目次
- パン粉店から解体業へと転換した父。資金がないので重機は買えず、当初現場作業はスコップなどの手道具のみだった
- バブル期に会社は急成長。当時高校生だった落合社長は競輪選手を目指して片道約20キロを自転車通学の日々。根性はこの時期に培われた
- 競輪選手の道を断念。高校卒業後は父の会社に入社し、23歳の時に父が死去。お金のことがわからず資金繰りと原価管理に苦戦する
- 重機の修理費用がかさんで利益が出ない!悩んだ末、建機事業部を設立して自社で修理とメンテナンスを手掛ける
- 社名を変更し更なる挑戦へ。保有する重機を土木事業に活用、公共事業を手掛けるため積算ソフトを導入し作業効率も向上
- データはクラウドストレージで一元管理。出先からも即時対応でき、スピーディーな見積提示が顧客からも好評
- ウェアラブルカメラを装着して作業動画を撮影。外国人スタッフや若手への指導に使えるマニュアルとして活用したい
- 新社屋建設ではジムの併設も構想中。「健康第一」を軸に社員の福利厚生も充実させ、解体業のイメージを変えていく
産経ニュース エディトリアルチーム
親が創業した会社を引き継ぐ人は数多い。しかし、引き継いだ時の状況は一様ではない。例えば、その時の社会状況や業界の動向、引き継いだ時の年齢も異なる。また、事業承継に向けて時間をかけて準備を進めてきたケースもあれば、親の死去に伴い準備もなく継がざるを得ない場合もある。今回紹介するのは、親の死去に伴い2代目として事業を継いだ株式会社オチカイ・テクノス代表取締役社長落合正幸氏である。
解体業を営む会社を引き継いでほどなく訪れたバブル崩壊、そしてリーマンショックという荒波にもまれながら、落合社長は父の時代のビジネスモデルから脱却すべく格闘し続けてきた。その忍耐と努力の成果が今、ようやく実りつつある。ICTを武器に新たな道を切り開こうと取り組む同社の「解体とリプロダクト(再構築)の物語」を紹介する。(TOP写真:株式会社オチカイ・テクノス建機事業部の整備工場。ここで重機の修理や車両のメンテナンスを実施する)
パン粉店から解体業へと転換した父。資金がないので重機は買えず、当初現場作業はスコップなどの手道具のみだった
栃木県栃木市都賀町で解体・土木工事を手掛ける株式会社オチカイ・テクノスは、代表取締役社長落合正幸氏の父親が創業した会社だ。しかし、創業前はパン粉を製造して精肉店に販売する商店を営んでいたという。「町ではパン粉屋さんって呼ばれていました。でも、スーパーマーケットが台頭してくると町の精肉店が徐々に減り、商売が下火になってきたので、パン粉店は母に任せて父は解体工事の会社に勤め始めたんです」と落合社長は当時を振り返る。
解体技術を身につけた父親は1980年に資本金7万円で落合解体工業を立ち上げた。資金がなく重機は買えなかったため、当面はスコップなどの道具を手に、下請けとして作業に従事していたという。そして、1984年に有限会社落合解体工業として法人化した。
バブル期に会社は急成長。当時高校生だった落合社長は競輪選手を目指して片道約20キロを自転車通学の日々。根性はこの時期に培われた
1980年代半ばに入ると、仕事を回してくれるブローカーとの出会いもあり、仕事がどんどん増えていった。時はバブル前夜で業績は右肩上がりとなり、元号が平成に変わった1989年には年商5億に達した。「父の乗る車がクラウンからセルシオに変わっていって、会社がトントン拍子に成長していくのがわかりましたね」。当時中学生だった落合少年は父の会社の成長を目の当たりにしていた。
落合少年は強豪で知られる競輪部のある作新学院高等学校に進学する。「父は競輪や競馬が好きで、馬主になっているぐらいでした。それで、私に競輪選手になるよう勧めたんです」。そして、同校の競輪部に入部した落合少年は愕然(がくぜん)とする。「入った時点で無理だと思いました。だって、子どもの頃から競輪選手を目指して英才教育を受けている人ばかりで、ど素人で入った自分はまず体力的についていけないんですよ」。しかし、落合少年はそこで諦めなかった。体力をつけるために、都賀町の自宅から宇都宮の作新学院高等学校までの片道およそ20キロの道のりを、3年間自転車で通学し続けたのだ。
「さすがに冬は寒すぎたので、冬と荒天の時以外は雨の日もカッパを着て、毎日自転車で通いました。今思うと、自分との戦いでした。自転車通学のおかげで根性がついたんだと思います」 在学中にインターハイに出場するほどになった落合少年は、卒業後競輪選手を養成する専門学校に進学をするつもりだった。しかし、壁は高かった。「この学校に入るには、1キロを走るのに1分10秒を切ることが条件なのですが、どうしてもその壁が越えられなかった。自転車通学は結果的に長距離選手向きのトレーニングになっていたんです」。悔やみつつも競輪選手養成の専門学校への進学を断念した落合少年。大学への進学も考えたが、高価な自転車を2台も買い与えてくれた父の気持ちを思い、高校卒業後は父の会社に入社することにした。
競輪選手の道を断念。高校卒業後は父の会社に入社し、23歳の時に父が死去。お金のことがわからず資金繰りと原価管理に苦戦する
高校卒業後、父の会社に入社した落合社長は現場の仕事を手伝いながら解体業務を覚えていった。一方で、その頃から世の中はバブル崩壊の陰りを見せ始めていた。そして、落合社長が23歳の頃に父親は体調を崩し、その2年後に亡くなってしまう。落合社長は代表取締役社長として会社を継ぐことになった。
「5年ほど現場を経験したので仕事の段取りはわかりますが、営業経験はないし、お金のことも勉強していないのでわかりませんでした」と落合社長は振り返る。ただ、当時はまだ父親の得意先がメインだったため、幸いなことに仕事は途切れずに続いた。また、経理は当面母親に任せ、その後新規に事務員を雇用した。しかし「そこからですよ、地獄の日々が始まったのは」。こうして落合社長の悪戦苦闘が始まった。
「父の代からの取引先の仕事は報酬が安く、原価管理もちゃんとできていなかったので、毎月お金が足りなくて大変でした」。さらに時を同じくして父の購入した重機が5~6年経過して壊れ始めた。当時重機のリースはなく、1台1千万円ほどかけて購入していたので自前で修理に出すほかなかった。さらに、重機の先端部に付けるアタッチメントは壊れやすく、頻繁なメンテナンスと修理が発生していた。「父の借金が5,000万円あったので、それを完済するために、5年間設備投資をしなかったんです。そのあおりがここで一気に来ましたね」
重機の修理費用がかさんで利益が出ない!悩んだ末、建機事業部を設立して自社で修理とメンテナンスを手掛ける
重機の修繕費用は利益を圧迫していった。
「儲けが全部修理代に出ていってしまうんです。お客様に請求するわけにもいかず、泣きたくなりました」。そんな日々が3年ぐらい続き、重機の修理・メンテナンスの繰り返しで資金繰りは苦しくなっていった。しかし、メンテナンスをきちんとしなくては、壊れやすくなり、仕事にならない。そこで落合社長が考え抜いた末に行き着いたのが、自分の会社で修理をすることだった。落合社長は専門スタッフを雇用して2012年に建機事業部を設立。その後若手人材も加わると修理がスピードアップしたことから、他社の車両の修理も請け負うことにした。
資金繰りで苦労をしてきた落合社長だが、最も苦しかったのは2018年に資金繰りが行き詰まった時だったという。それは皮肉にも、健全な資金繰りを目指して父の時代からの取引先から決別しようとしたことが、裏目に出た結果だった。
「原価管理を考えるとお客様を変えていかねばならないと思っていたので、安すぎる仕事を断ったんです。そうしたら、その後に予定していた大きな仕事が半年ずれてしまって、資金繰りがショートする事態になったんです」。銀行から融資を受けようとするも、帳簿上で多額の現金があったことから断られてしまった。
「父の代からブローカーに成功報酬を支払っていたのですが、中には領収証をくれない人もいて、それが10年ほどの間に積もり積もっていたことに、ずっと気が付かなかったんです」。結局融資は受けられず、落合社長は泣く泣く重機を2台手放した。「その時は情けなくて……でも、自分でまいた種だからどうにもならない。ただ、ここで採算の合わない取引先を切らなくていつ切るんだという思いもあって、踏ん切りをつけたかったんです」と語る落合社長。「父の得意先だったから」ではなく、適正な価格での取引先を自ら切り開こうという決意は変わらなかった。しかし、この経験はさらに落合社長を強く鍛えた。
「融資を断られた時は、ドラマ『半沢直樹』のワンシーンのような心境でしたね。だから、それからお金の勉強をしました」
社名を変更し更なる挑戦へ。保有する重機を土木事業に活用、公共事業を手掛けるため積算ソフトを導入し作業効率も向上
「思い返すと、父の死後20年間はお金のことでずっと苦労していました」という落合社長。また、会社を引き継いだ当初は社員の半分以上が父親世代だったため「私の言うことなんて聞いてくれませんでした」と苦笑する。そんな自分に自信が持てず、自己啓発セミナーにも足しげく通ったという。「経営について自信がなかったんです。自分がこれまでやってきたことを確認するという気持ちもあって通いました」。営業経験もなかったことから、セミナーでさまざまな知見を得て改めて感じたのは、信用できる人からの紹介が最も手堅いということ。さらに、最も大きな収穫は「大切なことは父親が教えてくれていた」と気付いたことだった。
「先祖を大切にすること、約束事を守ること、感謝の心を忘れないこと、これは無意識に実践していましたが、今思うと生前父が厳しく言っていたことです」と落合社長は亡き父に敬意を示す。こうして苦難と対峙し、迷いながらも前に進み続けた落合社長は、2015年に社名を現在の株式会社オチカイ・テクノスに変更する。それは、同社の転換期でもあった。
「自分の会社なのに、何のために会社をやっているんだろう、という思いがずっとありました。だから、考え続けた末にこの企業理念にたどり着きました」。その企業理念とは、「新しいことに挑戦し、『常にプロであり続けること』を掲げ、独自価値を提供する企業を目指す」だ。もはや自分に自信を持てない落合社長ではなかった。今や自らが掲げた企業理念を軸に堅実かつ積極的に攻めに転じている。その傍らにはICTのソリューションを強力な武器として携えていた。
この頃、同社が新たに挑戦し始めたことの一つが、土木事業への積極的な参入だ。
「解体工事は大きな工事の件数自体が少ないのです。でも、土木の公共工事は下水道工事や河川工事など数が多く、資金繰りも読めるので元請けでできれば経営も安定します」。さらに、保有している重機の水平展開ができることもメリットだという。そこで、土木の公共工事の入札に参加するために2020年に積算ソフトを導入した。建設工事の積算は解体工事より歩掛りの積み上げが細かいため、積算ソフトを活用すれば格段に効率的だという。 「土木工事に対応するには、今いる職人を多能工にしなくてはなりませんが、遠い場所での解体工事より、近場で仕事ができたほうが経費もかかりません。今、二級土木管理施工技士の資格を2名が取得しており、一級の資格保持者は1名います。今後は外国人の技能実習生にも資格を取らせてあげたいと考えています」と意欲を示す。さらに、今後は4,500万円以上の工事を請け負えて外注も可能な「特定建設事業許可」の取得を目指し、下請けを使った管理体制の構築も視野に入れている。
データはクラウドストレージで一元管理。出先からも即時対応でき、スピーディーな見積提示が顧客からも好評
落合社長は事業改革を行う上で情報の管理・活用を重視し、ICTの活用を積極的に進めている。前述の積算ソフトのほかにも、2010年には自社のホームページを立ち上げ、2022年には情報更新を自分たちでできるCMS形式に刷新して、情報発信に積極的に取り組んでいる。とりわけ自動車販売部門では車両の写真をホームページに掲載し、頻繁に更新を行っている。
バックオフィスにおいては、新型コロナウイルス感染症の拡大を機にクラウドストレージを導入した。「それまでは、事務所から出先にメールで書類を送ってもらっていましたが、クラウドなら出先から自分で見積書をリアルタイムに確認できるので、助かっています」と話す落合社長。特に業界の総会が多い4〜6月は外出も多いため、助かっているという。また、現在は車両日報や燃料代、安全日報などが手書きだが、これらもいずれはタブレットを使用してデータ化し、クラウドで一元管理したいと考えている。「効率化するならデジタルにはかなわないので、使えるものは取り入れたいと思っています。できるだけ物事は簡単に処理できるようにしたいです」と続けた。
ウェアラブルカメラを装着して作業動画を撮影。外国人スタッフや若手への指導に使えるマニュアルとして活用したい
今、同社が力を入れていることの一つが人材育成だ。最近では土木の仕事に就く若い人材が集まらず、外国人の技能実習生に頼る会社も多い。そのため、外国人にも伝わりやすい指導方法やマニュアルが求められている。そこで同社が導入したのがウェアラブルカメラだ。
ヘルメットにカメラをつけた作業者の動作を作業工程ごとに撮影し、動画で見せるのだ。これなら言葉の壁も解消でき、何度も見直して復習ができる。「現場は危険と隣り合わせなので、つい先輩は怒鳴ったりしがちですし、やさしく教える余裕もないでしょう。制作に手間はかかりますが、動画マニュアルがあれば基本動作もわかり、言葉が通じにくい外国人技能実習生にも使えます」と見込む。さらに「この試みがうまくいったら営業と現場とのやりとりにも使ってみたい」と意欲的だ。
外国人も含め、人材が集まらないのは先のステップを見せていないからだと落合社長は指摘する。そこで同社では人事考査制度のマニュアルを作成した。「外国人の場合、辞めてしまう理由の多くは賃金と労働環境に不満があるからです。そこで、人事評価のルールブックを実習生の母国の言語で作りました。仕組みがわかれば目先の不満でやめる人はいなくなるのではないでしょうか」。実際、同社には自由に国に帰れる特定3号の認可を持つにもかかわらず、同社に3年間勤めている外国人実習生がいるという。「彼にはご褒美に給料をアップして、さらに会社の費用負担で重機の資格を取らせてあげました。これが成功事例となればいいですね」と今後に期待を寄せる。
新社屋建設ではジムの併設も構想中。「健康第一」を軸に社員の福利厚生も充実させ、解体業のイメージを変えていく
猛烈に働き、酒食の接待にも奔走して体を壊した父を見てきた落合社長は、自らの健康管理には人一倍気を使っている。さらに、2023年は「健康第一」をテーマに掲げ、社員の健康管理にも積極的に取り組んでいる。 「現在、新社屋の建設を予定しています。社員の福利厚生の一環として、ここにトレーニングジムやバーチャルゴルフ練習場も併設したいと思っています。解体屋に見えないおしゃれなカフェみたいにしたいですね。ここは何屋さん?て思ってもらえて社員の健康増進にもつながれば。それが夢ですね」と目を輝かせる。
そんな落合社長の長男は将来の事業承継を見据え、現在東京の解体業の会社で修行中だという。 「重機もピカピカ、現場もオフィスも、作業着もきれいで解体業じゃないみたいな会社ですよ」と話す会社とは東京の大手企業のことだ。同社は業界をリードする技術を持つだけでなく、解体業の新たな価値を創出している特異な存在だ。
翻ってオチカイ・テクノスが目指す事業モデルとて、時代が求める方向性に合致する。落合社長が取り組んできたのは父の時代における「解体業」というビジネスモデルの、まさに「解体とリプロダクツ(再構築)」だったといえるだろう。苦難から謙虚に学び、努力と模索を重ねながらも、ICTを武器に経営の改善に突き進む落合社長の姿は実にたくましい。ただひたむきに走り続けてきた落合社長の姿が、雨の日も風の日も自転車のペダルをこぎ続けた少年の姿に重なって見えた。
企業概要
法人名 | 株式会社オチカイ・テクノス |
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所在地 | 栃木県栃木市都賀郡平川821-1 |
電話 | 0282-27-6027 |
HP | https://ochikai.co.jp |
設立 | 1984年 |
従業員数 | 19人 |
事業内容 | 建造物解体工事、斫り工事、一般土木工事、鳶工事、産業廃棄物収集運搬業、古物商 |