こんにちは、ライターの「ゆいと」です!
今やすっかり日本に定着している「豚饅」ですが、そのルーツは神戸にあります。
今回は、豚饅が今に至るまでの歴史を深掘っていきたいと思います!
中国と神戸の関係
豚饅の歴史を遡る前にまずは神戸と中国の歴史について見ていきましょう。
日本には三大中華街があり、それが横浜中華街・長崎新地中華街、そして神戸の南京町です。
南京町の誕生は、明治元年(1867年)の神戸港開港からと言われています。
その当時の中国は、日本と修好通商条約(各国間で貿易に関する規定条約)を結んでいなかったので、日本にいる中国人(華僑)は居留地内に住むことが許可されず神戸港の西隣にあたる現在の元町に住みはじめていきました。
こうして華僑が集まって1つの町となったのが南京町の始まりです。
その後、通商条約が締結されると慰留地にも多くの華僑が住み始め、現在のように発展していったのです!
豚饅発祥の店「老祥記」
開港から50年ほど経った1915年、神戸に住む華僑により多くの中華料理店が開かれていました。その中の1つが「老祥記(ろうしょうき)」。
老祥記は浙江省出身の曹松琪(そう しょうき)さんと日本人の妻・千代さんが開業しました。中国の天津包子(テンチンパオツー)を日本人の口に合う味付けにして考案した「豚饅頭」を生み出した元祖豚まんのお店です!
販売を開始してからしばらくは神戸の華僑から故郷の味を求めて集まる憩いの場として賑わっていました!
やがて日本が高度経済成長期を迎えた頃には老祥記の他にも豚饅を提供するお店が増え、手頃な値段で食べられることから華僑にとどまらず日本人の家庭にも広まっていったのです!
KOBE豚饅サミット
こうして神戸から日本中に愛されるようになった「豚饅」。
現在ではこの豚饅を使って神戸を盛り上げるイベント「KOBE豚饅サミット」が行われているので合わせてご紹介したいと思います!
KOBE豚饅サミットはご紹介した南京町「老祥記」、そして神戸元町「四興樓」・「三宮一貫楼」の3店舗が豚饅を通して神戸の町をさらに元気にしたいという思いが込められたイベントとなっています。
豚の鼻が(11)で11に見える、という理由で「豚饅の日」となった11月11日あたりにイベントは行われ、オリジナルの豚饅の提供や有名人を招いたシンポジウムの開催をしており毎年賑わいを見せているんです!
また、KOBE豚饅サミットの大きな目的の一つが復興支援です。このイベントが最初に行われたのが東日本大震災が発生した2011年。
それ以降東北への支援に加えて、2016年の熊本地震への被災地支援など活発な支援活動にも注目が集まっています!
終わりに
いかがでしたか?
ぜひ一度豚饅を求めて神戸の中華街を訪れてみてくださいね!
最後までお読みいただきありがとうございました!
参考
・KOBE豚饅サミット公式ホームページ
https://www.kobebutaman-summit.com/
・老祥記ホームページ
https://roushouki.com/kiseki/
・KOBECCO vol.1 「豚饅」の発祥は神戸にあり
https://kobecco.hpg.co.jp/24864/