英語力0から英会話教室を立ち上げた女性社長が描くビジョン「世界で勝負できる日本人を輩出する」
久山絵里さんは高校を卒業後、印刷工場で働き、その後26歳で英語力ゼロの状態からオーストラリアを一人旅しました。帰国後は大手の英会話学校で働き、30歳で『フレンズ英会話』を起業。現在は、結婚と出産を経て、育児と経営を両立しています。持ち前のチャレンジ精神で突き進む久山さんに、これまでの経緯と今後のビジョンについて伺いました。

ワーキングホリデーでオーストラリア大陸一周の旅

英語力0から英会話教室を立ち上げた女性社長が描くビジョン「世界で勝負できる日本人を輩出する」

私は高校を卒業して18歳で印刷工場に就職し、家賃3万円の一人暮らしを始めました。弟には先天性の脳性麻痺があり、両親は彼の世話で忙しく、経済的には余裕がありませんでした。だから、高校卒業からすぐに就職という道を選び、自力で人生を生きていく力を付けるために将来は自分の会社を立ち上げ、両親を楽させたいと考えていました。しかし、具体的にどの仕事で会社を経営するかは決まっていませんでした。

ある日、知り合いがオーストラリアで挙げた結婚式の写真を見せてくれました。その中には、とても美しい海の景色が写っていたのです。それがきっかけでワーキングホリデーの存在を知り、当時26歳だった私は、貯金をすべて持って、英語力ゼロの状態でオーストラリアへ旅立ちました。何にもないからこそ恐れや不安もなく、ただ行動力あるのみでした。

オーストラリアでは、必死に身振り手振りでコミュニケーションを取り、宿に帰ってはひたすら勉強、長距離バスに乗っては次の街へ移動するという旅を1年間続け、オーストラリア大陸一周という目標を達成。

英語ができないことで感じた不安や困難は多かったですが、その分たくさんのことを学びました。この経験が、私の人生を大きく変えることになったのです。そして、帰国後に英語教室の会社を立ち上げることを決意しました。

目指すのは、社員ファーストの経営

英語力0から英会話教室を立ち上げた女性社長が描くビジョン「世界で勝負できる日本人を輩出する」

オーストラリアから帰国後、資金と経験を得ようと英会話の会社に就職しようとしましたが、学歴重視の業界で面接までたどり着けず、諦めかけていました。そんな中で採用してくれた大手の会社があり、1年ほど働いた後、起業。英語力ゼロで旅に出た時と同様、経営に関する知識はゼロからのスタートです。「武器は拾いながら走る」は私の信条でもあります。

私の理想は、仕事とプライベートの両方を充実させることです。結婚や育児、女性は特に、現役で働き続けるのは難しい現状、自分ならどうするか。そこで、経営に専念できるように最初から従業員を雇いました。さまざまな失敗を繰り返しながら、英語が流暢な人材を雇用し、生徒たちに質の高い教育を提供することを目指しました。

日本と外国の働き方の違いを考慮して、社員ファーストを意識しています。いい社員がいてこそ、いい授業が提供できるのですから。そこで、皆が働きやすい環境を提供するために、1日の勤務時間を短く、休暇を多くしています。

会議や書類など無駄をできるだけ無くし、上下関係もない。フラットな環境にすることでストレスもなく、社員全員が短時間で効率よく仕事ができる。日本の従来の働き方にとらわれず、学歴によらず皆が働きやすい会社としてあり続けたいと考えています。

英語力を身に付けて世界で勝負できる日本人を輩出したい

英語力0から英会話教室を立ち上げた女性社長が描くビジョン「世界で勝負できる日本人を輩出する」

英語教室を経営するなかで、日本の英語教育には課題があることに気づきました。自分自身の経験からも、継続的に英語を学ぶ環境は、経済的に恵まれた人々や英語の価値を重視する人々に限られがちに見えます。生活の忙しさや育児で英語にお金をかけられない家庭も多いでしょう。そういった方々がどうすれば世界を知る機会を持てるか、日々模索しています。

また、どうすれば、習ってもなかなか話せるようにならない日本社会で、少しでも本当に英語を操れる人材を育成できるのか。自社で英単語辞書を開発するなど、日々その大きな課題とも戦っています。

自分自身も含め、世界で対等に戦えるような英語力を身につけ、自信を持って活躍できる強い日本人を輩出することが目標です。

他には、海外留学や旅行の体験を提供、日本に留学生を受け入れる場所を設けるなど、日本人と留学生の交流の機会を創出したいと考えています。また、過疎化が進む地域の活性化も考え、外国人観光客に本当の日本を経験する場をつくれないか、とも考えています。

今後も、英語を通じて世界とつながりながら、新たな挑戦を続けていきます。