海外に行くのが好きな人には「英会話」はぴったりな趣味だ。一方、海外旅行好きではなくても、経営者であれば英会話を趣味にするメリットは十分にある。この記事では経営者におすすめの趣味の一つとして英会話を取り上げ、その魅力を紹介していく。
目次
経営者なら「一石二鳥の趣味」を
日頃から忙しく働いており、自由に過ごせる時間があまりない経営者の場合、趣味に使う時間からもより多くの実りを得たいと感じるはずだ。つまり、趣味としての楽しさがあるだけではなく、ビジネスにも結びつく「一石二鳥の趣味」を持てることに越したことはない。
結論を言うと、英会話を学んでおくとビジネスシーンで役立つことが多い。英語圏の人口は21億人以上とも言われているため、ビジネスをグローバル展開する際にもプラスに働く。
経営者が「英会話」を趣味にする魅力
もう少し細かく経営者が英会話を趣味にする魅力を説明していこう。
学び続けることの重要性を再認識できる
英会話を趣味にすると、学び続けることの重要性を再認識できる。
経営者の場合、同じ業界に長く身を置き、かつ成功を収めると、ついつい自信過剰になってしまい、新たな学びに対し消極的になりがちだ。しかし、英会話を通じて学ぶ楽しさを再認識すれば、仕事上でも新たな知見を得ようとするモチベーションが生まれる。
学習を通じて世界に目を向けることができる
英会話を学んでいると、英語ニュースがたびたびテキスト教材やリスニング教材として用いられる。英語ニュースの場合、当然、ニュースの対象となっているのは海外の事柄であり、その内容を読み解くことが世界に目を向けるきっかけになる。
ビジネスのグローバル化に対応できる
事業をグローバルに展開しようとする際、経営者がビジネスレベルの高度な英語スキルを身につけることが必須なわけではない。しかし、最低限の英語スキルを身につけておくと役に立つ。
全ての英語の翻訳を部下や通訳に任せるのではなく、自分である程度すらすら英語を理解できれば、ビジネス展開のスピード感が増すほか、あいさつや日常会話などのコミュニケーションを重ねることで、海外スタッフとの信頼関係も構築しやすい。
企業のグローバル化がいま求められるワケ
いま企業のグローバル化の必要性がどんどん増している。
海外の急成長市場に注目する必要性
日本の市場規模は確かに大きい。GDP(国内総生産)ベースで世界3位の経済大国だ。しかし現在は人口減少が顕著であり、今後に関しては懸念が多い。
そんな中、海外には経済がすさまじいスピードで成長している国がある。このような国でビジネスを成功させれば、日本では実現しえない規模の利益を確保できるかもしれない。特に発展途上国の場合、参入余地が大きいビジネス分野が数多く存在している。
海外の優秀な人材を獲得する必要性
仮に海外に進出しない場合でも、海外の優秀な人材を獲得し、自社の従業員層をグローバル化する必要性が高まっている。
その理由としては、インターネットや越境EC(電子商取引)の普及などによりビジネスのボーダレス化が進んでいることや、インバウンド観光の盛り上がりにより、訪日外国人向けのビジネスの有望性がさらに高まっていることなどが挙げられる。
英会話の学び方、オススメは?
経営者が英会話を趣味にするメリットが分かっていただけたかと思う。続いて「いま風」の英会話のオススメの学び方を2つ紹介したい。
英語ネイティブとのオンラインレッスン
英語ネイティブとのオンラインレッスンを積み重ねると、日本にいながら本場の発音に触れることができ、日本の学校教育では学ばなかったようなフランクな英語表現なども身に付けることができる。
インターネットで検索すると、さまざまな英語ネイティブとのオンラインレッスンサービスがヒットする。欧米人が講師のレッスンより、英語も公用語のフィリピン人が講師のサービスの方が価格は安めだ。
映画サブスクで「英語字幕」や「日英同時字幕」
映画のサブスクサービスを利用すると、英語圏の映画もたくさん視聴することができる。
これらの映画を「字幕なし」で観る努力をすると英語力の飛躍的な向上に結びつくが、ヒアリング力があまりついていない英会話初心者にはなかなかハードルが高い。そんな人には「英語字幕」もしくは「日英同時字幕」をつけて観るのがおすすめだ。
英語字幕をつけると、映画の中で話されている英語をクリアに理解できる。また、サブスクサービスによってはパソコンのブラウザの「拡張機能」を使うことで日英同時字幕が可能な場合もあり、英会話を習い始めたばかりの人には絶好の教材となる。
ほかの趣味に比べると大変さはあるが…
英会話はコツコツ勉強しなければ上達しない。そのため、ほかの趣味に比べると大変だと感じるかもしれない。しかし、この記事で説明したように、経営者が英会話を趣味にするメリットは多い。一念発起して英会話を学び始めてみてはいかがだろうか。
文・岡本一道