映画祭での受賞や小説の大ヒットなど多才なクリエイターが挑む新たなチャレンジ
映画好きが高じて自主映画を制作したところから、映画監督を目指すようになった山本俊輔(やまもとしゅんすけ)さん。映画監督だけでなく脚本家、小説家など多彩な才能を発揮しています。本コラムでは、さまざまな仕事をするようになったきっかけや、現在制作中の映画について、お話を伺いました。

ワークショップでプロの映画監督から基礎を学ぶ

映画祭での受賞や小説の大ヒットなど多才なクリエイターが挑む新たなチャレンジ

子どもの頃、藤子・F・不二雄さんの『ドラえもん』『パーマン』『忍者ハットリくん』が大好きでした。当時はテレビをつけると藤子不二雄アニメが放送されており、まさに全盛期でしたね。

藤子不二雄Aさんが漫画家になるまでを描いた自伝漫画『まんが道』で漫画を独学で学び、鉛筆で漫画を描いていました。漫画を読むのも描くのも好きでしたが、中学生になると自分の絵の才能に限界を感じるようになりました。

その頃、テレビで映画をよく見るようになり、次第に映画にのめり込んでいくことに。ゴールデンタイムに放映されるメジャーな作品から深夜のマニアックな映画まで、かなりの数の作品を観たと思います。

映画にハマっていくにつれて、『ぴあ』『シティロード』などの映画情報誌をチェックするようになりました。これらの情報誌には古い映画を上映する名画座の情報も掲載されていて、有名俳優の昔の作品にも興味を持つようになりました。

都内には名画座がたくさんあったので、土日には3本立てで上映される古い作品を一日中楽しむくらい映画ざんまいでしたね。特に鈴木清順監督、石井輝男監督、岡本喜八監督といったエンターテイメントの巨匠の作品に感銘を受けました。

大学時代、私は早稲田大学の映画研究会サークルに参加し、8mmフィルムのカメラで自主制作の映画を撮っていました。ある意味これが私の映画創作の原点と言えるでしょう。サークルとは別に、早稲田を拠点にした映画のワークショップにも参加していて、当時活躍していた監督たちが講師となり、映画について色々と教えてもらいました。

特に塚本晋也監督が大人気で、私も彼の講座に参加しました。その講座では、8mmフィルムよりひとつ上の規格である16mmフィルムで自主映画を撮影するのです。16mmフィルムは、昭和の時代劇や刑事ドラマでも使用され、低予算の劇場映画制作に適していますが、8mmフィルムよりも高価です。

ワークショップで学んだことで、プロの映画監督になるには自主映画を制作して上映するか、助監督として修行するか、大きく分けて2つの道があることがわかりました。私は尊敬する塚本晋也監督の経歴を参考にして、就職活動を進めていきました。塚本監督はCM制作会社に入社し、そこで映像制作の経験を積んでいます。

ただ、私は就職活動を始めたのが大学4年の途中からと遅かったこともあり、有名なCM制作会社は試験で落ちてしまいました。それでも最終的には、六本木にあるCM制作会社に新卒で入社することができました。

監督・脚本デビューから小説家の道へ

映画祭での受賞や小説の大ヒットなど多才なクリエイターが挑む新たなチャレンジ

2年間CM制作会社で働きましたが、自主映画の制作に未練がありました。学生時代に作った映画が映画祭で入選し、上映された経験がずっと心に残っていたのです。もっとクオリティの高い作品を作りたいという思いから、アルバイトで資金を貯め、16mmフィルムを使った自主映画を1年半かけて制作しました。

その作品が『殺し屋たちの挽歌』です。この映画は韓国の『富川(プチョン)国際ファンタスティック映画祭』で招待上映されました。他にも海外のさまざまな映画祭でも上映され、アメリカの『ロードアイランド国際ホラー映画祭』では観客賞を受賞。私の作品を最初に評価してくれたのは日本ではなく、韓国やアメリカの方々でした。

自主映画の制作仲間たちは、Vシネマやミニシアターで上映する作品を手掛けていましたが、私はプロの監督デビューを果たしていないため、見下されていると感じることもありました。

そこから『殺し屋たちの挽歌』を名刺代わりにして、制作活動を続けることに。フリーランスの助監督として、Vシネマや、深夜のテレビドラマ制作に携わりながら、映画制作のスタッフ経験を積んでいきました。

あるVシネマに助監督として参加した際に、某監督と出会いました。共通の話題があることからその監督に気に入っていただき、多くのプロデューサーを紹介してくれました。

紹介いただいたプロデューサーの1人が、「企画を出したら採用する」と言ってくれたので、いろいろと企画を提出しました。その結果、『カクトウ便/そして、世界の終わり』の脚本が採用され、脚本家デビューが決定しました。

この作品では助監督としても制作に参加していましたが、監督が別作品に取り掛かり現場に来なくなったため、私が演出も担当することに。アフレコや映像編集も行い、共同監督として認められ、結果的に監督・脚本デビューとなりました。

監督デビューするとプロとして認知されるようになります。新たなつながりも増え、脚本や映画撮影の仕事が増えました。また話は前後しますが、助監督の修行中に、シナリオの勉強が必要だと感じ、東京・青山のシナリオセンターに通うことにしました。

卒業後、ライターズバンクを通じて仕事を紹介され、その中の1つがTBSテレビの配信ドラマ企画でした。そこで私が書いた『デス・ゲーム・パーク』が選ばれ、初めてドラマの脚本を書きました。主演の松坂桃李さんが『侍戦隊シンケンジャー』を卒業してから1本目の主演作品ということで話題となりました。

当時、私はクリエイター事務所に所属しており、事務所のマネージャーから「脚本が書けるなら小説も書けるでしょ」と言われ、出版社の社長を紹介してもらいました。そこで『デス・ゲーム・パーク』の小説を書くことになり、配信開始までの2週間で執筆しました。小説の帯には松坂桃李さんら戦隊ヒーロー俳優の写真と「初の小説がいきなり映像化決定!」というキャッチコピーが書かれ、注目を集めました。

小説の発売日には大型書店で3列分の棚に『デス・ゲーム・パーク』が並び、自分でも驚きました。配信ドラマと小説が同時に話題となり、小説は重版がかかり、45,000部を売り上げました。そして、この成功が大きな転機となったのです。

クラウドファンディングで挑むコメディ映画の新境地

映画祭での受賞や小説の大ヒットなど多才なクリエイターが挑む新たなチャレンジ

クラウドファンディングの登場によって、映画制作するうえで大きな変革となりました。自分の作品を愛してくれる人々から資金を募ることができる、ありがたい仕組みだと思います。

現在、2024年9月に公開予定の映画『フリークスの雨傘』『毒蝮寅子が行く!冒険篇』の2本立ての資金を、クラウドファンディングで募集しています。これまで、暴力やエロスといった過激な作品を多く手がけてきましたが、今回はコメディタッチの映画に挑戦します。

主演は、独特のルックスが魅力の個性派俳優・阿部真美子さんです。阿部さんは深夜のお笑い番組やバラエティ番組で活躍する一方で、介護の仕事に従事しています。「仕事がつらい」と、SNSでネガティブな投稿をするほど疲れ果てていました。

そんな阿部さんに元気を取り戻してほしいという思いから、彼女を主演に抜擢し、阿部さんと同じ、50代で介護の仕事をしている女性を主人公とするコメディ映画『フリークスの雨傘』を制作しました。

もう一つの作品『毒蝮寅子が行く!冒険篇』は、毒蝮三太夫さんと『男はつらいよ』の寅さんを合体させたキャラクターが主役の物語です。主演の橘さりさんは、SNSで寅さんのコスプレを披露していて、そのユニークさが目に留まりました。まずはYouTubeで短編を撮影し、その後、今回の作品をつくる運びとなりました。

クラウドファンディングのリターンとして、出演者からのメールや動画メッセージ、私のワークショップへの参加、次回作への出演など多岐にわたる特典をご用意しました。多くの方にご支援いただけることを心から願っています。

映画『フリークスの雨傘』&『毒蝮寅子が行く!冒険篇』劇場公開応援プロジェクト!