お話をお聞きしたのは、三重県多気郡にある製薬会社「万協製薬株式会社」の代表取締役社長を務める松浦信男さん。松浦さんの父親が1960年に創業した同社は、阪神淡路大震災で被災し、倒産の危機に直面。再建を決意した松浦さんは、震災の翌年から三重県で新たなスタートを切りました。
そこから約28年、会社は大きく成長。M&Aや出資も積極的に行うなど製薬にとどまらない事業を展開しています。また、「日本経営品質賞」や「ものづくり日本大賞」など、多くの受賞歴も誇る松浦さんにとって、優秀な経営者とはどのようなものなのでしょうか。
1962年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校卒業後、父親が経営する万協製薬株式会社に入社、1995年に阪神淡路大震災で神戸の工場が全壊。これをきっかけに同社代表取締役社長に就任、1996年11月から三重県多気郡で再スタート。現在は多気郡に3つ、度会郡1つの工場を所有するほか、「日本経営品質賞 中小企業部門」「ものづくり日本大賞 経済産業大臣賞」など多数の表彰を受けている。
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——神戸市で阪神淡路大震災を経験し、その後に三重県に移って万協製薬を建て直されました。まずは震災以前の経歴について教えてください。
家族関係にもいろいろなことがあった嫌な青春時代でした。受験勉強もせず、遊び回っていた20歳ぐらいのときに、半ば無理やりな形で万協製薬に入社することになりました。当時は作業員として薬の製造を行っていました。社長である父はあまり顔を出さず、社員の仲も悪かったと記憶しています。そんな環境でしたので、いっそのこと自分で薬を作れるようになりたいと思い、勉強して徳島文理大学の薬学部に入りました。卒業後に薬剤師として万協製薬に戻り、その7年後に阪神淡路大震災が起きました。
——阪神淡路大震災を機に経営者の道を志すことになったのですよね?
そうですね。震災が起き、神戸の工場が全壊しました。父が廃業すると言い出したころから経営者になることを考えるようになりました。当時、僕は製品開発をしていたのですが、ここで薬を作ることを諦めたら、世の中から製品が消え、自分がやってきたことが消えてしまうと強い危機感を覚えました。自分一人だとしても万協製薬を続けるために、経営者を志すことにしました。
——現在は三重県で200人以上の従業員を抱え、4つの工場が稼働しています。
最初は家族3人、三重県多気郡でゼロからのスタートでしたが、引っ込み思案な自分を変える起点にしたいと思って頑張ってきました。今では「裸一貫で、全く違う場所で始めた」ことがフックになって、僕に興味を持って会いたいと言ってくれる人もいます。
——再スタートにあたってどのようなことを大切にされたのでしょうか?
社会に必要とされることです。被災時の万協製薬は、父からも社員からも不要なもののように扱われました。そのときの悔しさがあり、万協製薬が社会にとってなくてはならない存在になりたいと思っていましたし、今もその気持ちですね。
——万協製薬の再建だけでなく、今ではM&Aや企業への出資も行っています。
2012年にバンキョーホールディングス株式会社を作ったことが始まりです。その副次的効果として、製薬しかやらないという縛りが外れました。そこから「経営がうまくいかない」「誰もお金を貸してくれない」などの相談が舞い込むようになり、そういった会社の経営も引き受けるようになりました。僕はこれを「巻き込まれ型M&A」と呼んでいます。
僕自身、震災後の約10年間、社会的に全く注目されませんでした。だからこそ、人から声が掛かることが嬉しくて、自分にできることをしたいと思っていました。
——最初にグループ化したのが釜屋化学工業株式会社でした。
薬の容器を作る会社です。大手製薬会社向けの大型案件が決まって、その生産に入るときに経営が立ち行かなくなり、損害賠償に発展しそうなタイミングでした。当時の営業部長から「あなたが社長になれば絶対にうまくいくから社長になってもらいたい」と言われまして。
足りないお金を工面しているうちに、それが何億にもなってきて、これはまずいなと思ってM&Aという形を取りました。さらに今度は釜屋さんの関連でタイの会社も買収することになり、いきなり赤字の会社を2つ抱えることになりました。
——立て直せる自信はあったのでしょうか?
そうですね。技術力やその会社の持っている機械や資産などをしっかり確認して、僕はこれがなくなるのは惜しいなと思いました。立て直せるだけのものがあると感じました。
——ご自身の中で基準はあるのでしょうか?
信頼関係が一つ。やはり財務諸表を見せてもらわないと正確な判断ができません。見せてくれるということは、僕を信頼してくれているということですから。あとは直感も大切にしていて、経営者に魅力があるなと感じた場合に出資したり、グループに入ってもらったりしています。いい経営者に出資するのであれば、収益を上げなくても、元本だけ戻ってくればいいとも思っています。
——松浦さんが思う、魅力的な経営者とはどんな方でしょうか?
自分に正直な人です。自分のことをわかっていない経営者が多いです。例えばカメラマンさんであれば、いい写真が撮れたかなとか、編集者であれば、校了したけど誤植はなかったかなとか、そうやって自分のことをよく考えている人は信用できます。それは観察力があるからできることですから。
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——松浦さんは生業経営と組織経営という考え方を提唱しています。
元々、日本で株式会社がたくさんできたのは中小企業金融公庫ができた1953年以降です。戦前の日本では、地方や中小企業が資金難に苦しみました。そういった状況では、まさに生きていくための仕事、「生業」しか成立しなかったのです。手元のお金を使って、どうにか利益を生むということですね。
戦後、中小企業を支援する政策が整っていくことで、多くの株式会社が設立され、株主や経営者、労働者のそれぞれが会社の価値を上げるために努力するようになりました。そしてどう価値を高めるかというと、社会を良くすることに尽きるわけです。これが組織経営です。株式会社という概念を追求していけば、生業経営から組織経営に必ず移っていくはずです。
——現代でも組織経営に移行できていない会社が多い?
人よりいい車に乗って、人よりいい家に住んで、人よりいいパートナーと過ごしたいと考えていて、そのために会社をやっている人がまだ多い印象です。彼らにとって、会社はファッションの一つに過ぎない。ファッション経営者と言ってもいいでしょう。社長である自分を輝かせることが目的なわけですからね。会社というのは、人や社会の豊かさ、そして未来につながるべきものだと思っています。僕は自分の考え方を公開することで1人でも多くの組織経営者が増えてほしいと思います。
——これまで組織経営者だと感じた人はいらっしゃいますか?
万協製薬が共同出資したポモナファームの豊永翔平さんは、大きな才能と能力を持った若者だと思っています。三重県で農業に従事しているのですが、彼はただ農業をやりたいわけではありません。
彼は大学でアンコールワットの遺跡調査をしていたときに遺跡がどんどん破壊され盗掘されていくのを見ていました。残念なことに盗掘しているのは地元の人なのです。周りが砂漠で稼ぐ手段がなくて遺跡を盗掘してしまうなら、砂漠でできるビジネスをやれば、盗掘がなくなり遺跡も守られる。つまり、砂漠で農業ができるようになったらいいじゃないかという発想からスタートしています。
——豊永さんに組織経営者としての片鱗を見て、出資を決めたと。
自分が震災にあった時に、励ましてもらいたいとずっと思っていました。でも、そんな人は出てこなかった。だから自分がそういう人になろうと思っています。誰かを助けたいとか、そんな大仰な使命感ではなくて、喜んでもらいたいというだけです。
一灯照隅万灯照国(いっとうしょうぐうばんとうしょうこう)という言葉があって、一隅しか照らせない光でも、それが集まれば国を照らすことができるという意味です。いい言葉だなって思いますし、多くの経営者がこうやって挑戦する人を励ましていくようになれば、社会はもっとよくなると思います。
——これからの経営者に求められる資質は?
やっぱり決断力じゃないでしょうか。我々は毎年50品目ほどの新商品を出しているのですが、コロナ禍の3年間は新製品を出せませんでした。売上も少しずつ落ち込んでしまったのですが、それでも新工場を作ることに決めたのです。経営判断が間違っていると言って、社員の約1割が退職してしまいました。しかし、行動制限がなくなれば必ず需要が戻って来ると信じていたのです。今はコロナ禍に先を見据えて設備投資をした会社が強くなっていると思います。まだ見えてない未来に投資するのが経営だと僕は思っています。今こそ未来に投資するべきだし、その決断は経営者にしかできないので、その力は求められると思います。
——挑戦、ということもこれからの社会のキーワードになるでしょうか。
日本の金利は世界でも一番安いですし、「それを使わないでなにをするの?」と思いますけどね。資金調達能力、どれだけ借金できるかも経営者の能力です。業績は伸ばせなくても、借金を伸ばすことはできますから。その資金で挑戦することが大事だと思います。
果敢にビジネスにアタックして欲しいですね。一部の日本人が誇る無借金経営というのは、かっこいいものでもなんでもない。お金を借りて、描く未来を実現していくのが会社経営です。借金にビビるならばやめたほうがいいです。もう負けているので。恐れずにベストを尽くせば、必ず明日に繋がるし、思い切り踏み込んだ時の失敗は、必ず教訓にできます。
——これから起業してみたい、または今やっているビジネスを大きく変えていきたいという若者に向けてメッセージをお願いします。
まず、僕は起業がファッションのようになっている現状に否定的です。最初からイグジットなんて考えたらだめですよ。「IPOしました!」って、別にかっこいいことじゃありません。
ファッション経営者にならないように、社会に必要とされることを意識してほしいと思います。あとはベタですが、銀行と良好な関係性を築くことです。お金を借りなかったらなにもできませんから。大きく投資をしなければ見合ったリターンは得られないということを忘れずに、人生を懸けてチャレンジしてほしいなと思います。