念に基づいて人事評価を行い、経営戦略を立てました。

今後の経営・事業の展望

ーー 木村屋總本店の今後の取り組みや展望はどのようなものをイメージされていますか?

木村 大きく取り組んでいることが二つあります。まずは、フードロスやパンの日持ちの問題に取り組んでいます。例えば、今年からむしケーキのブランドを展開し、今まで4日間から5日間しか持たなかった商品の日持ちを15日間に延ばすことができました。これにより、物流や日持ちの問題で運べなかったエリアにも商品を届けられるようになりました。

また、もう一つの取り組みとして、完全栄養食の開発に力を入れています。高血圧や糖尿病の前段階にいる方々に向けて、美味しいパンを提供しつつ、健康に貢献できる商品を開発しています。現在は、日清食品さんとのコラボで完全栄養の技術を取り入れたパンを発売しており、今後もリニューアルを重ねていく予定です。

ーー 新しい取り組みをどんどん推進し、売り方やターゲットも多様化していく中で、木村屋總本店が取り組まなければいけないポイントや課題は何でしょうか?

木村 :課題としては、まず伝統的なあんぱんの技術を継承できる人材育成が非常に重要だと考えています。もちろんレシピがあればある程度は作れるかもしれませんが、気温や湿度、原材料の違いなど微妙な要素によってもパンの出来栄えが変わってくるため、マニュアルを超えたものづくりに真剣に向き合える人材を育成し、技術を伸ばしていくことが大切です。また、AI技術も導入しなければならないと考えています。効率化を図りつつ、ものづくりの真髄を繋いでくれる人材育成が大きな課題だと思っています。

また、採用の仕方も、従来の面接や筆記試験からパン作りに変えています。パン作りを通じて、手を動かして没入しているときに自分の内面が現れるため、パン作りを通じて志望者の思いやチームでの役割などを判断し、共感してもらえるかどうかを確認しています。そういった方法でエンゲージメントを高め、新しい人材を迎え入れています。

全国の経営者へ

ーー 今後、鍵を握る方々や家業を継いでこれからどうしていこうかという課題に当たっている方々に対して、ご経験から何か一言いただければと思っております。

木村 :私自身がアドバイスをするのはおこがましいと思いますが、あんぱんが生まれたきっかけを振り返ると、山岡鉄舟先生の推挙で明治天皇に献上されたという話があります。山岡先生の家には、ありとあらゆる人が出入りしていました。変化が激しい時代の中で新しい価値を作っていくためには、いろんな人たちと顔を合わせ、旗を掲げることが大切だと思います。そうすることで、新しい価値を作るきっかけが生まれるのではないでしょうか。

ですから、今まで大切にしてきたことを磨きながら、新しいことに挑戦していきたいという方を応援し、いろんな人との出会いを大切にしていくことが、変化が激しい時代だからこそ求められていると思います。皆さんも発信しながらつながりを作っていただければと思います。

ーー 本日はお時間いただきありがとうございます。

氏名
木村 光伯(きむら みつのり)
会社名
株式会社木村屋總本店
役職
代表取締役社長